Paul Parker本日の関東地方、非常にぽかぽか陽気ですので、2回飛んで再び陽気なサンフランシスコねたを……というわけで、今回は故パトリック・カウリーの盟友ポール・パーカーであります。

いきなり年齢不詳です。でも、ジャケ写などを見ている限り、最も活躍した1980年代には既に30代になっていたのではないでしょうか。サンフランシスコだけに(?)ゲイアーチストでして、パトリック・カウリーらがSFに創立したハイエナジーサウンドの殿堂メガトン・レコードから、著名ダンスヒットを数多く世に送り出した人です。

ピークは1982〜83年で、ディスコが絶滅寸前まで追い込まれたアメリカで細々と、西海岸(特にヒッピーの聖地でもあったSF)を中心に生き残った自由でおおらかな「ゲイ・ディスコ」の旗手として、パトリックのプロデュースで「ライト・オン・ターゲット」(全米ディスコチャート1位)、「ショット・イン・ザ・ナイト」、「ラブ・イズ・オン・ザ・ライン」などのヒットを飛ばします。このころ、これらの曲が入った彼唯一のアルバム「Too Much To Dream」もメガトンから発売しました。

さらに、80年代中盤から後半にかけて、英国のハイエナジー・プロデューサーであるイアン・スティーブンスのプロデュースにより、「デザイヤー」、「ドント・プレイ・ウィズ・マイ・ファイヤー」、「ウイズアウト・ユア・ラブ」、「タイム・アフター・タイム」などのヒット曲を出し、命脈を保ちます。この間、仲間のハイエナジーアーチストで、「ロケット・トゥ・ユア・ハート」などのヒット曲があるリサのプロデュース(曲は「Tempt Me」など)もやっています。

86年には、パマラ・スタンレーとのデュエットで「ストレンジャー・イン・ア・ストレンジ・ランド」と「ランニング・アラウンド・イン・サークルズ」という小ヒット曲を出しました。

「もうそろそろ落ち目になるかなあ?」といったあたりの87年には、マン・パリッシュがプロデュースした「ワン・ルック」というラテン・ヒップホップ(フリースタイル)系の異色作が、なんと全米ディスコチャート1位に輝きました。けれども、イメージチェンジの効果もここまで。90年代以降は力尽きて……ということなのか、記憶の彼方です。去年あたりから、再びプロデュース業などを開始したようではありますが。

以上、ずらずらと並べた曲群についてはすべて、私はディスコで聴いたことがあります。それほど印象深いアーチストなのでありました。太く安定した声が特徴で、フロアでもがんがん鳴り響いたものです。ハイエナジー全盛時代の立役者だったことは言うまでもありません。

写真はポール・パーカーの全盛時の曲を集めた2枚組ベスト(ユニディスク盤)。これが一番網羅的でよいです。以下、ポールの表情がな〜んとなく分かる「ライト・オン・ターゲット」のYouTube動画も張っておきます。