ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

マイケル・ジャクソン

ダイアナ・ロス (Diana Ross)

Diana Ross黒人女性歌手のトップスター、ダイアナ・ロスは、マイケル・ジャクソンの長年の親友でもあったことはよく知られています。

1960年代、希代の大人気黒人コーラスグループ「シュープリームス」の事実上のリーダーとして活躍したダイアナは、60年代末にはソロ活動を本格化、同時に、同じモータウンレーベル所属のアイドルとして売り出し中だったジャクソン5を、いわば“弟分”として自分のコンサートなどで紹介しています。このころに“少年マイケル”との友情も芽生えたのでした。

70年代に入ると、ほぼ完全にソロ歌手となります。シュープリームスのほかのメンバーとの確執も深まったわけですが、セールス的にはまずは順調で、「Ain't No Mountain High Enough」(70年、ビルボード一般、R&B各1位)、「Touch Me In The Morning」(73年、一般1位、R&B5位)などのヒットを出しました。それでも、飛ぶ鳥落とす勢いだったシュープリームス時代と比べると、やや影が薄くなったとの感は否めませんでした。

そんなダイアナは1976年、「Love Hangover(ラブ・ハングオーバー=恋の二日酔い)」などのディスコソングが収録されたアルバム「Diana Ross」を発表しました。この「二日酔い」はディスコブームの時流にうまく乗っかり、全米ビルボード一般、R&B、ディスコの各チャートで1位を獲得し見事「三冠女王」を達成したのでした。

この人は美貌もウリの一つでして、女優としても実績を重ねています。ビリー・ホリデイの生涯をモチーフにした「ビリー・ホリディ物語」(72年)で主演したのは有名ですが、78年には、「オズの魔法使い」の黒人版である「The Wiz(ザ・ウィズ)」でマイケルジャクソンと夢の共演を実現しています。

この「ウィズ」は、興行的には大コケしたものの、クインシー・ジョーンズがプロデュースしたサントラはヒットしました。特に、マイケルとのデュエットである「Ease On Down The Road」は、ディスコ史に燦然と輝く名曲であります。マイケルにとっても、この映画でクインシーとの出会いを果たし、両雄の協力関係はやがて「オフ・ザ・ウォール」、続いて「スリラー」という歴史的ヒットアルバムとして結実することになります。

ダイアナは79年には、ディスコ満開のアルバム「ザ・ボス」(ディスコチャート1位)を発表。この中からはお馴染み「ザ・ボス」、「ノー・ワン・ゲッツ・ザ・プライズ」などがフロアで大人気となりました。

そして1980年には、シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズをプロデューサーに迎えて“ダメ押し”ディスコアルバム「ダイアナ」を発表。ナイル・ロジャース側とモータウンが出来栄えを巡って対立するハプニングがあったものの、収録曲の「アップサイド・ダウン」が一般、R&B、ディスコの各チャートで1位、ゲイ・ピープルの“カミング・アウト”賛歌の「アイム・カミング・アウト」が一般チャートで5位に入るなど、セールス的には大成功しました。

その後は少し勢いが衰えたダイアナさん。でも、ディスコ的には、ダリル・ホールがバック・ボーカルで参加した「Swept Away」(84年、ディスコ1位)、マイケルがバック・ボーカルで参加した「Eaten Alive」(85年、同3位)、「チェイン・リアクション」(86年、同7位)など、順調に「ディスコでも女王と言われたい」状態を持続しました。このあたりの80年代の曲は、私もディスコでずいぶんと耳にしました。とりわけSwept Away(スウェプト・アウェイ)は、アーサー・ベーカーのフリースタイルっぽいミックスが秀逸でした。

ディスコ・クイーンといえば、一般的にはドナ・サマーということになりますが、ダイアナさんは黒人歌手の「クイーン・オブ・ポップ」とさえ称されるだけあって、ディスコ系の曲でもまんべんなく名曲を世に送り出しています。そのキャリア、曲群は一度の投稿ではとても紹介しきれません。

今回のマイケルの悲報に接し、ダイアナは「突然のことであまりに悲しい。彼の家族や子供たちために祈りを捧げたい」といったコメントを発表していますが、多くを語ろうとはしていません。あまりにもショックを受けたためか、先日の追悼式にも「独りになって喪に復したい」と欠席しました。

実は、ダイアナ自身も、シュープリームス時代の仲間との仲たがいだけでなく、私生活で結婚、離婚を繰り返したり、5人の子のうちの1人が、モータウン創始者のベリー・ゴーディーとの間にできた子であることが後にバレたり、けっこうセレブ特有の波乱の人生を歩んでいます。

マイケルとは60年代後半の出会いの後、ずっと公私ともに友人としての付き合いがあったようです。スーパースター同士、周囲になかなか明かせぬ孤独感を互いに理解し合っていたのかもしれません。最近、やたらとCD/DVD店で見かけるUSAフォー・アフリカの「ウイ・アー・ザ・ワールド」(85年に大ヒットしたチャリティー曲)でも、マイケルとダイアナが、仲良く同じパートを掛け合いで歌っていてなんだか象徴的です。

写真上のCDは、ディスコ系アルバムとしての代表格「ザ・ボス」。1999年にモータウンで発売された盤で、「ザ・ボス」の12インチバージョンが収録されています。写真下のCD「ダイアナ」は、「ラブ・ハングオーバー」「シュープリームス・メドレー」をはじめ、相当に貴重な12インチバージョンが収録されたデラックス盤です。「ディスコのダイアナ・ロス」を知るには、このあたりが基本になるかと思います。

Diana

クインシー・ジョーンズ (Quincy Jones)

Quincy Jones 70年代ディスコは競争激しかったんだよ。クインシー・ジョーンズは、ジャンルを超えた現代音楽屈指の天才アーチストですけど、ディスコといえば「愛のコリーダ」に尽きます。今までほとんど無視していたことが判明したので、ここら辺で紹介しておこうと思いました。

1933年シカゴ生まれで10歳のころにシアトル近郊に移住。小学校のスクールバンドであらゆる楽器をこなす主役として活躍し、やがて地元で同様に音楽活動を始めていた3歳年上のレイ・チャールズと出会い、ジャズの世界にのめりこんで生きました。その後はとんとん拍子に出世し、ジャズ界の名トランペッターおよびアレンジャーとして名を馳せることになります。

ディスコっぽくなってきたのは、1978年の「Sounds...And Stuff Like That!!」。チャカ・カーン、アシュフォード・シンプソン、パティ・オースチン、ルーサー・バンドロス、ハービー・ハンコックなどなど、「クインシー一家」と言ってもよいほど、超贅沢なメンバーが参加して制作されました。曲としては、「Stuff Like That」とか「Love, I Never Had It So Good」あたりがダンサブルなのですが、やはりまだジャズ・フュージョン色が濃い内容になっています。

彼が「いっちゃえ、いっちゃえ! ディスコ満開!」状態になったのは、79年に彼が全面プロデュースしたマイケルジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」です。特にヒットしたのは「今夜はドント・ストップ」と「ロック・ウィズ・ユー」で、この2曲のカップリングで全米ディスコチャート2位まで上昇しました。

そして、81年、かの「愛のコリーダ(Ai No Corrida)」や、パティ・オースチンがボーカルをとった「ラズマタズ」を含む大ヒットアルバム「The Dude」(写真、アルバムとして全米ディスコチャート最高3位)を発表したわけです。

当時は、米国では既にディスコブームが終わった後でしたが、帝王クインシー・ジョーンズだけに、「ダサい」と言われずに済みました(笑)。まあ実際、かつてのドンドコディスコではなく、「都会的なダンスミュージック」といった内容だったので、さすがにうまくまとめた感じです。

愛のコリーダは、チャス・ジャンケルという人のオリジナル曲で、日本語そのものの「愛の(Ai No)」とスペイン語の「Corrida=闘牛士」の合成語です。組み合わせると「愛の闘牛士」…って、急にトホホな気分に陥ってしまいました。

しかし、この曲は日本のディスコでも大ヒットしまして、私のいた札幌では、何だか知りませんが、サビのところで、両手を使って輪を作るような変な振り付け(説明不可能)が流行っていました。

クインシーさんは翌82年、マイケルの最高傑作「スリラー」をプロデュースして大もうけ!、ということになります。彼自身の音楽人としての絶頂期は、このころだったのではないでしょうか。

ディスコ的には、それ以降はあまり見るべきものはなし(断定)。ただし、相変わらず大物アーチストを集めてジャズ/ヒップホップ風のアルバム「Back on the Block」(89年)を出してみたり、映画音楽をやってみたりと、余裕の王道人生を歩んでいます。

グラミー賞のノミネートが現在最高の76回で、うち26回受賞しています。「欲しいものは何でも手に入れた」クインシーさんですが、集中的にディスコをやったといえる80年前後の数年間は、私にとっては非常に強い印象を与え続けております。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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