ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

一発屋

スターズ・オン・45 (Stars On 45)

Stars On 45今回は「ディスコ好きなら一度は通る道」、「ショッキング・ビートルズ」でおなじみのスターズ・オン45で〜す。

1970年代末、オランダで結成された無名のセッションミュージシャン集団。音頭を取ったのは、かつて当ブログの「ロックなディスコ」でちょっと取り上げたオランダの老舗人気バンドのゴールデン・イヤリングの元ドラマー、Jaap Eggermontなる人物です。ポール・マッカートニーやジョン・レノンに声がそっくりのボーカルを探してきて、にわか作りのつぎはぎビートルズ・ヒットメドレーをリリース。アーチストの創造性ではなく、「これやったらウケるんじゃね?」のノリで実現した典型的な企画モノです。

えっ?「いかがわしくて、いかさまで、インチキ」だって?…その通り!でもそんなまがい物精神こそが、「なんでもあり」ディスコ文化の真髄です。しかつめらしく「ゴホン! ええ、そもそもディスコとは…」なんて理屈を説いては元も子もありません。ディスコとは、はっちゃけたおめでたさが命。虚実の皮膜を渡りきる、けだし勇敢な試み――「考えるな、感じろ(いやむしろ踊れ)!」なのであります。

ヒットメドレー・ディスコ自体は、それまでもシャラマーリッチー・ファミリービーチボーイズ・メドレーで知られるシー・クルーズ(Sea Cruise)といった数多くのアーチストが手がけているので、特別新しいわけではありません。でも、それらはあくまでも新たなアーチスト自身の声で歌うメドレーであり、「モノまね」ではありませんでした(モノまねだったらそれも面白いけど)。あのビートルズの手ごわい権利関係をクリアしつつ、原曲をとことん忠実に再現し、それにのりのりのディスコビートを絡めた点がユニークだったのです。

実際、驚くなかれ、このシングルは、あれよという間に由緒正しき全米ビルボードヒットチャートで堂々1位(81年4月、米ディスコチャートでは18位)を獲得したのです。ディスコブームが終わった後ですから、これは素直に偉業といえるでしょう。後のディスコ曲に多く見られる「メガミックス」にも通じる百花繚乱な贅沢さを兼ね備え、踊る阿呆を量産してきたのは確かです。もちろん、ディスコの現場でも人気曲でした。

……というわけで、私もまあ、聴き倒しました当時。最初は友人からレコードを借りて、奮発して“高級メタルテープ”に録音し(といっても400円程度の代物だが)、部屋にあったアイワ製ラジカセに入れてがんがん鳴らしていたものです。特にLPに入っているロングバージョンだと15分以上もあるので、鼓膜にこびりつくほどたっぷりと楽しめました。

しかし、そんな能天気に乗せられがちな私も、「さすがに安易過ぎる!」と、徐々に義憤を感じ始めました。気がついてみたら、彼らはアバだのスティービー・ワンダーだのローリング・ストーンズだのスペンサー・デイビス・グループ(これは渋い)だのと、ほかの大物たちの同系統の「ショッキングもの」メドレーを次々と世に送り出していたのです! しかも、ビートルズ以降の「似てる度」は微妙に低下し、“2匹目のドジョウ作戦”に飽き飽きしてきたのでありました。残念ながら、もはやショッキングではありません。

セールス的にもビートルズメドレー以外はふるわず、ディスコ界では栄えある「一発屋」(One Hit Wonder)の称号を得たスターズ・オン45。でも、何年も聴いていないと不思議とまた、古ぼけたレコードやCDに手が伸びてしまう魅力だけは、なんとなくある。そんなわけで、私のような人間がけっこう多いのか、再発CDは今も世界の市場でかなり出回っております。写真は国内ベスト盤(ビクター)全2巻のうちの1巻目。どのメドレーも似通った展開ではありますが、四の五の言わず、「あはははははははっ!」と頭を真っ白にして踊るには最適かと思われます。

ジグソー (Jigsaw)

Jigsawこの人たちは、もう絶対にあの曲しか浮かびません。……いや、いくらなんでも、もう1曲ぐらいあったはずだぞ……やっぱり、残念ながらどうしても浮かびませーん。……ハイそうです、「スカイ・ハイ」。

というわけで、今回は「天下御免の一発野郎」ジグソーであります。まあ、いまさら「リング・マイベル」「ディスコ・ダック」なんかの例を出すまでもなく、ディスコってやつは一発屋を大量に生んだジャンルですので、別にどうってことはないのですが、それにしても切な過ぎる、この一発ぶりは。

この曲は1975年の発売。文字通り天にも昇るような明るさと、親しみやすいにもほどがあるポジティブ・メロディー&リズム進行を特徴としています。米ビルボード一般チャートで3位まで上昇するなど、世界的に記憶される名曲の一つとなりました。ただし、詞の内容は「どうして僕たちの愛は終わらなければならなかったのか! 君が空高く吹き飛ばしてしまったんだぞ!」といった感じで、失恋を明るく歌っているようですが。

とりわけ日本での人気は別格で、当時テレビで大人気だったプロレスラーのリング入場曲に使われたこともあります。近くのスーパーの特売セールや子供向けイベントの会場などで、誰もが一度は必ず耳にしたことがあるはずです。当然ディスコでも流行りましたが、ホントにかかっちゃったら恥ずかしくて踊れなくなることウケアイです。

さて、そんなジグソーとはどんな人々なのでしょうか。実は、60年代から80年代にかけてかなり長期間、活動した英国のグループで、デビュー当初は相当に過激なハードロックバンドでした。あまりにも売れなかったからなのか、70年代には節操なくビートルズみたいなソフトロック路線に変更。それでもあまり売れなかったけれども、ディスコっぽさを導入した75年にかろうじて「スカイハイ」をヒットさせたのでした。

それでも、よくよく聴いてみれば、他の曲もそんなに悪くはありません。リードボーカルのデス・ダイヤー(Des Dyer)を中心としたコーラスワークは美しくまとまっていてなかなか印象的ですし、演奏もアレンジもしっかりしている。随所にシンセサイザーのような新しい技術を導入するなど、工夫の跡もみられます。

例えば、ギルバート・オサリバンみたいなポップロックの「Who Do You Think You Are」とか、いかにも70年代なバラード「My Summer Song」とか、メロウソウルな雰囲気の「You Bring Out The Best In Me」(素敵なMC付きのYouTube動画でどうぞ)なんて、(ディスコではないにせよ)もっとヒットしていても不思議はないほどの佳作だと思います。でも如何せん、ハードロックからディスコ、R&Bまでがむしゃらに手出しした分、キャリアを通してのバラバラ感や個性の乏しさ、軽さはどうしても否めません。

やっぱり、すべてにおいて「天下御免のスカイハイ」の大成功が災いしたのではないでしょうか。この曲はあまりにもインパクトが強過ぎました。もう完全に「ジグソー=スカイハイ=天下御免」が成立しています。もちろん、「不発の無名」よりはずっといいわけですけどね。

ジグソーのCDは、一発屋とはいえベスト盤がいろいろ出ています(全曲スカイハイというわけではなく)。5、6年前には、日本盤で個別アルバムもいくつかCDで発売されていまして、写真はその1枚の「Pieces Of Magic (邦題:恋のマジック)」(ビクター)。「スカイハイ」の後の77年に発売されたものですが、mrkickとしては恐る恐る買ってみたわけです。知らない曲ばかりでなんだか怖かったのですけど、意外や意外、ポップあり、かなりアゲアゲなシンセサイザー・ディスコあり、ファンク風あり、バラードありと、けっこう楽しめました(やっぱりバラバラなわけだが)。

Anita Ward (アニタ・ワード)

Anita Ward「ねえ、なんとかベルってないのお〜? ぽ〜ん、ぽ〜んっていうやつ…。あれ好きなんだよねえ〜」。およそ10年前のこと、私が遊びでDJをやっていたあるダンクラ・パーティーで、30代OLからこうけだるくリクエストされたのが、アニタ・ワード「リング・マイ・ベル」(79年)でありました。

イントロの「ぽ〜ん、ぽ〜ん」でたいていの人は分かってしまう(わけはない)のがこの曲です。っていうか、アニタワードといえばリングマイベル、リングマイベルといえばアニタワード。彼女は世界ディスコ界では、「ディスコ・ダック」(76年)のリック・ディーズ(Rick Dees)とならぶ“いとしの一発屋”なのであります
。何しろ、どちらも全米一般チャートで堂々の1位を獲得したのですが、その後は真っ逆さまでした。

1957年に米メンフィスで生まれたアニタ(アニータではない)は、やはりほかの黒人シンガー同様、ゴスペル教会で歌い始めました。勉強もできたため、学校卒業後は小学校の教職に就いたものの、歌が忘れられません。そこである日、まあまあ有名だったR&Bシンガー兼プロデューサーのフレデリック・ナイト(実はこの人も一発屋)に歌を聞かせたところ、「コレはイケルる!」ということで急遽、アルバム制作に入ったのでした。

デビューアルバムに収録するために、フレデリックはいくつか曲を作りました。けれども、レコードの収録キャパ的に「もう一曲、なんか欲しいなあ」ということになったのです。既に発売日までの日数的に余裕がなかったので、彼は「ええい、前に作曲しておいたのを使っちゃえ!」ということで、それを多少修正した上で「リング・マイ・ベル」としてアルバムに入れたのです。

この曲、もともとは、後に少し売れた少女歌手ステイシー・ラティソーのために作ったものでしたが、どういうわけかお蔵入りになっていたのでした。“子供用”ですので、歌詞は「恋する少女」が友人との電話で「あの人かっこいいよね」みたいにぺちゃくちゃしゃべっているような内容。あまりに幼すぎたために、「今夜はあなたと2人っきり。ねえ、あなた、私のベルを鳴らして! 雰囲気を盛り上げて!」という風に多少(相当に)、色っぽく変更したというわけです。

このアルバムは、彼女にとって、ゴスペル少女時代からの夢の実現そのものでした。ですから、「リング…」以外のほとんどの収録曲は、アーバンソウルなしっとりした曲ばかりなんです。彼女は「リング…」を歌うのを最初は凄く嫌がっていたのですが、「今はディスコの時代なんだ。だから一曲ぐらいほしい」とフレデリックが強く主張したため、結局は妥協したのです。アルバムタイトルも「Songs Of Love」ですしねえ。本当はバラード歌手、R&B歌手を目指してたのです。

ところが、何の因果か、「リング…」はあれよあれよと言う間にチャートを駆け上っていきました。アニタは突然にして、スター歌手の仲間入りをしてしまったのです。

…と、このあたりは、前回投稿のイブリン・キングと同じような「ラッキー・デビュー物語」ですが、そのあとがいけません。「リング…」以降にシングルカットした曲が、見事に大コケだったのです。大衆が望んでいたのは、やはりディスコであって、「アニタのバラード」ではなかったのでした。「安定した教職を捨ててまで歌手になったのに。私の青春を返して!キーッ!」と心の中で叫んでいたのかは知りませんが、もはや過去の人になっていたのでした。残酷なものです。

それでも、アニタの「リング…」がディスコ史に残した輝かしい足跡は、消えるものではありません。あの「ぽ〜ん」のイントロはどうしたって印象的です。実は「シンセ・ドラムを使った最初のディスコ」とも言われていますから、ビートの刻み方もしっかりしている。私の好きな曲の一つでもあります。

意外にも、この人のCDはけっこう再発されています。写真はドイツ盤のベストで、「リング・マイ・ベル」の12インチバージョン入り。この一曲のおかげで、「ベスト盤」が出ちまうんですから、偉大です。

ところで、「一発屋キング」リック・ディーズのその後は、けっこう明るいものでした。歌手としてはやっぱりダメダメだったものの、米国の超人気ラジオDJとして、いまだに大活躍中のようであります。

画質はイマイチですが、2人の当時の映像をYouTubeで見つけました。「間抜けでおバカでハッピーで哀しい」ディスコ・ダックと、「ベルを持つ右手がただ哀しみを誘う」リング・マイ・ベルであります。
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


たまには「ボカロでYMCA」
キュート奇天烈でよろし。
本業分野の著書!(自己宣伝)


初証言でつづる昭和国会裏面史!
著書です!(自己宣伝)


キーワードは意外に「ディスコ」。
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