Jackson 5最近の東京地方、やけに湿度が増してきております。ふうぅ暑い暑い・・・・・・というわけで、「希代のスーパースター」マイケル・ジャクソンの謎の急死については、ディスコ堂としても語っておかなければなりません。なにしろ私自身、ディスコに通った時代には聴きまくっていましたし、彼の踊りをフロアで真似てみたことも多々あったわけですから(そもそも手足が短くて真似にならなかったが)。ホントお世話になりました。

死の本当の理由などもちろん分かりません。警察の捜査が進んでも、表面的なことしか判明しないのではないでしょうか。でも、彼の過去の夥しい整形疑惑や「小児愛者だった」「薬漬けだった。それに借金漬けだった」といった報道を見ていくと、やはり音楽や映画の世界的大スターの死によくみられるある種の「自殺っぽさ」を感じざるを得ないですね。

当ブログでは3年前にマイケルを取り上げた際、同じ50代前半で死んだ石原裕次郎を引き合いに、奇行癖のある彼について少し書き綴ったことがありましたが、そんな破滅型の人生こそが、彼の寿命を縮めたといっていいと思います。

マイケルはもう、カッコ付きの「マイケル・ジャクソン」として世界ブランド化されていました。今回の報道で「マイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社」なる会社が日本にあることを知り、「そのまんまじゃん!」と驚嘆しつつも、後になって「なるほどな」と妙に納得したものです。もはや生身の人間を越えた「私人兼法人」のような存在。これでは、本当の自分が自分自身の虚像に押しつぶされ、アイデンティティーを見失ってしまうでしょう。

「マイケル・ジャクソン」の礎はいうまでもなく、実の兄弟たちと結成した「ジャクソン5」(上写真はCD「The Ultimate Collection」)にあります。「黒人音楽の砦」モータウン・レーベルのニューフェイスとして1969年、鳴り物入りでデビューしたマイケルたちは、デビュー曲「I Want You Back」から4曲続けて米ビルボード・ポップチャート1位を獲得するなど、驚異的な人気を示しました。

ジャクソン5のメジャーデビューに向けて、モータウンは、マイケルの年齢を偽って3歳減らして8歳にして「あどけなさ」を強調したり、アカの他人の黒人ミュージシャンをバンド・メンバーに加えて「ジャクソン兄弟のいとこで〜す♪」と紹介したりして、マーケティングに腐心しました。結果的に、黒人としては初めて「一般白人にも受けいれられるアイドル」となったわけですが、このころには既に、「マイケル」の虚像人生は始まっていたともいえます。

70年代半ばにジャクソン5は、セールスが落ちたことに加えて、モータウンとの間で契約について争いが生じたため、別のレーベルに移籍。グループ名も「ザ・ジャクソンズ」に変えました。

マイケルは70年代後半にはソロ活動を本格化。折りしもディスコ・ブームが絶頂期を迎えたころです。ダンスの上手いマイケルは、クインシー・ジョーンズという敏腕プロデューサーを味方につけ、アルバム「オフ・ザ・ウォール」(79年)で「歌って踊れる大スター」としての地位を不動のものとしました。

このアルバムからは、レコードA面1、2曲目の「Don't Stop 'Til You Get Enough」(今夜はドント・ストップ)と「Rock With You」(ロック・ウィズ・ユー)がビルボード・ディスコチャート2位まで上昇しています。

さらに82年の「スリラー」で、「マイケル・ブランド」を確立するわけですね。ディスコ的には、このころのポール・マッカートニーとのデュエット「Say Say Say」(83年、ディスコチャート2位)も印象深い。当時の地元・札幌のディスコでよくかかっていて、DJボックスの傍らに、二人が並んで写っている写真が載った青いジャケットが置かれていたのを、今でも鮮明に思い出します。

一方で、「Black 0r White」(91年、ディスコチャート2位)などでは、やや過激な反人種差別メッセンジャーぶりも披露しました。巨額のカネが動く音楽ビジネスに幼いころから身を置く中で、相変らずの白人優位社会への怒りやコンプレックスを増幅させていったフシもあります。だからこそ努力を重ねて、人種やジャンルの垣根を越えた「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるまでになったのかもしれせん。

その文脈の中に、「整形疑惑」や「奇行」があったのでしょうか。思えば、「Black 0r White」のあたりから、彼の“不思議ちゃん”ぶりがどんどんエスカレートしていきましたからねえ・・・・・・。彼はあまりマスコミに本音を語らない人でしたから、誤解や根拠のない憶測も生じやすかったのだとみられます。いずれにしても、彼が伝説になってしまった今、このあたりの謎も、解かれることは永遠になくなってしまいました。

――まあ、彼の歌やダンスの才能は誰もが認めるところですし、スターになった最大の要因は「実力」であったことはいうまでもありません。私も文句なしに大好きな歌手でした。マイケルは孤独で繊細で、そして飛び切りカッコいい「ディスコのスター」でもあったのです。

日本人の私としては、時宗・一遍さんの「おどり念仏」よろしく、マイケルの曲で激しく踊って供養してあげたいところです。来週あたり、筋肉痛必至でどこかの「ダンクラ・イベント」に顔を出しましょうかな(かなりトホホ)。

最後に、Youtubeで見つけたマイケル少年のダンス映像を以下、貼り付けておきます。ジャクソン5時代の動画でして、ロッキング・ダンスにロボットダンスを組み合わせた「極めて華麗なるダンス」を披露しています。ほかのメンバーも上手なのですが(番組ホストらしきおじさんは除く)、彼のリズム感や切れ味はダントツです。マイケルの早熟かつ圧倒的に非凡な才能の原点をここに見ることができるでしょう。