Sergio Mendes Olympia5年後に控える東京五輪の話題が今、良くも悪くも沸騰中ですが、今回はそんな時勢に確信犯で乗っかっりつつ、「大オリンピック・ディスコ祭り」と参りましょう!

血沸き肉躍るスポーツの祭典ということですので、情熱のダンスで踊り狂うディスコとの相性は元来よいもの。まずはディスコが欧米を中心に認知されはじめる1972年には、東西冷戦期の西ドイツで、あの忌まわしいナチス政権下のベルリン五輪(1936年)以来初となる“冷戦だけど表向き平和で〜す”のミュンヘン五輪が開かれ、それを契機にエンタメ・音楽業界が一気に盛り上がり、そのひとつの成果としてドナ・サマーボニーMロバータ・ケリーらが輩出した「ミュンヘン・ディスコ」シーンを生み出しました。

続く1976年のカナダのモントリオール五輪のころには、いよいよディスコ・ブームに火が付きます。当時のモントリオール五輪公式報告書(106ページ)などによると、選手村の近くのビルにも「おもてなし施設」として映画館やブティックとともにディスコが作られ、選手たちは夜な夜な歓喜の舞踏に興じたといいます。モントリオールのあるケベック州はもともとカナダの中でもとりわけフランス系移民の末裔が多く、第一言語がフランス語であるほどですので、ディスコの語源の仏語Discotheque(ディスコテーク)よろしく、「カナダ産ディスコ」が次々と弾け出しました。

代表例としてはジノ・ソッチョ、THPオーケストラ、クラウディア・バリーフランス・ジョリライムトランスXといったところで、いずれ劣らぬアゲアゲ・ダンサンサブルな良曲を数多く世に送り出しました。カナダは音楽大国というわけではないのに、五輪効果を背景に、ディスコ界ではけっこうな存在感を示すことになったのです。つい4年前には、ディスコのメッカとなったモントリオールを舞台にしたカナダ映画(「Funkytown」)も公開されております。

問題は次の1980年開催のモスクワ五輪。78年のソ連によるアフガン侵攻の影響で、日米欧を含めた西側諸国が相次いで参加ボイコットを決定し、なんとも締まらない大会になってしまったのです。せっかくおバカさん満開の大ディスコブーム真っ只中だというのに、これだと盛り上がるはずもなく、五輪を当て込んでリリースされたジンギスカンの「目指せモスクワ」などは、(人気はそれなりにあったが)まったく皮肉なトホホ・ディスコと化してしまったのです。

日本における第1次ディスコブーム(1970年代後期)と第2次ディスコブーム(1980年代後半からのバブル期)の狭間の84年には、ロサンゼルス五輪が開かれます。もちろん、日本を始め西側諸国はこぞって参加したものの、ソ連など東側諸国が報復とばかりにボイコット。これまた「盛り下がり五輪」となってしまいました。その結果、有力選手の多くが不参加だった1980、84年のメダルの価値も、否応なしに下がってしまっております(再び「スポーツへの政治介入ってホント嫌ですね」のトホホ)。

さて、ここでようやく今回の主役の登場です。ロス五輪については、個人的に「大ディスコ・マイブーム期」の只中でしたので、印象深い「ザ・五輪ディスコ」として「オリンピア」(1984年、米ビルボード一般チャート58位)をひとつ、紹介しておきましょう。

歌うのはブラジルが生んだボサノバ・ジャズの帝王セルジオ・メンデスさん。古くは、今なおカバーされ、愛され続けるボサノバダンスの名曲「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」(1966年、同47位)を発表し、ディスコブーム期にも、Sergio Mendes & The New Brasil '77名義で「The Real Thing」(1977年)、Sergio Mendes Brazill '88の名義で「I'll Tell You」(1979年、米ビルボード・ディスコチャート9位)、「Magic Lady」といった彼ならではの果てしなくメロウ&グルービーなダンス曲をリリースしていますが、ボイコット問題がくすぶるロス五輪に合わせてリリースした「オリンピア」は、一念発起して流行りのAORをゴージャスにダンスチューン化したような内容。以前に紹介したテリー・デサリオの「オーバーナイト・サクセス」にも似た雰囲気で、80年代シンセの硬質な音色もキンキン(しかしどこか心地よく)鳴り響いておりまして、当時はディスコでもよく耳にしました。ただし、題名が題名だけに、ちょいと豪快で大げさな感じです。

セルメンさんは、「オリンピア」を収録したアルバム「Confetti」(写真)の発売の1年前、「Sergio Mendes」という同じようなAOR/ダンス系のアルバムを出し、その中の「Never Gonna Let You Go」というバラードを久しぶりに大ヒット(ビルボード一般チャート4位)させておりますので、気を良くして「五輪に便乗しちゃうぞ!」と、渾身の昇天ダンスチューンに挑戦してみたのかもしれません。

その後、88年のソウル五輪、92年のバルセロナ五輪のころには、音楽シーンにおけるディスコの存在感そのものが徐々に薄くなっていったわけですが、例えば冬のトリノ五輪(2006年)では、開幕セレモニーで懐かしのディスコ曲が大量に流れて(私的には)話題を呼びました。盛り上げ要素抜群のディスコは、やはり各種お祭りのBGMとして使いやすい音楽なのだと思います。

1964年の東京五輪では、「東京五輪音頭」なる民謡調の珍曲が巨匠・古賀政男によって作曲されております。今聴くと大いに困惑することウケアイなのですが、半世紀以上の時を超え、2回目の東京五輪ではどんな音楽が使われるのでしょうか。まあディスコじゃなくても全然かまわないのですけど、くれぐれもパクリだけは勘弁していただきたい!(ディスコ自体がパクリ要素満載なのだが)

なお、セルメンさんのディスコ感覚なアルバムのCDについては、残念ながらどれも再発されていないか、過去に出ていてもレア化し始めております。