ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ボビー・オーランド

イリュージョン (Elusion)

不況の影しのびよる年の瀬。たまにはバカ明るいディスコミュージックでもいかが?……というわけでもないが、今回はとても地味〜なアメリカの3人組黒人男性ボーカルグループ、イリュージョン(イルージョン)であります。

この人たちを紹介する理由はただ一つ、1979年にシングルで発売された「When The Bell Rings (Come Out Dancin')」に注目したいからです。まずはYouTubeで見つけた(よくあったなと思う)音源をお聴き下さい↓



どうでしょうかねえ、ナベのフタか何か叩いているような、この“ベル”の音色。微妙にズレてるでしょう? 最初は踏切みたいに乱打。その後随所に「チーン」と入り、中間奏でも再び意味なく乱打。見事に脱力します。奇奇怪怪、奇妙奇天烈、無理難題には慣れっこのディスコ界でも、ここまで調子っぱずれなのは珍しい。「Elusion」って、「逃避」とか「回避」という意味があるのですけど、音程を合わせること自体を拒否しているかのようです。

曲名にもあるとおり、基本は「ベルを合図にさあ踊ろう!」ってな感じのまさに「明るい79年ディスコ」なのですが、これはもうベルではなくてボクシングの「ゴング」です。フロアでかかったら(聞いたことはないが)、思わずノックアウト状態で床にへたりこんでしまうことでしょう。

・・・・・・でも、私はなんだかこの曲が好きです。何度か聴いていくうちに「これも典型的ディスコだろうなあ」と考えるようになりました。まず、プロデュースは、ヒット曲「チャンタでいこう!」で知られるディスコ界の大物プロデューサーで、かつてちょっと紹介したことがあるマイケル・ゼーガーさんです。……にしては手抜いているなあ、とは思うのですけど、ここまでヘンだと、逆に「狙いだったのかもしれない(でも外してしまった)」と思うのです。

事実、この曲はまったく売れませんでした。シングルとして発売されてから2年後の81年に、彼らのデビューアルバム「All Toys Break」(写真右下)に収録されたものの、このアルバム自体が注目度ほぼゼロ。翌年にも懲りずに、2枚目のR&B/ファンク色の強いアルバム「Show And Tell」を発売しましたが、これも注目度ゼロ。その後は行方不明です。ボーカル自体はけっこう上手い。ディスコ曲だけでなく、バラードもなかなか聴かせる――にしても、この程度ならR&B界にはザラにいますからね。

それでも、迷曲「When The Bell Rings」はどうしても忘れがたい。「美は乱調にある。諧調は偽りだ」と叫んだアナキスト大杉栄の心意気にも通じる、「不調和の美」を感じさせます。不協和音が心地よいと感じることは普通ないわけですが、いやあ、元来ディスコのフロアってめちゃくちゃ不調和でしたからね。老若男女の酒池肉林(?)、リズムに合っている人もいれば、合っていない人もいる。それでもまずはオッケーなのです。曲にヘンなのが混ざっていても、それはそれで楽しいじゃないですか!(断定)

この「不調和の美」については、これも何度か紹介してきたハイエナジーディスコのプロデューサー兼アーチストのボビー・オーランドにも言えると思いました。彼の曲にも、微妙にズレた打楽器(カウベルと呼ばれる)を強引に駆使したものがあります(YouTubeで例:The Best Part Of Breakin' Up)。得意のシンセサイザー音だって、ちょっと音程がズレている場合も見受けられましたし。単に粗製乱造だっただけかもしれません。まあでも、それもディスコらしくてヨイのです。

さらに言えば、「不調和」は世の中の現実(ファクト・オブ・ライフ=fact of life)だとも思いますよ。老若男女だけでなく、人種や国籍や立場の違いをも越えて、いろんな人がいてこそ成り立つわけです。反対にあらゆるものが「調和」してたら、凄く気味が悪い。矛盾や混沌にも美は潜んでいるはずです。ディスコ空間は、そんな現実も映し出していたのではないでしょうか(再び断定)。

と、今回はややイレギュラーな展開になりましたが、彼らのCDについては、マニアックにも、数年前にアルバム2枚とも国内盤で発売されています。が、既に廃盤で入手困難となっております。レコードでさえレア化していますね。そもそもあまりおススメはしませんし、(消される前に)YouTubeで聞いて、家の中で踊る程度でよいのではないかと、個人的には思います。

イリュージョン (Elusion)

オー・ロミオ (Oh Romeo)

Oh Romeo3連休・時間がちょっと空いたので・とっとと投稿いたします(七五調で)。というわけで、「もういいよボビーO」……と言われること必定ですが、思い入れを含めましてもう一丁「オー・ロミオ」であります。

フラーツ、ディバインほどではないにせよ、ボビーOがプロデュースしたアーチストの中では重要な位置を占める人々で、特に欧州やカナダ、日本のディスコで人気でした。写真を見てお分かりのとおり、このアーチストは女性デユオ……だとは思うのですが、ボビーはほとんど自分だけで制作した曲を、色んな無名アーチストに歌わせてどんどんリリースしていましたから、これも「ボビーの分身」といっても過言ではありません(写真の2人も実際に歌っている人たちではなく、ただのモデルだったりして)。

代表曲は、哀愁ハイエナジーの傑作「These Memories」のほか、「Once Is Not Enough」「One More Shot」、デッド・オア・アライブ「ユー・スピン・ミー・ラウンド」に少し似た「Saving Myself」などで、いずれも1983年から85年にかけてリリースされました。変わったところでは、妻帯者との「禁じられた恋」を歌った不倫ディスコ「Try It (I'm In Love With A Married Man)」(83年)というのもありました。この曲はつい5年前にペット・ショップ・ボーイズやや暗〜い感じにリメイクしています。

オーロミは私が高校生のとき、「Once Is Not Enogh」を札幌のディスコで聞いて知りました。最も有名な「These Memories」は、ディスコで聞いた記憶がなぜかありません。しかし、「YOU&愛」という全国チェーンの貸しレコード店に、東京の著名ディスコのチャートを載せた小冊子が置いてあり、その中で複数のディスコで上位にランクインしていたのを覚えています。

「東京で人気なんだからいい曲なんだろう」というトホホな直感を頼りに、さっそく「These Memories」の購入を決めたものの、札幌の輸入盤店では見つからず、しょうがないので東京・六本木の「ウィナーズ」という輸入盤店の通販で買いました。聴いてみたら美メロ系のとても良い曲でしたので、この時は「うまく予想が当った」と独りほくそ笑んだものです。

この曲はリミックスを含めていくつかのバージョンがあるのですが、届いたのはイントロが4分ぐらいあるバージョンでした。途中で非常に印象的なピアノのソロが入っており、今でもこのバージョンが最も出来が良いと思っております。ただし、ラストが中途半端なコーラスで終わっているのはいただけないのですけど、これについては、マスター自体の音質が悪く雑な作りの曲も多いボビー0には珍しいことではないので許容範囲です(寛大)。

写真のCDは、当ブログではたまに出てくる米マイアミのHot Productionsレーベルのベスト。オーロミのほぼ唯一のCDです。米アマゾンのレビューでは「CDリマスターの音質が悪い」などと不評ですが、いやあ、ボビー0はもともと、新品レコードだって音質は良くないケースが目立ちますからねえ。音楽CDではなく、CD-Rの場合が多いHot Productionにしては珍しくちゃんとした音楽CDですし、選曲も網羅的で無難です。意外と完成度は高いと思います。These Memoriesについては、私が好きなやつを含めて3バージョン入っています。

ディバイン (Divine)

Divineディスコ界には奇人変人がいっぱいいますが、極めつけは何といってもディバインでしょう。「ドラッグ・クイーン」(女装好きのゲイ)の元祖! 太った風貌といい、きらびやか過ぎる服装といい、過激な言動といい、常識の範囲をはるかに越えていました。

ディバインさんは前回紹介のフラーツと同様、80年代前半から中盤にかけて、ボビー・オーランドのプロデュースでハイエナジーのディスコヒットを量産しました。「Native Love」(82年、全米ディスコチャート21位)、「Shoot Your Shot」(82年、同39位)、「Love Reaction」(83年)、「Shake It Up」(83年、イントロがニューオーダーの「ブルー・マンデー」そっくり)などがよく知られています。声はだみ声ですし、はっきり言って下手です。チャートアクションもさほどではないのですが、記録よりも記憶に残るアーチストです。

1945年イギリス生まれ。幼少時から太った変わり者でいじめられっ子だったディバインは、学校を出て一時美容師になったものの、数年後には辞めて俳優の道に進みました。当初からキワモノ役者の扱いでして、72年には伝説のカルトムービー「ピンク・フラミンゴ」に主演し、一気に名声を高めました。

「伝説」「名声」といっても、そこはキワモノ変人の面目躍如。この映画はいまだに悪趣味、下品の頂点とも言われる低俗なコメディーでして、殺人からレイプからスカトロジーまで、卑劣な人間像が極限まで表現されています。その中でディバインは、なんと「犬の隣に座り、その糞を食べる」という有名なシーンまでやってのけています。本人は少しイメージを変えようと努力した時期もあったようですが、ここに完全に変態としての地位を確立したわけです。

私も20年ほど前にこの映画を観たことがあります。やはり今でも印象に残っているのは「糞食い」シーンですね。どうやら本当に食べているのですよ!これを見て吐き気を催さない人がいたら不思議です。

さて、そんなディバインさんを、「非常識オッケー」のディスコ界が見逃すはずはありません。試しに曲を発表したところ、特にゲイたちに人気のハイエナジーの世界ではヒーローとなりました。明らかに怪しいルックスと特徴的な声は、世界中のフロアを熱狂させたのです。

もちろん、彼を音楽的に育てたのはボビー・オーランド(ボビーO)にほかなりません。ボビーO自身、若いころはボクサーを目指したものの顔がプリティーフェイス(童顔)だということで断念し、後に売れっ子音楽アーチスト、弁護士にまでなったという世にも珍しい経緯をたどった人です。変り種同士がすっかり意気投合し、人気曲をどんどん世に送り出したというわけです。

私などはとりわけ「Shake It Up」には熱中しました。12インチの怪獣みたいなディバインが載ったジャケットには毎晩うなされたものの、ドラムなしのシンセのイントロから始まり、ドラムボックス、パーカッションが加わって少しずつドライブ感が増していくというボビーOの典型パターンにはハマりました。

ところが、ディバインは84年に突然、ボビーと袂を分かつことになります。当時頭角を現していたハイエナジー/ユーロビートのプロデュースチームで、デッド・オア・アライブやカイリー・ミノーグなどを手がけたことで知られる「ストック・エイトケン・ウォーターマン」(SAW)とのコラボレーションを選択したのでした。やっぱりディバインさん、もっと売れたかったのでしょうね。

SAWとのコラボでは、「You Think You're A Man」(84年)、「I'm So Beautiful」(同)などのド派手系のヒット曲を出しました。アメリカでは今ひとつでしたが、それ以外の欧州や豪州や日本では大人気でした。私自身、この2曲ともディスコではよく耳にしたものです。

80年代後半は歌手としては失速したものの、相変わらず破天荒なタレントぶりを発揮。テレビや舞台で手堅く活躍していたのですけど、88年3月、仕事で滞在していた米ロサンゼルスのホテルで急死。もともと肥満からくる睡眠障害、呼吸障害、心臓肥大などの状態になっており、それが死の原因だったといわれています。

享年42。あっけない幕切れとなったドラッグクイーンですが、空前絶後、どうしたって忘れようもない愛すべき超個性派ディスコ・クイーンでもありました。

CDはベストを中心に比較的たくさん出ています。写真のDelta Blue盤「The Best of Divine」の音質がよく、選曲も網羅的でよいかと思います。CDではなかなか見つからない「You Think You're A Man」の編集なしの完全ロングバージョン(8分)は、英Pickwick盤のベスト「The Cream Of Divine」などに収録されています。もう一つ、「You Think…」については、ナレーション入りでなかなかカッコいいリミックスバージョンが「Stock Aitken Waterman Gold」という3枚組コンピに収録されています。

ザ・フラーツ (The Flirts)

The Flirts久しぶりに"シンセサイザーたっぷり"系ディスコを取り上げましょう。ご存知ボビー・オーランド(ボビー・オー)がプロデュースした"秘蔵っ子"で、こてこてハイエナジー・ディスコの女性3人組「フラーツ」であります。

この人たちは80年代初頭、ニューヨークで結成されました。単純にボビーOがNY在住だったからですが、欧州や米西海岸で人気だったハイエナジー系にしては珍しいことです。「NY発ハイエナジー」であることから、ディスコブーム後のアメリカの代表的なダンスミュージックであるフリースタイルの要素も取り入れられています。

発売した新作アルバムは、ディスコアーチストとしては多く計5枚。女性3人組ディスコということで察しがつくように、歌詞も容姿もセクシー路線なわけですが、メンバーはころころ変わりました。どちらかというと、本国アメリカよりもヨーロッパでの人気が高かった人たちです。

代表曲は、82年のデビューアルバム「10¢ A Dance」(テンセント・ア・ダンス)からのシングルカット曲「Passion」(82年、全米ディスコ21位)のほか、同時期のハイエナジー&イタロヒット「Slice Me Nice」(Fancy)に似た、というかあからさまにパクったとされる(もともとボビーOはちょいパクリの名手)「Helpless」(84年、同12位)、「You & Me」(同1位)、「New Toy」(同5位)、「Danger」(83年)あたりです。若きニコラス・ケイジが出演した青春映画「ヴァレー・ガール」(83年)にも使われた「Jukebox」(82年、同28位)というのもありました。

異色なところでは、83年発売のアルバム「Born To Flirt」に入っている「Oriental Boy」というのがあります。直訳すると「東洋の男の子」ですが、歌詞に「スシ」「ソニー」「トヨタ」「サヨナラ」などの日本語が次々出てくるため、対象はモロ日本人だとわかります。内容は「すしバーで出会った東洋人に恋したけど結局フラれちゃったよ〜ん」と嘆く米国人女性の恋物語ですが、これってかつて紹介したアネカの「ジャパニーズ・ボーイ」とおんなじ展開です(トホホ)。

私自身は、中でもパッション、ヘルプレス、ユー・アンド・ミーを当時のディスコで耳にしました。好きなボビーO作品ということで、もう手放しに興奮し、フロアを駆けずり回って踊りまくった記憶があります。特にユー・アンド・ミーのイントロは、マドンナの「イントゥー・ザ・グルーブ」を彷彿させるカッコよさです(ていうか、これもちょいパクった?)。

ボビーOは多作のプロデューサーとして知られ、ピーク時の80年代前半には年間数百枚の12インチをプロデュースしたと言われています。「作品1曲をミリオンセラーにするより、200曲を5000枚ずつ売る方が好きだ」という本人の有名な言葉があり、実際にその通りの活動ぶりでした。もの凄くたくさんのアーチストを手がけているわけですが、このフラーツは「Shoot Your Shot」などのヒットで知られるディバインと並んで、長く深く付き合ったアーチストでした。

その期間は、82年のデビュー時から、ボビー自身がサンプリングなどの新しくて手間要らずの打ち込み音楽に嫌気がさし、音楽活動と距離を置くようになった92年ごろまでです。フラーツはドラムマシーン&シンセサイザー満載の典型的な"ボビーO"サウンドではありますけど、まだ電子音楽も素朴な時代でしたし、ギターやパーカッション(カウ・ベル)などの生音も少々入っているので、ほどよい手作り感があります。

フラーツのCDは、カナダのユニディスクレーベルから各種発売されています。どれも音質は良好で、ロングバージョンもふんだんに含まれています。上写真はその一つの「10¢ A Dance」で、「パッション」「ジュークボックス」「Calling All Boys」などが入っています。

Pet Shop Boys (ペット・ショップ・ボーイズ)

Pet Shop Boys80年代中盤のデビュー直後から、ディスコで存在感を示し始めたのが英国最高峰の“男性ポップ・デュオ”ペット・ショップ・ボーイズであります。「英国発」ということでは、チョット前にジョージ・マイケルらの「ワム」なんていうのも大人気になっていたのですが、すぐに解散したので、やはりペットさんが「最高峰」でありますな。

ペットさんはボーカルの二ール・テナントとクリス・ロウの二人組。1984年の「ワン・モア・チャンス」というのが一応のデビューで、続いて「ウエストエンド・ガールズ」というシングルを出します。シンセサイザーへの関心が高かった彼らは、当時を代表するディスコジャンルであるハイエナジーに強くひかれており、プロデュースをかのボビー・オーランドに依頼したのでした。

結果として、「ウエストエンド…」は欧米のディスコを中心に少し人気が出ましたが、まだヒットまでは至りません。彼らは「何かイマイチだったなあ」ということで、ボビーとの契約を打ち切って再出発。別のプロデューサーと組んで、「オポチュニティーズ」、さらには「ウエスト…」をセルフリメイクして発売し、特に「ウエスト…」が全米ディスコチャート2週連続1位を獲得(86年3月)するなどの大ヒットとなりました。ここで破竹の大ブレイクを果たしたのです。

ただ、「オレが育ててやったのに裏切った」と感じたボビーとの関係は、決定的に悪化しました。両者協議の末、ボビーが関わった初期の作品については、ボビーが大方の権利を保持する契約にさせられたと伝えられています(この結果、ボビーは巨額の富を得た)。

ウエストエンド・ガールズについては、私も旧バージョンの方の12インチを買ったときのことを覚えています。場所は、昔よく行っていた札幌の「ディスク・アップ」という輸入盤店でした。いつもはけだるい感じの店員氏が珍しく、「これいいよ!」なんて明るくすすめるのです。「ボビー・オーランドだし、まあいいかな」と、なんとはなしに買ってみたら=写真=、これが意外にもスゲエ暗〜い曲だったのですよ。もちろん、ディスコでもまったくかかりませんでした。

それでも、しばらくして新バージョンの「ウエストエンド・ガールズ」が大ヒットして、ディスコでかかり始めたときには、「先に知っていたもんね」と自己満足したものでした。やっぱり新バージョンの方が断然出来がよく、2枚目を買うハメにはなりましたが。

周知のとおり、ペットさんはその後、現在に至るまでトップ・デュオであり続けています。デビュー当時から変わらないのは、ダンスミュージック、しかも「ディスコ」へのこだわりであります。ビレッジピープルの「ゴー・ウエスト」とか、ボーズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」などのリメイクもやっておりますしね。ここまでディスコへの敬愛を隠さないメジャーアーチストは、ほかにあまりいません。

ある雑誌のインタビューで、二ールは「僕がディスコ、特にハイエナジーミュージックが好きなのは、名もなく、名声もなく、はかない存在だからだ」と語っています。う〜ん、なんとなく分かります。彼らの曲って、奥深いノスタルジーや優しさを感じさせます。歌詞も、ややシニカルながらも、幻想的で洗練されており、非常に評価の高い部分であります。これまた「泣きながら踊る系」といえるでしょう(ウソ)。

ペットさんのCDは、12インチバージョンを含めてすんごくたくさん出ておりますが、一番のオススメはやはり、そのものずばりのタイトルの有名なベスト集「ディスコ」(86年)。新バージョン「ウエストエンド…」のシェップ・ペティボーン・ミックスも入っています。あとは5年前発売の英国盤「Behaviour/Further Listening」と「Actually/Further Listening」がヨイ。どちらも12インチバージョンや未発表バージョンが数多く収録されております。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権は作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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