東日本大震災から2年が経ちました。2月下旬から3月初めにかけて、4回目の現地取材に行って参りましたので、自分で撮った写真をいくつか紹介しておきます(クリックで拡大)。記事は来週、再来週の2回にわたって、ネットメディアの「nippon.com(ニッポンドットコム)」に掲載されます。今後も定点観測を続けたいと考えています。次回からは再び通常の音楽ブログに戻ります。


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津波でひしゃげた線路は撤去された。周囲には新築の家も=JR仙石線東名駅



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ここも津波に流されたが、一部の松は生き残った=宮城県東松島市野蒜地区




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誰もいなくなった松原の住宅跡に、持ち主不明の黒電話が置かれていた=同市野蒜地区



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震災直後には流された家や車が沈んでいた運河。橋は補修されていない=同市野蒜地区



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地元住民によると、付近の店の商品は震災5日後には全部なくなっていた=JR仙石線野蒜駅




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全校児童の7割が犠牲になった大川小学校。傍らでは整地工事が進む=石巻市釜谷地区



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瓦礫は取り除かれ、この防災対策庁舎跡の周囲は更地になった=南三陸町志津川地区



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港から1キロほど内陸へ進むと、プレハブの仮設商店街に辿りついた=同町志津川地区



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巨大な船は、流されたままの形で更地の中にぽつんと残されている=気仙沼市



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かつての中心市街地。津波は、病院のあるこの土手の上に達した=女川町



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土地のかさ上げを含む港の復旧工事は、最近になって本格化したばかりだ=同町



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倒壊した鉄筋のビルは、突き刺さった車とともに放置されている=同町



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朝日を臨む丘に建つ慰霊碑。この町の死者・行方不明者数は約900人を数える=同町



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道の駅「高田松原」付近。観光ホテルの取り壊し作業が続く=岩手県陸前高田市



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白砂青松の海浜は跡形もなく消えた。遠くの一本松が天災の惨さを物語る=同市