トム・モールトンアメリカのディスコミュージックは1970年代初頭、ニューヨークで始まりました。ファイヤー・アイランドと呼ばれる地区で、裕福だったり容姿端麗だったりする“一流のゲイたち”が密かに集まる踊り場が誕生したのがきっかけといわれています。

そんな踊り場に出入りしていた客の中に、後に音楽ビジネスに革命を起こす“美形”の青年がいました。ディスコミックスの元祖と呼ばれているトム・モールトンです。

1940年に生まれたトムは、保守的な家庭に生まれたキリスト教徒の白人でありながら、高校生のころから黒人音楽に魅了されました。学校でダンスパーティーを開いて停学になったこともあります。10代でレコード店に勤め始め、その後ジュークボックス会社勤務などを経て、本格的に音楽ビジネスに入ります。美貌を生かしてモデルをやっていたこともありました。

ダンスミュージック好きだった彼は、当時のさまざまな流行音楽に触れるにつれて、「シングル盤のバージョンでは短すぎる」と感じるようになり、粗末な機械を使ってロングバージョンのテープを作るようになりました。

やがてディスコが世に知られるようになると、トムには俄然、仕事の依頼が増すようになりました。ミュージシャンたちがこぞって、ディスコDJが好むようなロングバージョンを作るようになったからです。

主な舞台になったのは、ハロルド・メルヴィン・アンド・ザ・ブルーノーツやオー・ジェイズたちが多くのディスコ音楽を送り出したフィラデルフィア・インターナショナル・レコードのシグマ・サウンド・スタジオでした。後にはサルソウルなどでも12インチサウンドを作り出しています。

トムのミックスは「トム・モールトン・ミックス」と呼ばれるほど評判となります。グロリアゲイナー、B.T.エクスプレス、MFSB、グレース・ジョーンズなどなど、無数のディスコ系ミュージシャンのミックスを手がけていました。70年代中盤になると、ディスコ「パラダイス・ガラージ」のラリー・レヴァン、「ザ・ロフト」のデビッド・マンキューソら、著名なディスコDJとの交流も深めていきました。

ディスコ史の重要人物であり、現在のクラブコシーンを語る上でも欠かせないトム・モールトン。しかし、自分の名前でレコードを出すことは好まず、ヒットを生み出す「ソングドクター」と呼ばれるほど裏方に徹したミキサーでした。それでもようやく最近、ロンドンの再発レーベルからリリースとなったのが写真の2枚組CDです。

選曲は、私がディスコを聴き始める直前のころの70年代中・後期が中心。元テンプテーションズのエディ・ケンリックスやグレース・ジョーンズ、アイザック・ヘイズなどの曲が収録されています。

黒人ソウル系の古めのディスコが多いようですが、何しろ「トム・モールトン・ミックス」の貴重バージョンばかりですから、充実したラインアップ。こだわりある「正統派ソウルファン」の耳にも十分、耐えられるのではないでしょうか。

ただ、音は「あまりよくない」とはっきり申し上げておきます。聴いていてすぐ判明するのですが、レコードからの「直」録音ばかり。マスターテープはもう残ってないのかもしれませんけど、残念なことです。