Ippen突然ですが、今回は脱線必定の「番外編」です。今月中旬の炎天下、愛媛県松山市界隈のお遍路道の一部約40キロを2日間かけて歩いてきました。雑誌の企画だったのでせわしない旅だったのですが、私にとってはついでに「元祖ディスコDJ」一遍上人(1239−89)ゆかりの地を訪問できたのが何よりの収穫でした。

いうまでもなく遍路は、四国讃岐で生まれた平安期の高僧空海(弘法大師)ゆかりの霊場八十八カ所を礼拝する旅です。その空海没後約400年の鎌倉時代、同じ四国の地に突如として現れたのが、現在の松山市道後温泉近くで生まれ育った僧・一遍さんです。

一遍さんは、岩手県から九州まで全国各地を訪ね歩く“遊行(ゆぎょう)”を行い、「南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば必ず極楽往生できる」と民衆に説きました。その際、「南無阿弥陀仏 六十万人決定(けつじょう)往生」と書かれた念仏札を配るとともに、かねてより尊敬していた僧・空也(くうや)が平安期に最初に実験的に始めた「踊念仏(おどりねんぶつ)」を訪問先の寺院や広場、市場、それに即席で建てた「踊り屋」(特設ディスコ)で決行してみたところ、地元の人々に大ウケしたのでした。

念仏を唱え、自然の感情に身を任せて踊り狂うことで煩悩を吹き飛ばし、一切を捨て去ることで心の安寧を得ようとする踊念仏。そんな斬新な修行法にひかれる信奉者は、瞬く間に増えていったのです。一遍さんの精神は、今も続く時宗へと受け継がれています。私は2年前に時宗の総本山の清浄光寺(藤沢市)を訪れておりまして、そこで一遍像(写真上)などを見てきたのですが、今度はその故郷を仕事で訪ねられたのは幸運でした。

念仏札に書かれた「六十万人」は、一遍さんが当面の目標としていた救済人数です。多いのか少ないのか?「あらゆる民衆をお救いいたしますぞ」と豪語した高僧にしては、なんだか中途半端な気もしてきますけど、「とりあえず六十万人の極楽行きを決めてあげて、さらにもっと増やしていこう」と意気込みを示したのでした。史料によれば、生涯で計25億1724人に札を配ったとされてます。…今度は「地球規模のすんげえ数!」とうろたえてしまいますが、実際には25万1724人だったとの説もあります。

どのみちいい加減でコワい気もしますけど、それこそが「踊る高僧」一遍さんの自由奔放で慈悲深いところだと思います。ともかく、「元祖DJの音頭取り」に導かれながら、「念仏チケット」を手に入れた熱狂的ダンサーが加速度的に増えていったのは事実です。海外から蒙古軍が繰り返し攻めてくる(元寇)など世情が不安定だった時代、この神秘的ながらもシンプルで分かりやすい踊念仏信仰は各地で大評判を呼んだのですね。

踊念仏は、後に田楽、猿楽、能楽、神道系の神楽などと結びつき、風流踊(ふりゅうおどり)、歌舞伎、日本舞踊や、“集団祝祭舞踊”としてのディスコの源流である盆踊りへと発展していきました。あらゆる日本の舞踊芸能の原型ともいえるのです。特に、神楽のような神社(神道)で行われる神事と、踊念仏の仏事が神仏習合して影響を与え合い、日本の芸能へとつながっていった点が興味深いと思います。つまり、一遍さんも僧侶であると同時に、神と民衆をつなぐシャーマン(みこ、ふげき)の役割も果たしていたといえます。

古来、「踊り」には、極楽往生や五穀豊穣や武運長久、それに死者への鎮魂といった「祈り」の要素が含まれています。こうした傾向は世界各地に見られますので、海外のディスコについても、祝祭的な意味合いが少なからず残っていたはずです。

今回、私がお遍路で出発したのは岩屋寺(写真下)というところ。ここは一遍さんが35歳のときに岩窟に篭って修行した場所で、寺の周囲は今でも見上げるばかりの絶壁になっています。私もはしごを10メートルほど登って、修行したと伝わる空中フロアみたいな岩の窪みの空間に立ち、踊念仏風のブレイクダンスをやってみようと思いましたが、足がすくんであえなく断念しました。

その後の行程でも、一遍さんが修行した庵の跡や生誕地の寺(宝巌寺)などなど、ゆかりの場所が目白押しでした。私は主役であるはずの弘法大師への尊敬の念を保持しつつも、「ディスコの聖地探訪」にもっぱら精を出したのでした。

さて、一遍さんが生きた700年前に遡りましょう。一遍の死から10年後に書かれた国宝の伝記絵巻「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」(踊念仏の参考画像・東京国立博物館公式HP)によると、彼は遊行の途中に立ち寄った比叡山延暦寺で、地元の僧に「踊りながら念仏を唱えるとはけしからん!」などと難詰されました。しかし、一遍さんは悠然と歌で返します。

「はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの のりのみちをば しるひとぞしる」

「春の野にいる若馬が跳ね回っているように、跳ねたければ跳ねればいいし、踊りたければ好きなように踊ればよい。自然に仏の教えを身につけることができるでしょう」―というわけです。

けれども、その僧は気色ばみながら、「心の中の若馬を乗り静めるのが仏の教えだ。心の欲望を抑えるべきなのに、なぜそのように踊って跳ねなければならないのだ、うん?」としつこく食い下がりました。それでも、頑固一徹な一遍さんは表情を崩さす、こう続けたのです。

「ともはねよ かくてもをどれこころごま みだのみのりと きくぞうれしき」

「いやいやいや、ともかく踊りたいという心があれば、心のままに踊ればよいのだ。そこで得られる喜びこそが、阿弥陀如来のお声だと思えば嬉しいことこの上ないぞよ」―というわけですね。いやはや、まさに無我の境地で踊り狂うディスコ精神そのものではないでしょうか。踊る者は救われるのです。「同じ阿呆なら踊らにゃ損」なのです。

実際、遊行中の一遍さんがゆくところ、どこでも老若男女、富める者、貧しき者がぞろぞろと後からついていったといいます。もう、まさにドイツで同じ時期(1284年)に発生したとされる伝説「ハーメルンの笛吹き男」状態です。同じ鎌倉期の絵巻物「天狗草子」などには、踊念仏について「貴賎なく人々が集まり、男も女も真っ裸になって踊りまくっていた」とか「念仏を唱えながら頭や肩を狂ったように激しく振り、畜生のようだった」といった度肝を抜く表現も見えます。

ですから、「下々の者がなんと不埒な!」と、秩序の乱れを恐れる時の権力者から睨まれ、取り締まりの対象になる場合があったわけです。実際、一遍さん御一行はある日、幕府のある鎌倉にぞろぞろと“進出”しようとしたところ、警戒中の武士たちに阻止された、とのエピソードも残しています。このときは、仕方なくちょっと手前の村(現在の神奈川県藤沢市片瀬地区)に留まり、全力で踊りまくったのでした。その様子については、上記「一遍聖絵」の第六巻に「七日の日中にかたせの浜の地蔵堂にうつりゑて、数日をくり給えけるに、貴賤あめのごとく参詣し、道俗雲のごとく群衆す」との記述があります。当局に妨害されて、かえって「ダンス魂」に火が付いたというわけです。

このあたり、幕府の監視下にあった江戸時代の歌舞伎、そして警察が目を光らせる現代のディスコ、クラブなどの歌舞音曲と相通ずるものがありますね。

一遍ダンスの「音源」は、身近にある鉦(かね)や鉢(はち)や太鼓、それにお銚子などの食器でした。「一遍聖絵」では、一遍さん自身が鉢を猛然と叩いている様子も描かれています。えてして上から目線で説教する一般的な教祖ではなく、同じ目線で一緒に「いけいけ!」と盛り上がっているわけです。そんなDJが繰り出す音楽に思い思いに身を委ね、心と神仏が一体になる恍惚、興奮状態はまさに、かつてのディスコフロアと同じアナーキーな状況でした。

70年代後半からバブル景気が終わった90年ごろまで続いた日本でのディスコ期には、神仏と戯れるかのようにトランス状態で愉快に踊る「忘我族」が、フロアを埋め尽くしていました。もちろん、“シャーマン”役はDJです。

とりわけ70年代には、曲に合わせて皆が同じ振り付けで踊る盆踊りの延長といえる「ステップ」が流行しました。80年代に入って、それぞれが勝手気ままに踊る「フリーダンス」が主流となりましたが、これはかえって自由奔放さがウリだった踊念仏に「先祖返り」したようでもありました。フロアに居合わせた者は皆、DJがかける曲に合わせて「勝手に踊って、ひとりでに調和する」(アナーキスト大杉栄の言葉)喜びに、浸りきっていたのです。(以前の投稿ご参照

もちろん、現在のクラブにも同様の要素は残っていますけれども、一遍さんの踊念仏のように「老若男女分け隔てなく救う」という感じではない。そもそも音楽ジャンルも細分化して、「みんなが知っているような曲」が極端に少なくなっていますからね。

最後に訪ねた宝巌寺では、住職さんが「あの当時は、雲上人から穢多、非人、らい病の患者まで、身分や貴賎や貧富に関係なく、みんなが一遍を信奉していました。踊念仏は、激しいタイプと大人しいタイプと二通り伝わっていますが、特に激しいタイプは、足を跳ね上げて、ディスコのように踊るというものです」と話していました。

現在伝わる踊念仏をYoutube映像で見てみると、700年の伝統だけにもの凄く素朴ながらも、「リズムに合わせて踊る」という基本はしっかりと抑えています。いずれぜひ、各バリエーションの踊念仏をじかに見てみたいものです。

やはり「日本のディスコのルーツここにあり」と思わずにはいられません。文明の豊かさの恩恵を受けている現代人も、煩悩のストレスは増える一方です。「何かと踊りたがる人間の本性は、一遍さんの時代と変わっていない」という事実をあらためて噛み締めるわけです。

――というわけで、今回の曲につきましては、仏教ゆかりのネパールのカトマンズにちなんだオリエンタルな名曲「ヒルズ・オブ・カトマンズ」(タントラ)と「ザ・ブレーク」(カトマンズ)のYouTube動画を強引ながらリンクしておきます。

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*遍路原稿掲載の雑誌「BE-PAL」(小学館)は8月10日発売です。