パティ・ラベル、ポインター・シスターズ、ウェザー・ガールズ、ロレッタ・ハロウェイ、ジョセリン・ブラウン…。これまでに紹介してきた面々は、いずれも幼少期に歌いこんできたゴスペル・ミュージック(黒人の教会音楽)を基盤としたディスコ界の「超ダイナマイトボイス」の持ち主たちであります。そして、「あてを忘れたらいかんぜよ!」(いきなり土佐弁)と参戦しないと気が済まないのが、今回紹介するシェリル・リンさんです。
1957年、米ロサンゼルス生まれ。地元教会の少女コーラス隊で修行した後、76年に米国の“のど自慢”テレビ番組「ザ・ゴングショー」で圧倒的な歌唱力を披露して注目され、大手コロムビアレコードと契約。78年に発表したデビュー曲が「ゴット・トゥ・ビー・リアル」で、これが米R&Bチャート1位、米一般チャート12位、米ディスコチャート11位という彼女にとって最大のヒットとなったわけです。かつて取り上げた「掃除のバイトから人気歌手」パターンのイブリン・キング並みのシンデレラ・ガールぶりです。
「ゴット・トゥ・ビー・リアル」は押しも押されぬダンスクラシックスの世界的定番ですが、この人にはほかにも腹の底から歌って踊れる重量級ディスコが目白押しです。
例えば、「ゴット・トゥ…」が収められた同名デビューアルバムに入っている「スター・ラブ」なんてのは、バラード調イントロから恐る恐る入って、じらし抜いた後にいきなりアゲアゲのアップテンポに移行する「突然狂喜乱舞型」です。「うんにゃあ!、はっ!、わんにゃあ!、はっ!、にゃいにゃいにゃいにゃい!♪」と、まったく「幸せわんにゃ!、歩いてこんにゃ!♪」(「365歩のマーチ」より)でお馴染み、全盛期の水前寺清子顔負けの“ネコこぶし唱法”(ちょっと意味不明にせよ)に悩殺されることウケアイです。
私が個人的に最も好きなのは、ディスコ最盛年の79年に発表した2枚目アルバム「イン・ラブ」であります。ほぼ全編にわたって「わんにゃあ!」の煽り系ディスコであることは言うに及ばず、70-80年代の米ポップス界を代表する名プロデューサーであるデビッド・フォスターやボビー・コールドウェルなどの大物ミュージシャンを起用している贅沢盤でもあります。
当時としてはやや早めにシンセサイザーを本格導入している音作りにも、「ディスコノリ」の点から好感が持てます。特に、A面3曲目「フィール・イット」はもう、スター・ラブ以上に「にゃあにゃあにゃあ、ふう! はっ!」とジャングルで雄たけびを上げる猛獣のごときもの凄い超絶パワーですので、とりわけ私のような中年の身にとっては、これで踊るのは相当な覚悟が必要です。
彼女は80年代に入って大きく路線を転換。「わんにゃ!」のトーンを落とし、バラードを含めた「大人のR&B」歌手への道を目指し始めます。聞けばすぐ分かってしまう「レイ・パーカー節」が持ち味のレイ・パーカーJrのプロデュースによるアルバム「イン・ザ・ナイト」(81年)では、「シェイク・イット・アップ・トゥナイト」(81年、R&B5位、ディスコ5位)のような「やや激しい路線」も残してはいるものの、全体的には「イン・ザ・ナイト」みたいな「しっぽりアダルト」な曲の方が中心を担っています。
その後、「インスタント・ラブ」(82年、R&B16位)、ルーサー・バンドロスとのデュエットによるバラード「If This World Were Mine」(同年、同4位)のほか、SOSバンドなどを手がけたジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュースによる「アンコール」(83年、R&B1位、ディスコ6位)と「フィデリティー」(85年、R&B25位)、さらに「If You Were Mine」(87年、同11位)といった落ち着いた雰囲気の洒落たヒット曲を80年代を通してコンスタントに繰り出しました。
ディスコ期にピークを迎えながらも、しぶとくポスト・ディスコ期を生き抜いたという点では、なかなかの試合巧者といえるシェリル・リン。その最大の要因は「無敵のゴスペル・パワー」にこそあると言えるのではないでしょうか。最初に名を挙げたパティ・ラベルやポインター・シスターズなども、同様に70年代に頭角を現し、80年代までしっかりと成功を持続しました。
米国で最も黒人解放運動が高揚したのは1960年代ですが、そのころに少女時代を過ごしたゴスペル出身歌手は、最初から気合の入り方が違う。私にとっては前々回に投稿した一遍上人の「踊念仏」とも二重映しになります。解放と救済への祈りを込めた音楽は、まさに魂の叫び。宗教特有の神秘性をもしっかりと帯びて、やはりどこまでも「わんにゃ!」と粘り強いのであります(きっぱり)。
CDは国内盤、輸入盤、それにベスト盤ともにかなり充実しています。写真は、ディスコ好きなら必ず所持していたいデビューアルバム「ゴット・トゥ・ビー・リアル」(ソニー盤)。ほかのアルバムも、国内盤でここ数年、相次いで「紙ジャケット」で発売されています。
1957年、米ロサンゼルス生まれ。地元教会の少女コーラス隊で修行した後、76年に米国の“のど自慢”テレビ番組「ザ・ゴングショー」で圧倒的な歌唱力を披露して注目され、大手コロムビアレコードと契約。78年に発表したデビュー曲が「ゴット・トゥ・ビー・リアル」で、これが米R&Bチャート1位、米一般チャート12位、米ディスコチャート11位という彼女にとって最大のヒットとなったわけです。かつて取り上げた「掃除のバイトから人気歌手」パターンのイブリン・キング並みのシンデレラ・ガールぶりです。
「ゴット・トゥ・ビー・リアル」は押しも押されぬダンスクラシックスの世界的定番ですが、この人にはほかにも腹の底から歌って踊れる重量級ディスコが目白押しです。
例えば、「ゴット・トゥ…」が収められた同名デビューアルバムに入っている「スター・ラブ」なんてのは、バラード調イントロから恐る恐る入って、じらし抜いた後にいきなりアゲアゲのアップテンポに移行する「突然狂喜乱舞型」です。「うんにゃあ!、はっ!、わんにゃあ!、はっ!、にゃいにゃいにゃいにゃい!♪」と、まったく「幸せわんにゃ!、歩いてこんにゃ!♪」(「365歩のマーチ」より)でお馴染み、全盛期の水前寺清子顔負けの“ネコこぶし唱法”(ちょっと意味不明にせよ)に悩殺されることウケアイです。
私が個人的に最も好きなのは、ディスコ最盛年の79年に発表した2枚目アルバム「イン・ラブ」であります。ほぼ全編にわたって「わんにゃあ!」の煽り系ディスコであることは言うに及ばず、70-80年代の米ポップス界を代表する名プロデューサーであるデビッド・フォスターやボビー・コールドウェルなどの大物ミュージシャンを起用している贅沢盤でもあります。
当時としてはやや早めにシンセサイザーを本格導入している音作りにも、「ディスコノリ」の点から好感が持てます。特に、A面3曲目「フィール・イット」はもう、スター・ラブ以上に「にゃあにゃあにゃあ、ふう! はっ!」とジャングルで雄たけびを上げる猛獣のごときもの凄い超絶パワーですので、とりわけ私のような中年の身にとっては、これで踊るのは相当な覚悟が必要です。
彼女は80年代に入って大きく路線を転換。「わんにゃ!」のトーンを落とし、バラードを含めた「大人のR&B」歌手への道を目指し始めます。聞けばすぐ分かってしまう「レイ・パーカー節」が持ち味のレイ・パーカーJrのプロデュースによるアルバム「イン・ザ・ナイト」(81年)では、「シェイク・イット・アップ・トゥナイト」(81年、R&B5位、ディスコ5位)のような「やや激しい路線」も残してはいるものの、全体的には「イン・ザ・ナイト」みたいな「しっぽりアダルト」な曲の方が中心を担っています。
その後、「インスタント・ラブ」(82年、R&B16位)、ルーサー・バンドロスとのデュエットによるバラード「If This World Were Mine」(同年、同4位)のほか、SOSバンドなどを手がけたジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュースによる「アンコール」(83年、R&B1位、ディスコ6位)と「フィデリティー」(85年、R&B25位)、さらに「If You Were Mine」(87年、同11位)といった落ち着いた雰囲気の洒落たヒット曲を80年代を通してコンスタントに繰り出しました。
ディスコ期にピークを迎えながらも、しぶとくポスト・ディスコ期を生き抜いたという点では、なかなかの試合巧者といえるシェリル・リン。その最大の要因は「無敵のゴスペル・パワー」にこそあると言えるのではないでしょうか。最初に名を挙げたパティ・ラベルやポインター・シスターズなども、同様に70年代に頭角を現し、80年代までしっかりと成功を持続しました。
米国で最も黒人解放運動が高揚したのは1960年代ですが、そのころに少女時代を過ごしたゴスペル出身歌手は、最初から気合の入り方が違う。私にとっては前々回に投稿した一遍上人の「踊念仏」とも二重映しになります。解放と救済への祈りを込めた音楽は、まさに魂の叫び。宗教特有の神秘性をもしっかりと帯びて、やはりどこまでも「わんにゃ!」と粘り強いのであります(きっぱり)。
CDは国内盤、輸入盤、それにベスト盤ともにかなり充実しています。写真は、ディスコ好きなら必ず所持していたいデビューアルバム「ゴット・トゥ・ビー・リアル」(ソニー盤)。ほかのアルバムも、国内盤でここ数年、相次いで「紙ジャケット」で発売されています。