ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

サンタナ

サンタナラテンロックバンド「サンタナ」を初めて聞いたのは、小学校卒業ぐらいのとき。あの「哀愁のヨーロッパ」が、当時好きだったAMラジオでいやというほど流れていました。

カルロス・サンタナのラテン調の「泣きのギター」って具合ですが、まあ、既にディスコ的な曲に傾いていた私としては、退屈なだけでした。ちょっと後に出た、これも「ラジオ・ヒット」となったアースの「セプテンバー」の方が断然、良かった。

それからおよそ5年。ディスコに行くようになって再びサンタナを耳にしたわけです。そう、大ヒット作「シャンゴ」に入っている「ホールド・オン」(82年、写真)ですね。

まあ、よくかかっていました、ディスコで当時。ヒスパニックたちが奏でるラテンは、そもそも「陽気なダンス民族」の代名詞みたいなもんですから、ディスコにもしっくりくるんです。今でも、ダンスクラシックのパーティーに行くと、この「ホールド・オン」よくかかっています。

ロックって、本当は踊りやすいんですよね。4ビートや8ビートで、ズシズシとバスドラが響いてて。79年の、例のアメリカンロック信奉者たちによる「ディスコ・サックス!(ディスコはださいぞ!!)」って運動の後、しっかりディスコで儲けていたのは実は、ロックだったりするのです。

サンタナだけじゃない。星条旗をあしらったジャケットが印象的だった「まさにアメリカンロック!!!」のブルース・スプリングスティーンの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」とか、12インチ・ダンス・バージョンとか出して張り切ってましたから。

まだあります。ミーハー産業ロックとはいえ、スティックス「ミスターロボット」、ジャーニー「セパレートウエイズ」、バン・ヘーレン「ジャンプ」、ヨーロッパ「ファイナルカウントダウン」(うわああ!)などなど、よく踊りましたよ。アメリカンロックって、ディスコを嫌っていたようで、実は大好き!!!だったのです。

それにしても、「ホールド・オン」のさびのところは、哀愁調で非常によいです。もちろんギターも秀逸。ロックの「ズシズシ」に、哀愁ラテンメロディーが重なれば、フロアで盛り上がるのは必然なのです。

Italo Disco

Italo Discoいやあ、昨日は極私的にうれしいことがありました。23年間、探し続けていた曲をついにゲットしたのです。何気なく買った安いコンピCDの中につつましく収録されていました。曲名もアーチスト名も知らなかったので、もう諦めていたのですが、思わぬところで発見しました。

曲名はタイム(Time)の「シェイカー・シェイク」(Shaker Shake)。コンピCDのタイトルは、ドイツのイタロ系レーベルZYX社が2002年に発売した「ザ・イタロ・ディスコ・コレクション」で、4枚組みです。

eBayのオークションサイトで見つけて、送料込みで2000円ちょっとと格安だったので、何となく買いました。ガゼボ「アイ・ライク・ショパン」のロングバージョンや、なぜだか大ヒットした今は亡きバルティモラの「ターザン・ボーイ」といったところが入っていたので、それを目的に買ったのですが…。

ドイツのCD販売店から国際郵便で到着したので聴いてみたところ、4枚目の最後の方(8曲目)に、「その曲」は埋もれていました。たまにはこんなこともあるものです。思わず卒倒。久しぶりに、10回ほど連続して聞き入ってしまいました。

シェイカー・シェイクは、哀愁メロディを特徴とする典型的なイタロ・ディスコ。イタロは80年代前半、文字通りイタリアで登場したサウンドで、前に紹介したハイ・エナジーや、テンポが遅めのユーロビートの兄弟分ともいえる「ミーハー」な音が特徴です。欧米ではゲイたちに愛されていたことでも知られます。日本では新宿や地方のディスコでよくかかっていました。

この曲は、17歳のとき、札幌の「テレサ・ガリレオ」というディスコで初めて耳にして以来、ずっと気になっていたものです。曲名をDJとか店員とかに聞きそびれて、そのままになっていたのでした。洋盤CDにありがちなように、ライナーノーツなどが一切なく、情報が少ないのですが、アナログ原盤は、80年代前半のイタロの代表的レーベル「ディスコマジック」のようです。

シンセやドラムマシーンの使い方が、ボビーOの「シー・ハズ・ア・ウェイ」に似ています。もしかしたら、プロデュースはこの人なのかもしれません。まあ、今聴くとやっぱりシンセはややチープなのですが、貴重な「思い出の曲」だから、素直に喜ぶこととします。

テレサ・ガリレオ関連では、2曲、探していた曲がありました。1曲目の、タイトルしか知らなかった「ダンシン」(アーチストはジョイ・マイケルという人だった)も昨年秋、CD、12インチレコードともにようやく入手しました。これも、原盤レーべルは偶然にも「ディスコマジック」でした。シェイカー・シェイクはそれに続く快挙!長年の喉のつかえが取れたような心持ちでございます。

札幌に住む当時の友人にさっそく電話したら、「おおっ!すぐにテープか何かに録音して送ってくれ」と言われました。







Mastercuts

MatercutsディスコのコンピレーションCDは、圧倒的に欧州盤が良い。10年ぐらい前に発売された英国のマスターカッツと呼ばれるシリーズもその一つ。何十種類も出ていて、どれも12インチバージョンが満載。音質も良好である。あまりにも種類が多いため、私も全部は持っていないけれど、中身を聴かなくてもまず失敗がないので、今でも少しずつ集めている。

写真の「クラシック・ディスコ」も、マスターカッツシリーズの一つ。1曲目のダンハートマン「リライト・マイ・ファイア」からラストのアンリミテッド・タッチ「アイ・ヒア・ミュージック・イン・ザ・ストリート」まで、ほとんどが8分前後のロングバージョンだ。日本では80年前後のサーファー系ディスコでよくかかっていたミディアム系の曲が多い。

中でも5曲目GQ「ディスコ・ナイト」は、サーファーディスコを代表するヒットチューン。このコンピでは12インチバージョンが収録されていて貴重である。6曲目トレーシー・ウェバー「シュア・ショット」も珍しい12インチバージョンで、かのラリー・レバンがミックスを担当している。10曲目の超メジャーなイブリン・キング「シェイム」までもが12インチバージョンで、これもなかなかほかでは見かけない。

それにしても、米国ではディスコはなお偏見が強いためか、あまり良いディスコのCDコンピがない。私が持っているものは、英国、ドイツ、オランダ、フランス、イタリアなど圧倒的に欧州盤である。英国のほかは、オランダとドイツから珍しい曲集が出ている。意外に日本盤も健闘していて、渋めの選曲のコンピがいくつかある。

例えばダン・ハートマンのように、そこに収められているオリジナルアーチストはディスコブームを作った米国人が多いのだが、ディスコ史を振り返るコンピは米国外から出ている。米国人が過去にあまりこだわらない国民性を持つからなのか??現在だって、ハウスやヒップホップはともかく、テクノなんて欧州の方が圧倒的に盛り上がっているようだし。

今につながるディスコ文化を下支えしているのは、けっこう欧州人や日本人のファンだったりするのだ。

ハイ・エナジー

Hi-Energy80年代前半のディスコを彩ったハイ・エナジー・サウンドは、ロンドンの「レコード・シャック」というレーベルが生み出した。シャック(shack)とは、「丸太小屋」の意味を持つ。

レコード・シャックは80年、ディスコミュージック専門の小さな輸入レコード店として創業。82年にはレコード制作に乗り出し、「イーズ・ユア・マインド」(タッチダウン)という曲を最初にリリースして以降、次々とディスコヒットを世に送り出した。

プロデュースはイアン・レヴィーンというロンドンのDJが主に担当。「ソー・メニー・メン・ソー・リトル・タイム」(ミケル・ブラウン)、「ハイ・エナジー」(イブリン・トーマス)など、おなじみの大ヒットを連発していった。コンセプトは「モータウンのようなメロディーを持ったテクノ・ポップ」だったそうだ。

ハイ・エナジーは、後のユーロビートや日本特有の「パラパラ」に継承されている。どちらかというと、「イケイケミーハー系」の王道を行く音である。「老若男女、おバカさんになって踊ろう」という意味で、よく出来た内容だと思う。キャッチーなメロディーと分かりやすくて手堅いビート進行は、哀愁調のユーロビートともども、特に「日本人受けする」と言われた。

実際、日本の場合、ディスコは「盆踊り」だった。地域の人が分け隔てなく参加できる、舞踏の儀式。ついでに言えば、現在の盆踊りは、500年前の室町時代の「風流(ふりゅう)踊り」にまでさかのぼることができる。当時の文献によれば、若者たちが異様な衣装を着て、集団で激しく踊り狂い、ときには踊りグループ同士の「抗争」にまで発展したという。

風流踊りのおバカさ加減って、「パラパラ族」はもちろん、かつての「竹の子族」「ローラー族」にも通じるのではないか。同じ振り付けで、同じステップを踏んで高揚感を味わうわけだ。ディスコのフロアでは、こうしたステップの上手、下手も問われていた。適度に「非日常」や「狂気」もはらんでいる。

大昔のように五穀豊穣なんかの「祈り」まで込められているのかどうかはともかく、「皆でおバカさん」のつもりが、やがて「俺たちの方がおバカさん」と競い合うことになってしまう点などは、いかにも日本人らしいという気もする。

軽さが持ち味のハイエナジーの元祖「レコード・シャック」。基本的に「大衆的おバカディスコ賛成」の私にとっては大切なレーベルなのだが、こんなエピソードもある。

ジャズ・ファンクとかフュージョンの分野で80年代、「インビテーション」などのヒットを飛ばした「シャカタク」というグループがいたが、これはレコード・シャックのスペルをもじって命名された。無名のころ、メンバーが最初に音源を持ち込んだのが、なんとレコード・シャックだったのだそうだ。

持って行く先がちょっと違うんじゃないかと思うが、それでも2、3千枚プレスして販売したところ、ばか売れして手に負えなくなってしまい、メジャー大手ポリドールに権利を売ったという逸話がある。

「インビテーション」は、私が通っていた札幌の大箱ディスコで、「ソーメニーメン…」のような大盛り上がりのラストの曲が終わった後、照明が一挙に明るくなったときにかかっていた。「非日常」の終わり、つまり閉店を告げる曲だった。「インビテーションはディスコではない」ということが、こんなところでも証明されていたのだ。

写真のCDは、レコード・シャックの2枚組み12インチ集で、AWESOME RECORDS盤。音質ばっちり。主なヒット曲が網羅されており、これがあれば十分だと思う。

ローラ・ブラニガン

ローラ・ブラニガン「80年代白人女性ピンシンガー」シリーズの続編は故ローラ・ブラニガン。来月、1周忌を迎える。よくあることだが、「最近なにやってんだろう」と思っていたら、新聞のベタ記事なんかでその死を知ってしまう――この人の場合もそうだった。脳動脈瘤で突然の死。

ど迫力系のキム・カーンズやボニー・タイラーと違って、パワフルでありつつ、伸びやかで繊細な声の持ち主。「明るく楽しい」ディスコに見事に向いている。「グロリア」に「セルフ・コントロール」に「ラッキー・ワン」。いやあまあ、「踊らされた」ものだ。メロディー・ラインは哀愁ユーロディスコ的な美しさを持ちつつ、安っぽく流れていない。

「グロリア」はフロアの盛り上がりタイム向けのアップテンポ。学校をさぼって通った喫茶店でもよく聞いたな。「セルフコントロール」は、ややスローテンポで、午後7時半ごろ、少しずつ盛り上がろうとするフロアでよく耳にした。「ラッキー・ワン」は、間奏のバックコーラスとボコーダーのかけあいが抜群にカッコよかった。

何だかべたぼめしてしまうが、享年まだ47歳。早世のディスコ系ミュージシャンは数多いけれども、私にとって、特に感慨深いのがこのアーチストなのである。

ローラの「グロリア」や「哀しみのソリテア」などで踊りほうけていた83年、父が44歳で突然死したのだが、死因はローラと同じ脳動脈瘤だった。脳の血管に出来たこぶが破裂し大量出血して、意識を失い、急逝した。でも、悲しみはあったけれども、やたら厳しい人だったので、内心「これでうるさいのがいなくなって遊べる」と思ったのも事実だったのである。しんみりと反省せざるをえない。

…と、ディスコを語るとき、どうしてもときどき「たそがれモード」に入る悪い癖が出る。ノスタルジーでディスコを語るまい、とは思っているのだが…。それでも、温故知新とはよくいうが、歌が死後も聴かれ続けるって大変なことだと思う。少なくとも「死んだら終わり」ではない。今の若手アーチストにサンプリングされたり、カバーされたりして、再生されることだってあるのだ。

ローラについては、欧米のインターネットの掲示板で、いまだに惜しむ声が尽きない。確かに、当時のアルバムを今聴くと、私でさえ気になるような音作りの古臭さはあったりするのだが、歌唱力はまことにすばらしい。

ダンスチューンだけでなく、バラードも良い。アルファビルというドイツのダンス系グループがはやらせた「フォーエバー・ヤング」のスローバラード・カバーなんて絶品だ。「永遠に若く生き続けたい」なんて歌詞は、ちょっと暗示的でもある。

写真のCDは、83年にビルボード一般チャートで7位まで上昇した「哀しみのソリテア」が入ったアルバム「ブラニガン2」。笑顔が印象的だったのでこれにした。




キム・カーンズ

キム・カーンズキム・カーンズといえば、「ベティ・デイビスの瞳」がばか売れ(1981年ビルボード年間1位)したことで知られる。一発屋のようだが、米国ではこの曲より前にケニー・ロギンスとのデュエット曲「Don't Fall In Love With A Dreamer」を4位に食い込ませる大健闘を見せているからあなどれない。ほかにもまずまずのヒットを何枚も出しているのだ。

ディスコ的にいうと、「ベティ…」は、米ディスコチャートで26位まで上がったものの、あまり使い物にならない。バスドラビートがほきちんと刻まれていないので踊るのにはきついし、かといってチークのスローとしても使えずに中途半端だ。

彼女がディスコで威力を発揮したのは、写真のCD「カフェ・レーサーズ」(83年)。以前のアルバムより、相当にポップでミーハーな仕上がりになっている。ダンスチャートや大衆受けを狙っているのがばればれで、逆にディスコ好きには好感が持てるのである。

私が当時よく耳にしたのは何と言っても「You Make My Heart Beat Faster-And That's All That Matters(恋のビートを速くして)」。原題が長いのが嫌になるが、曲調が軽快で実に踊りやすい。ほかに「ハリケーン」「インビテーション」という佳曲があって、いずれもシンセサイザーをがんがん響かせつつ、哀愁漂うメロディーを聞かせてくれている。

もともと、この人はディスコ向きの人ではないと思う(断定)。声のしわがれ具合からすれば、やっぱりロックとかカントリーの方が合っている。その意味で、このカフェ・レーサーは例外的にいい雰囲気なのである。

このころは、なぜだかハスキーボイス系の白人女性シンガーがこぞって、ディスコ調の曲を出していた。「ヒーロー」でお馴染みのボニータイラーとか、フリートウッドマックのスティーヴィー・二ックスとか…。さらにいうと、オリビア・ニュートン・ジョンとか、メリサ・マンチェスターとかもディスコで受けていた。思えば、この時代はディスコでも一般チャートでも、「白人ピン女性シンガー」の全盛期だったのかもしれない。

ちなみに、カフェ・レーサーのCDはたやすく手に入る。しかも何と!!「恋のビート…」、「ハリケーン」、「インビテーション」ともども、豪華12インチバージョンが収録されているのだから、オススメだというほかない。


ビルボード・トップ・ヒッツ 1983

ビルボード・トップ・ヒッツ私が18歳だった1983年は、洋楽ヒットの多くがダンスミュージックといわれた。ディスコ好きのほとんどは、ビルボードチャートにも通じていた。ビルボード一般チャートの上位曲が、がんがんフロアでかかっていた。

写真は、CD再発レーベル「ライノ」が出したビルボード年間チャートコンピの1983年のもの。収録されているのは、メン・アット・ワーク、トト、ストレイ・キャッツ、マイケル・センベロ、エディ・グラント、スパンダー・バレー、ボニータイラー、グレッグ・キーン・バンド、カルチャー・クラブ、エア・サプライ。さすがにエア・サプライでは踊れないが、ほとんどがディスコでもおなじみのアーチストである。

実はこのコンピ、ビルボードの本当の年間チャートと正確に連動していない。この年の「本物」年間チャートは、1位がポリス「見つめていたい」、2位がマイケル・ジャクソン「ビリージーン」、3位がアイリーン・キャラ「フラッシュ・ダンス」、4位がメン・アット・ワーク「ダウン・アンダー」、5位がマイケル・ジャクソン「今夜ビート・イット」などとなっている。これらはディスコヒットそのものといえるのではないか。

「本物」の6位以降の顔ぶれをみると、マン・イーター(ホール&オーツ、7位)、マニアック(マイケル・センベロ、9位)、スイートドリームス(ユーリズミックス、10位)、君は完璧さ(カルチャー・クラブ、11位)、カモン・アイリーン(デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、13位)などと続いている。これまたディスコ!!!である。

この年はマイケル・ジャクソンのスリラーがバカ売れしたことで記憶されている。でも、一度死んだはずのディスコが、多少のロックやニューウエーブのテイストを身にまとい、再増殖を始めたころでもあったのである。

このころの基本は、やはりシンセサイザーなど電気音の発達にあるが、一般チャートだけに、同じダンスミュージックでも、かつての典型的な「ドンドコ系」からは変化して、メロディーなどは多様化している。

ただ、ジャンル化が進んだ今と違って、米国でも日本でも「大衆音楽」という言葉が生きていたから、どれも老若男女にとって耳に馴染みやすい曲ばかりだ。ヒット曲のビデオクリップを流していたTV局であるMTVという存在も、そうした大衆性を担保していた。

写真のコンピで特筆すべきは、エレクトリック・アベニュー(エディ・グラント、本物チャートで22位)ではないか。けっこうディスコでも聞いたが、レゲエ調で、「ポッポコ、ヘッポコ」と電気効果音の使い方が変てこな曲だったのを思い出す。ドレッドヘアのエディが登場するMTVのビデオクリップも変だった。その後、小ヒット程度しか出していないので、ほぼ「一発屋」とみて間違いないけれども、印象深いアーチストである。










Vinyl Masterpiece

Vinyl Masterpieceいやあ最近何だか変に多忙である。ちっともお金はたまらないのに。来週はずっと出張やら急ぎの仕事やらが入っており、短時間で気軽に取り組んでいるこのブログも、さすがにちょっとごぶさたになるかもしれない。

というわけで、前段とは何の脈絡もなく、今回はディスコ再発モノのよいレーベルを一つ紹介したい。オランダのVinyl Masterpieceなのだが、このところ興味深いCDを連発しているのだ。↓
http://www.vinyl-masterpiece.com/index.php

中でも、写真のコンピCD「Masterpiece」がなかなか渋めの選曲で良い。Vol1とVol2の2枚がある(写真は2の方)がどちらも良い。

うーん、私もよく知らないアーチストがけっこう入っている。それでも、確かにフロアでは聞いた記憶があるものが多い。80年代全般の黒人ミディアム系の佳曲が目白押しで、録音状態もまずまずである。

Vol1には、あのArmentaのI Wanna Be With Youのロングバージョンが入っている。ほかではCD化されていないものだ。80年代中盤、とりわけ六本木ナバーナのようなサーファー系ディスコに行っていた人なら知っているはずだ。ボコーダーとかが途中で入っていて「軽快うねうねサウンド」全開である。

Vol2には、シェリル・リン、元ラベルのノナ・ヘンドリックス、1976年にDon't Leave Me This Wayのスーパーディスコヒットを飛ばしたテルマ・ヒューストンなどの80年代中期の貴重なダンス系作品を収録。シャラマーによく似たタイム・バンディッツの名曲アイム・オンリー・シューティング・ラブなんてのも入っていて、いやはや聴いていて気分爽快である。

いずれもマイナー曲ではあるが、こんな珍しい12インチ集CDはめったにない。80年代ディスコ好きなら、ぜひ聴いてみてほしい。上記URLで通販入手可能だ。東京であれば、Disk Unionでも手に入れることが出来る。









Yazoo

Yazoo80年代前期に花開いたシンセ(エレ)・ポップのディスコ。文字通りシンセ音が満開である。最初に紹介するという意味で、ヒューマンリーグかヤズーかデペッシュ・モードが迷ったが、やはりディスコブログだからまずはヤズーだと思った。

ディスコミュージックは80年代に入ってガラッと変わったことは既に述べた。フロアに置かれた巨大スピーカーからがしがし響いていたのは、それまでの生ドラムではなく、もうほとんどがドラムマシーンだった。

はっきり言って、踊るならドライでキック(めりはり)の聞いた電気ドラムの方が生モノより合っていると思う。最近の楽器はものすごく進歩していて、クラブでかかる特にテクノなんてすごいキックであるけれども、私にとっては、チープさが漂っていた80年代の音の方が断然、人間くさくて体にしっくりくる。

ヤズーは、デペッシュモードにいたシンセダンス音楽の名手ヴィンス・クラークと、黒人R&Bかと思うような歌唱力を誇ったアリソン・モイエの二人組。当時のニューウェーブとかシンセポップは、歌がけだるくて、下手なのが多かったのに、アリソンは秀逸だった。ミスマッチな感じが、迫力につながっていたのだと思う。

やっぱり、踊る上でも、歌唱力があった方が断然よい。好きではあるのだが、ニューオーダーとかソフト・セルの歌なんて、ちょっと聞いてられなかった。

ヤズーはその「ミスマッチ」ゆえか、2枚のアルバムを残して3年ぐらいで解散してしまった。ヴィンス・クラークは、Erasureというバンドで引き続きダンスミュージック界に君臨したものの、ソロになったアリソンはいくつかヒットを残した後、中途半端なまま表舞台から消えていった。

でも、二人はDon't GoとかSituationとか、80年代ディスコの名曲をいくつか残している。特にDon't Goはのっけから「パンチがきいた」アップテンポな曲で、みんなで激しく踊ったものだ。アルバムも何度も何度も繰り返し聴いた。いま聴いても、古さをまったく感じさせないほどである。

ヤズーのCDを買うなら、最初はやっぱりファーストがおすすめ。しかも、写真のイギリス盤が良い。Situationと、幻の名曲といわれるThe Other Side Of Loveのそれぞれ12インチバージョンが収録されている。



ダリル・ホール&ジョン・オーツ

ダリル・ホール&ジョン・オーツいまさら説明の必要もないホール&オーツは、私にとってはまったくのディスコ。82−83年ごろ、フロアで鬼のようにかかっていたからだ。

やはり「プライベート・アイズ」が代表曲だろうが、おなじぐらいかかっていたのが「マンイーター」。でも、テンポが170BPMくらいある速い曲で、踊るのは疲れた。ロックンロールで踊っているやつもいたほどである(あまり合ってなかった気がするが)。普通のBPMは速くてせいぜい140前後だった。

80年代前半は、特に地方ではロックンロール風の曲もけっこうかかっていた。アダム・アントの「グッディ・トゥ・シューズ」なんてのがかかったときには、グリースで固めたリーゼントの男たちがフロアに飛び出していったものである。色んなファッションの人間がごった煮状態。いやあ、むちゃくちゃなもんだ。

前に紹介したスペシャルズもそうだが、速い曲は盛り上がりタイムにかかる曲が多く、人気があった。普段はスローやミディアム系が多い黒人ものでさえ、ポインターシスターズの「ソー・エキサイテッド」みたいに、ものすごくアップテンポなのもディスコでかかっていた。

もちろん、ホール&オーツはグリース的な「ロックンロール」ではない。マンイーターを除けば、ミディアム、スローがほとんどである。「アイ・キャン・ゴー・フォー・ザット」「アウト・オブ・タッチ」などは、ディスコで「まだ盛り上がる前」の午後7時台とか、「盛り上がった後」の夜中過ぎなんかによく耳にした。

ホール&オーツでは、写真の12インチ集が一番のおすすめ。当時の貴重なリミックスが満載になっている。2集あるので、2枚ともあると便利だ。ただし、肝心の「プライベート・アイズ」は「UKミックス」となっているものの、中身はほとんどアルバムバージョンと変わらない、というか「どこが違うの?」という感じなので注意を要する。













プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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