The Mexican自由な発想を基本としたアメリカ発の「フリースタイル」は、80年代初頭に登場以降、ディスコシーンにさまざまな影響を与えました。踊りもラインダンス(ステップダンス)のような形式ばったものではもちろんなく、ブレイクダンスに象徴されるようにおおらかになりまして、「オレの身体能力の限界に挑戦してやるぜ!」みたいに爆発的に派手になっていきました。

まあ、以前にも触れましたが、踊りが音楽ともども一層フリーになった分、「リズムに合わせる」という基本が、ちょいと疎かになってなっていった部分がありますが、それはご愛嬌でしょうか。

いずれにせよ、「アメリカではもうディスコの時代は終わった」というわけで、ヤケになったのかどうか、いろんな場面で既成の枠を越える現象が出てきました。「フィリーサウンド」(例:オージェイズ、MFSB)みたいな生音オーケストラのディスコは見事に駆逐され、代わってドラムマシーンやシンセサイザーの電子音満載の音楽が幅を利かせるようになります。

それはニューウェーブだったりロックだったりパンクだったりファンクだったりと、いろんな姿で飛び出してきました。とにかくシンセサイザーは「かっきり、くっきり」鋭角的にバカ正直にビートを刻みますから、踊り手としては非常に踊りやすい。DJもつなぎやすい。どんなジャンルの音楽にせよ、ドラムにこうした電子音を利用してしまうと、もう否応なしに「もしかしてディスコ?」な音になってしまうのでした。

実際、私も一生懸命、「ディスコでも踊れそうな曲はないかな」って思ってFMラジオでエアチェック(カネがないのでトホホ)するうち、あらゆるジャンルがカセットテープに録音されていることに気付き、愕然とした記憶があります。「えぇ? スティーブ・ミラー・バンドが?、クラッシュが? Jガイルズ・バンドが? トッド・ラングレンが? デビッド・ボウイが?」という具合にです。

こうした「お手軽に枠越え」現象が続出する中、ディスコのDJたちの中にも、それまでの単に「曲をかけて紹介して、つないで、踊らせる」という役割を離れようとする状況が生まれました。ディスコが衰退しつつも、なお踊りたい人はいっぱいいたわけですから、ディスコDJの需要そのものはあり続けたのですけど、それだけにとどまらなかったのです。ついに禁断の「制作者サイド」にまで進出してしまったのでありました。

その最大の例は、「パラダイス・ガラージ」の主力DJだったラリー・レバンや「スタジオ54」、「ファンハウス」の超人気DJだったジェリービーンといえましょう。特にジェリー・ビーンは、当時最先端の「フリースタイル」を踏襲したディスコリミックスを数多く手がけ、「ディスコ(ダンス)ミュージック)」という領域を飛び出し、日本で言う一般的な「洋楽ポップ界」でも大活躍でした。

何しろ、マイケル・ジャクソンからポインター・シスターズ、シーナ・イーストン、トーキング・ヘッズ、ホイットニー・ヒューストン、ボニー・タイラー(「秀逸のダンスリミックス「ヒーロー」!)に至るまで、いろんなトップ・アーチストたちの「12インチリミックス」を次々と手がけた人なのです。私自身、12インチシングルを買い始めた80年代前半、「Remix: John "Jellybean" Benitez」というクレジットを何度、目にしたか分かりません。80年代の12インチ全般にいえることですが、この人のリミックスは、最近のものとは違い、原曲を損ねない程度にうまくアレンジし、かつ踊りやすくしているところが高評価であります。

ジェリービーンの本名はJohn Benitezで、1957年生まれのプエルトリコ系アメリカ人。少年期を過ごしたニューヨークでディスコミュージックと出会い、自室で姉のレコードをかけながら、「ベッドルームDJ」に熱中するうちに、プロ入りを決意。さまざまなディスコを渡り歩き、1980年代以降にはそのセンスを買われて、レコード会社関係者やアーチストと行動するようになり、リミキサーとしての地位を不動のものとするのです。

イケメンDJでもあったジェリービーンは、ブレックファスト・クラブ(87年に「ライト・オン・トラック」がディスコで大ヒット)が80年代前半、リミックスを頼みに来た際、当時メンバーだったかのマドンナを紹介され、彼女と恋仲になったことでも知られます。ただし、後に特大スターとなったマドンナには結局、振られてしまい、自分がDJを務めるディスコで大暴れしたとのエピソードも残しています(当時の報道より)。

ジェリービーンは、他のアーチストのリミックスやプロデュースだけではなく、自分名義のアルバムやシングルもいくつか出しています。84年には、もろフリースタイルのアルバム「Wotupski!?!」を発売し、その中で「ザ・メキシカン」と「サイドウォーク・トーク」(マドンナがボーカル担当)が、全米ディスコチャートで堂々1位を獲得しています。ほかに「ザ・リアル・シング」(87年、同1位)、「Who Found Who」(87年、同3位、ボーカルはなぜかマドンナ似のElisa Fiorillo)、「ジャスト・ア・ミラージュ」(88年、同4位)「ジンゴ」(88年、同2位)なども、彼のラテンでダンサブルな個性がにじみ出ていて、とても印象深い佳曲であります。

一時代を築いた“DJミュージシャン”、ジェリービーン。……ところが、CDの再発状況は、実に心許ないのでした(しょんぼり)。1988年(!)発売の12インチ集「ロック・ザ・ハウス」(上写真)はなかなかよいのですが、代表曲の「ザ・メキシカン」が入っておらず、中途半端な印象。ほかにもいくつか出てますけれども、たいしたことなし。せめて珠玉の「Wotupski!?!」(下写真)を早くCD化してほしいと、心から願っております。

Jellybean