Marvin Gaye今回は、前回のメロウついでに、今はなきソウル界最大級の功労者マーヴィン・ゲイさんと参りましょう!

マーヴィンさんといえば、「ソウル音楽の殿堂」モータウン・レコードの主力シンガーとして1960年代から活躍し、1971年発売のアルバム「What's Going On」(写真)は、今も70年代の新時代を告げる歴史的名盤として語り継がれています。まあ、ディスコなどでは括り切れない人物であることは確かですが、このアルバムのとき既にディスコ化の兆しもみてとれます。

というのも、69年発売の「M. P. G.」までは、「ズンチャ、ズンチャ」と明瞭に刻むドライなドラムビートをひとつの特徴とする典型的な60年代のモータウン・サウンドでした。でも、このアルバムからさわやかストリングスやパーカッションを取り入れるなどして、まるでフィリーサウンドのような軽やかなダンスビートを展開し始めるのです。天下無双の3オクターブの美声を誇るソウルの帝王たる彼自身は、ディスコブームそのものに違和感を抱いていたのですけど、「歌は世につれ」です。

マービンさんは1939年、ワシントンDCの敬虔なクリスチャンの家に生まれました。なにしろ父マービン・ゲイ・シニアはキリスト教系の聖職者。でも、幼少期にその父親からひどい虐待を受け、毎日のように暴行を受けていたといいます。それが、後の彼の人生観や音楽性にも大きな影響を与えました。

まずはお約束、地元の教会で歌ったり、ピアノやドラムを演奏したり、日々の苦悩を晴らすかのように音楽に打ち込みました。デトロイトのクラブなどで歌っているうち、60年ごろにモータウンの創始者であるベリー・ゴーディに見出されてデビュー。1962年のシングル「Stubborn Kind of Fellow」が最初のヒット(米ビルボードR&Bチャート8位)となり、注目されるようになりました。

この曲は70年代後半、元フィフス・ディメンションのルー・コートニー(Lou Courtney)がボーカルを務めるBuffalo Smokeというグループによってアップテンポな軽快ディスコとしてリメイクされました。イントロ部分がまったくなく突然コーラスが展開するというDJ泣かせな曲ですが、全体的にはなかなか良いアレンジでフロアではまずまずの人気となっています。

さて、ヒットを1曲出して勢いを得たマーヴィンさんは、破竹の勢いでスターダムを駆け上ります。とりわけ60年代半ばから後半にかけては、レーベルメイトであるタミー・テレルとの男女デュオ曲「Ain't No Mountain High Enough」(67年、米R&B3位、米一般総合チャート19位)、「Ain't Nothing Like The Real Thing」(68年、R&B1位、総合8位)、「You're All I Need To Get By」(68年、R&B1位、総合7位)などが大ヒットを記録しました。

この3曲ともに、以前に紹介した「ディスコの隠れた立役者」の夫婦デュオであるアシュフォード&シンプソンが作曲しており、彼ら独特のドラマチックな高揚感のある旋律が、聴く者、踊る者を桃源郷へと誘います。ほかにも、68年には「I Heard It Through The Grapevine」(R&B1位、総合1位)が彼の生涯を通じて最大のヒットになっております。

しかし、すっかり大スターになった70年前後には、自分はバラードを中心とする正統派ソウル歌手だと思っているのに、派手な世間受けするチャートヒットばかりを望むモータウン上層部とは方向性をめぐって何かと対立するようになります。ちょうどこのころ、パートナーとして全幅の信頼を置いていたタミー・テレルが、脳腫瘍により24歳の若さで急逝しており、加えてドラッグの常習や離婚問題も抱え、精神的に追い詰められた状態になってしまいました。

そんな彼が、起死回生の一発として繰り出したのが、「What's Going On」でした。マーヴィン自身がプロデュースし、ドラッグ中毒や戦争、失業、貧困、人種差別、環境破壊といった重〜い社会問題をテーマにしたコンセプトアルバムだったため、モータウン側は「こんな理屈っぽいレコードが売れるのか?」とあまり乗り気ではなかったのですけど、結果的には特大ヒットを記録。結果を出したマーヴィンさんはこれ以降、作曲、プロデュースを含めてより自由に自分の作品を手がけられるようになったのでした。

71年といえば、泥沼化するベトナム戦争の真っ只中。戦争や権力への抵抗を熱く歌い上げる骨太ロックや反戦ソウルが全盛期だった中で、「人がいっぱい泣いて、いっぱい死んでるけど、いったい何が起きてるの?お母さん、お父さん、お兄さん」「戦争は何も解決しないよ」などと極力柔らか〜く訴えるメッセージが、かえって人々の胸に響いたのです。

このアルバムでは、アルバムタイトル曲と「What's Happening Brother」、「Right On」などが、ピアノやストリングス、パーカッションをふんだんに活用したジャズ風の立派なダンス曲になっております。70年代初頭にもかかわらず、近い将来にディスコが担うことになる脱政治なウキウキ時代を予感させる先駆的作品でもあります。

この後、73年には、71年のウィルソン・ピケットの大ヒット曲で、日本でもテレビの人気コント番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)で使用されたあげあげダンスチューン「Don't Knock My Love」のカバーも出してヒットさせています(R&B25位)。

さらに、いよいよ到来した本格的なディスコ時代でも、パーカッシブでちょいとサイケな「I Want You」(76年、R&B1位)、彼の曲の中では最大級にファンキーディスコな「Got To Get It Up」(77年、R&B、総合、米ディスコチャートともに1位!)、それに淡々と8ビートで展開しながらも自然と腰がくねくね動き出す「A Funky Space Reincarnation」(78年、R&B23位)、シンセサイザーやラップの要素をとり入れた「Ego Tripping Out」(同17位)などのダンス系のヒットを世に送り出しました。70年前後までの全盛期ほどではないにせよ、繊細な色気たっぷりの美声は健在で、まさに「帝王」の名をほしいままにしております。

それでも、80年代以降は、さすがに失速してきたマーヴィンさん。2度目の離婚や極度のドラッグ依存、うつ疾患、10億円以上ともいわれる巨額の借金、脱税問題のほか、モータウンとの確執もピークに達し、81年に発売したアルバム「In Our Life Time」(下写真)を最後にモータウンを離れました。このアルバムも「アメリカの核戦争による世界の終わり」なんかを歌ったかなりメッセージ性が強くてスピリチュアルな作品でしたが、借金返済の目的もあって相当に世俗ディスコを意識した内容でもありました。「Praise」とか「Love Party」みたいなダンサブルな収録曲が多くて素敵でしたけど、残念ながらセールス的にはいまひとつとなっております。

この翌82年、移籍先のCBSからアルバム「Midnight Love」をリリースし、これが久々の特大ヒットを記録。中でも、日本製リズムマシンの名機TR-808を駆使したシングルカット曲「Sexial Healing」は、R&Bチャート1位、総合チャート3位、ディスコチャート12位まで上昇し、80年代のR&B界を代表する一曲となりました。さすがの天才、ここで人生の再逆転です。…けれどもまた好事魔多し、2年後の84年4月1日、かねてより不仲だった父親と口論の末、なんと銃殺されるという悲劇に見舞われてしまうのです。まだ44歳でした。

ダンスフロアに鳴り響くディスコ音楽では、「ボディー・アンド・ソウル」(身も心も)という心身二元論が歌詞などによく用いられますが、むしろ心身合一こそがディスコの真骨頂。フロアで踊りまくって汗だくになって、「あれ、どっちが体でどっちが心だっけ?」というぐらいに倒錯してこそ、多幸多福な感覚を覚えます。「心が躍る」とはまさにこのことでしょう。ステージ上での貫禄たっぷりのエンターテイナーぶりとは裏腹に、心身が乖離したかのような破滅的な日常を歩んでしまったマーヴィンさんですが、それはもうディスコな生き様そのものだったといえます。

CDはベスト盤はもちろん、アルバムもさすがにほぼ全部が再発できちんと出ています。ディスコ的には、「What's Going On」の次に「In Our Lifetime」、「Hear My Dear」、「I Want You」へと進み、最後に「Midnight Love」で締めくくると、ディスコなマーヴィンさんが少しずつ見えてきます。ほとほと音楽家ってうらやましいですね。蓋し、「身は滅んでも、魂は生き続ける」(やっぱり心身二元論)。

Marvin Gaye_In Our Lifetime