ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

プラティパス (Plyatypus)

Platypus「理想の世界では、才能あるミュージシャンや歌手たちは、必ず成功してぜいたくな生活ができるだろう。だが、私たちは理想の世界には住んでいない。1970年代後半にも、無数の有能なバンドが、人知れず埋もれていった。このバンドもその一つだ」――世界的権威のある音楽解説本「All Music Guide(オール・ミュージック・ガイド)」で、こんな風に紹介されている黒人バンド「プラティパス(Platypus)」。今回は、前回に引き続き「無名だけど捨てがたい」シリーズのディスコグループとして取り上げたいと存じます。

オハイオ・プレイヤーズダズ・バンド、レイクサイド等を生んだファンクの本場である米オハイオ州のデイトン出身のメンバーたちが、1970年代前半、同じメンバーによる前身バンド「Four Korners(フォーコーナーズ)」を改名して誕生。ファンクをベースにして、ソフトなR&B、「イエス」のようなプログレッシブロック、そしてディスコサウンドを融合させた音作りに励み、ライブ公演をしに行った日本の大阪でたまたま知り合ったというロバータ・フラックのセッションミュージシャンなどの下積みを経て、1979年にようやく写真のデビューアルバム「Platypus」をにぎにぎしく発売しました。

発売レーベルは、ディスコ堂ではしょっちゅう登場する「ディスコの殿堂」のカサブランカ。もろディスコを意識したグループであることがあっさり判明してしまうわけですけど、発売時期が1979年8月というのが運の尽きでした。というのも、このちょうど1カ月前、以前に書いた「ディスコださいぞ!運動」がアメリカで不気味に沸き起こり、「もうディスコって終わりじゃねえのか?」と、折り目正しいディスコフリークたちの間に動揺が走っていたからであります。 

プラティパスとは、オーストラリアに棲む「カモノハシ」の英名に由来します。哺乳類なのに卵を産んで育てるという世にも不思議な珍獣ですが、「遅れてきたディスコ野郎」プラティパスも、せっかく苦心して出したレコードがさっぱり売れず、翌年にひっそりとやっつけ仕事のアルバムをもう1枚出した後、文字通りレアで珍なる存在になってしまったのでした。

ところが、そんな珍盤が昨年、英BBRレーベルからCD化されたのには度肝を抜かれました。私自身、インパクトの強い名前で、しかもカサブランカの所属でしたので知っているグループではありましたが、まさかCDになるとは…。

で、これを実際に通して聴いてみると、意外というか案の定というか、聴いてるこちらが赤面するほどにディスコのりで素晴らしい。まずシングルカットされた1曲目「Dancing In The Moonlight」では、随所であのディスコの象徴「シンドラム」がポンポコポン!と躍動し、お約束のバイオリンで色取りを沿えつつ、忘れたころに「キンコンカーン!♪」と、「のど自慢」さながらのおとぼけチャイムが鳴り響く有様。2曲目「Street Babies」は、重量ファンク風で踊り心をあからさまにくすぐりますし、3曲目「Love The Way You Funk」も、同じオハイオ州のファンクグループ「ヒートウェーブ」の「グルーブライン」みたいな正統派ファンクディスコでして、やっぱり踊らずにはいられません。

圧巻は5曲目「Dance If You Can」(和訳:踊れるもんなら踊ってみな)。一般的なファンクディスコを基調としながらも、ときに少々変則的なビート進行が、「おやおやおや?」とダンサブル野郎&女性陣たちに期待感を呼び起こします。さらに凄いのは、後半のブレイク部分に突如として展開する「口笛」。私は以前、口笛の世界チャンピオンの女性に取材したことがあるのですが、「それを上回るのでは?」と思わせるほどの変幻自在、音程の正確無比ぶりでして、フルートの類の楽器とかウグイスなどと聴き間違うほどの完成度なのです。ライナーノーツに登場するリードボーカルのアーサー・ストークス(Arthur Stokes)によると、口笛を披露しているのはジョン・ビショップ(John Bishop)という無名のアーチストとのことですが、必聴と思います。

このグループの難点を強いて言えば、「ディスコ盛り上げ隊」の定石であるラッパなどのホーンセクションが不在なことくらい。それでも、疾走感あふれるほかの楽器パートや、「ニャオニャオ♪」とねっとり粘りつく印象的なボーカル等々が、きっちりと補完していると思います。

ことほど左様に、ディスコ・パラダイスなアルバムがCDで再発になったのは、ディスコ堂的にはべらぼうにおめでたい、と一人ほくそ笑んでいます。このCDには、「Dancing In The Moonlight」の12インチバージョンほかのボーナストラックも入っています。まだアマゾンやHMVなどでは販売中ですので、完全にレア化して忘却の彼方に遠ざかってしまう前に、珍獣カモノハシの渾身の一枚、一聴してみるのも一興かと存じます。

ディー・シー・リー (Dee C. Lee)

Dee C  Lee秋は深まり、空気が冷たく澄んでまいりました。今回は美貌の英国産歌姫、ディー・シー・リー(Dee C. Lee)と参りましょう。

1961年生まれの彼女が放った唯一のヒット曲は、1985年の麗しバラード「See The Day」。でも、本国英国では3位まで上昇しましたが、アメリカその他の国々ではほぼ無名。美貌という点では、同時期に大活躍したホイットニー・ヒューストンにも似た感じですけど、歌のうまさ、人気の点では足元にも及びません。ゆえに一発屋というわけです。

……いやあ、いきなりネガティブ評価で申し訳ありませんが、私が今回彼女を取り上げたのは、「シャイニー・シャイニー」のハイジ―・ファンテイジーを紹介した前回からの流れで、心臓破りな「懐かしの体力消耗高速ディスコ」の一つとして取り上げておきたかったからです。

実は、「See The Day」とソロデビューアルバム「Shrine」(1986年)をリリースする以前、あのワム!やスタイル・カウンシルのバックボーカルを務めていました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーとは一時期、なんと結婚もしていました。つまり、超大物アーチストの周辺に影武者として存在しつつ、かなりの下積みを経て、1つのヒット曲をなんとか世に送り出した苦労人なのでした。

私がまず注目したいのは、その下積み時代の1984年に単発シングルで発売した「Yippee-Yi-Yay!」という曲。これがまた、当時の札幌のディスコでやたらと耳にした覚えがあるのです。なんだか杏里の「キャッツ・アイ」にも似た軽〜いポップチューンでして、サビの謎の擬声語フレーズ「ユピヤイエイ!ユピヤイエイ!」(日本語で言えば「嬉しくてウッキャッキャー!」みたいな感じ)がとっても印象的だったのでした。

ディスコでこの曲名を知った私は、さっそく街中の輸入盤店で探してみましたが、どうしても見つからず。けれども、なぜかレコードレンタル店で12インチがありましたので、借りてきて、「ユピヤイエイ!」と叫びながら嬉々としてカセットテープに録音した記憶があります。

テンポはBPM(1分あたり拍数)で150ぐらい。快適な有酸素運動中の人間の心拍数はBPM130前後であり、それがそのまま、一般的なアゲアゲディスコのBPMとも概ね一致するわけですが(例えば「君の瞳に恋してる」がBPM130)、そんな標準値を大きく上回っております。当時は、極めて盛り上がった時間帯にかかっていた記憶があります。目がくるくる回ってとってもハッピーな気分になることウケアイですけど、いま踊ったら、文字通り心臓が心配です。

もう一つ、この「ユピヤイ」の一つ前に出したシングル「Salina Wow Wow」(サリナ・ワウ・ワウ、1984年)も、多少ディスコで聞いたことがあります。こちらは、一転してなんだかおっとりした曲調。スティービーワンダーの「ハッピーバースデー」みたいなイントロで控え目にスタートした後、人を食ったような調子のボーカルが恐る恐る入ってくるという正直、おとぼけなミデアムチューンとなっております。

CDですが、すこぶるマイナーであるがゆえに諦めていたところ、つい最近になって英国のチェリーポップ(Cherry Pop)レーベルから発売になりました(写真)。しかも、無謀にもなんと2枚組!1枚目は「See The Day」が入った「Shrine」で、ボーナストラック満載の2枚目の方は、幻の「ユピヤイ」の12インチバージョンと小粋でいなせなダブバージョン、それに「サリワウ」の12インチバージョンまで収録という徹底ぶりで驚きです。私も、失礼なことを言う割には結構好きでしたので、さっそく購入いたしましたとさ。

ヘイジー・ファンテイジー (Haysi Fantaizee)

Haysi Fantayzee変テコなものはすべからくディスコです――。と、さりげなく断定しちまったところで、今回はヘイジー・ファンテイジーというグループを取り上げてみましょう。

1981年、イギリス人の ジェレミー・ヒーリー(Jeremy Healy)、ケイト・ガーナー(Kate Garner), ポール・キャプリン(Paul Caplin)の3人で結成した典型的な英国ニューウェーブバンド。中でも、前面に出てくるボーカルのジェレミーとケイトの風貌と、歌詞のユニークな掛け合いが特徴でした。

代表曲は、「John Wayne Is Big Leggy(邦題:正義の味方ジョンウェイン)」(82年)と「Shiny Shiny(シャイニー・シャイニー)」(83年)で、英国を中心にヒット。どちらも、以前紹介したデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズみたいなヒルビリーでカントリーっぽい曲調になっておりますが、もっと奇天烈で意表を突いた陽気さがあふれかえっております。

特にシャイニー・シャイニーは、地元札幌のディスコではときどき耳にしました。これまた以前に紹介したアップテンポ・スカビートのスペシャルズリトルビッチ」のごとく、もの凄くアップテンポな体力消耗ダンスチューンなのですが、素朴なバイオリンの音色に乗って突如「シャイニー♪、シャイニー♪」と大らかに連呼するわらべ歌みたいな展開には、底知れぬ好感と違和感を抱いたものでした。

なにしろ、揶揄しているとはいえ「ザ・アメリカン西部劇ヒーロー」ジョン・ウェインが登場するほどですので、曲がカントリー風味なのは当然だとしても、そこにキックの強いディスコやロックのビートを絡ませるところは、さすがに「なんでも試してやる!」的な英国バンドの真骨頂。移民に寛容で自由を重んじつつ、極度に保守的な面もあるアメリカだと、ちょうど今のアメリカ議会のように、カントリー(共和党)とディスコ(民主党)なんて反発し合ってなかなか融合しないわけですからね。

巷では「イギリス版バービーボーイズ」との呼び声も高かった彼らですが(ウソ)、当時のプロモーションビデオなどを見ますと、ややふてくされた表情の長身ケイトと、常にくねくねとクラゲのような動きを見せるジェレミーが、陰と陽の奇妙なコンビネーションを醸しているように思います。

実は、ジェレミーは前回登場のカルチャークラブのボーイ・ジョージとは級友で、ロンドンの伝説のクラブ「ブリッツ」にもよく一緒に出入りしていたといいます。そういえば、ヘイジーのファッションセンスや風貌も、なんとなくボーイと似た感じです。

けれども、ボーイ・ジョージの一層強烈なキャラクターもさることながら、メジャーレーベルの全面的なバックアップも得ていた時代の寵児カルチャークラブとは、人気面でも音楽的な完成度の点でもどうしても差がついてしまいました。上記2曲が収録された「Battle Hymns For Children Singing」というアルバムを1枚出した後、結成からわずか2年後の83年に活動を停止してしまったのでした。その後、ジェレミーはDJやリミキサーの裏方、ケイトはカメラマンとして主に活動することになります。ここでも意表を突いています。

奇をてらい過ぎたのがよくなかったのか、結果的には短命に終わったヘイジーですが、今もこのころの音楽を愛する好事家たちには人気が高い人々です。CDも数年前にベスト盤(!)が発売されましたので(上写真)、異様に明るいダンスミュージックをボリューム全開にかけて、家族そろって大らかに盛り上がるのもよいかもしれません。

カルチャークラブ (Culture Club)

Culture Club 21980年代初頭に艶やかに登場したのが、英国ポップバンドのカルチャークラブ。とりわけリードボーカルの中心人物ボーイ・ジョージの伸びやかな歌声、そしてなによりも中性的な衣装や髪形が大人気となり、センセーショナルなビッグアーチストになりました。

1961年生まれのボーイ・ジョージは、子供のころからド派手なファッションに身を包み、かなり変わった人物とみられていました。多くのミュージシャンが輩出したロンドンのクラブ「ブリッツ(The Blitz)」に常連として通い詰め、ライブ演奏もするうちに有名になり、音楽活動を本格化させました。

最初は、セックス・ピストルズを手掛けた音楽プロデューサーであるマルコム・マクラーレンに見出され、Bow Bow Wowというニューウェーブバンドのライブに参加するなどしていましたが、82年に自らカルチャークラブを結成し、デビューアルバム「Kissing To Be Clever」(写真)を発表。レゲエ・ダブ調のバラード「Do You Really Want To Hurt Me (邦題:君は完璧さ)・」が、全米一般シングルチャート2位に上昇する大ヒットとなります。

その後も「Karma Chameleon (カーマは気まぐれ)」(一般1位、全米ディスコチャート3位)、「Miss Me Blind (ミス・ミー・ブラインド)」(一般5位、ディスコ10位)など、しばらくは怒涛の躍進ぶりを見せつけました。

この人は、70年代末のディスコブームが去り、多様な音楽の誕生や再生の時期を迎えていた大市場アメリカで受けたのが何より大きかった。ボーイ・ジョージの出で立ちは、MTVでもとてつもなく存在感を発揮していましたし。日本でもアイドル的な人気があり、「君は完璧さ」を含めてディスコでもよく耳にしたものです(踊りにくいけど)。

音楽的には、以前に触れたデュラン・デュランとかスパンダー・バレエと同列のポストパンク時代の英国発ニューウェーブです。それでも、レゲエやカントリーやソウル音楽の要素も入っていて、斬新で洒落た雰囲気も醸していました。ボーイ・ジョージの風貌の奇天烈さに頼っていたわけではなく、結構ちゃんとしたアーチストだったのです。

ところが、1986年に4枚目のアルバム「From Luxury To Heartache」を出したあたりで調子がおかしくなります。ボーイ・ジョージがドラッグ中毒になり、ほとんど活動ができない状態になったからでした。ヒット曲も出なくなり、すっかり過去の人達になっていったのでした。

バンド自体は紆余曲折を経て、90年代後半に再結成し、現在も活動しているようですが、かつての勢いはまったくありません。彼らの公式HPによると、カルチャークラブという名前は、「世界の様々な文化を融合させる」といった意味が込められており、結成当初にはそんな特色もフルに発揮されていたのですが、なんとも寂しげな現状です。

ここでもまた、「一期は夢よ、ただ狂え」(閑吟集)、「この世は幻のごとき一期なり」(蓮如)のディスコ的無常が顔をのぞかせているわけですね。

というわけで、よくある「自業自得のドラッグパターン」ではありますが、その音楽的功績が消え去るわけではないでしょう。各アルバムやベスト盤のCDも再発されておりますので、私もたまに聴いて往時をしみじみと偲んでおります。

ジャングルな面々 (Jungle Disco)

Kikrokosコンガス、アフロメリカ、バラバス…これら奇っ怪な単語に共通するのは「ジャングル・ディスコ」。まだまだ灼熱の炎暑が続くここ東京ですが、今回はボンゴやらコンガやら動物の鳴き声やらが満載の熱帯ウッキッキー!特集と参りましょう。聴いて踊れば、ますます暑苦しくなることウケアイです。

トップバッターはコンガス(Kongas)。1970年代に活躍したフランスの男性ディスコグループで、セローンドン・レイ(Raymond Donnez)など、ディスコ界そのものに大きな影響を与えた人物が在籍していました。

彼らの代表曲「ジャングル」(74年)は、コンガやボンゴ、ドラムといった打楽器が奏でるジャングルビートが特徴なのは当然ですが、効果音が面白い。「アッキャッキャー!」、「ギャオギャーオ!」、「コロケロコロケロ!」などなど、熱帯の鳥や猛獣やおサルさんやカエルさん、そしてコオロギさんなんかの声がふんだんに盛り込まれています。まさにアフリカの“密林ダンス”の面目躍如たるところですね。

彼らには、イントロでアフリカ部族の歌と踊り、それに不気味な笑い声が入ってきて、あとは変則的なドラム進行で展開する「アフリカニズム/ギミー・サム・ラビング」(78年、米ディスコチャート3位)、「アニカナ・オー(Anicana-O)」(同年、同37位)といったジャングルディスコもあります。

続いては、これまた変わった名前のキクロコス(Kikrokos)。実はKongasの一部メンバーが作ったグループで、78年に「ジャングルDJ」というディスコヒットを飛ばしました(米ディスコ23位)。上写真が、その曲が入ったアルバム「Jungle D. J. & Dirty Kate」。全体の曲調自体からは濃厚なジャングル性を感じませんが、ジャケットからは一目瞭然、やっぱり「ジャングル」がもろコンセプトであることが分かります。

ジャングル系ディスコには、アフロビートはもちろんのこと、同じ熱帯・亜熱帯の地域に根差したラテン音楽の要素も入っていることも多い。前述の「アニカナ・オー」のように、コンガやボンゴの音に混じって、ときおりサンバホイッスルが聞こえてくるような曲も少なくありません。

ほかにもジャングル系ディスコは大量にありまして、ドラムが圧巻のジャクソン・ファイブの「ハム・アロング・アンド・ダンス」(70年)とか、 アフリカの大地に紛れ込んだかのようなジョニー・ウェイクリン(Johnny Wakelin)の「イン・ザイール」、バラバスワイルド・サファリ」(72年)、クール・アンド・ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」(73年、米R&Bチャート2位、米一般チャート4位)、ベイビー・オーの「イン・ザ・フォレスト」(80年、ディスコ2位)、前衛的ディスコを数多くリリースしたZEレーベルのクリスティーナ「ジャングル・ラブ」(80年)などが挙げられます。

私が好きな曲としては、エブリデイ・ピープルの「アイ・ライク・ホワット・アイ・ライク」(71年)、コンティネント・ナンバー6の「アフロメリカ」(78年)、キャンディドの「ジンゴ」(79年、ディスコ21位)なんかにも、ジャングルな感じが色濃く浮き出ています。

さらに、アメリカでディスコブームが終わった80年代前半以降も、ジャングルディスコは不滅でした。パトリック・カウリーの異色作「プリミティブ・ワールド」(82年)や、曲自体はボンゴ満載のジャングルリズムとまではいかないものの、「あそこにジャングルがあるぞ、気を付けろ!」とのフレーズで始まるウォー「ザ・ジャングル」(82年)、プリンスがプロデュースしたザ・タイムの「ジャングル・ラブ」(84年、ディスコ9位)、あの色物王ディバインの「ジャングル・ジェジベル」(82年)、バルティモラのおとぼけチューン「ターザン・ボーイ」(85年、ディスコ6位)をはじめ、数々の“ジャングルなディスコ”が存在します。太古の原始リズム&イメージとディスコって、ことほど左様に非常に相性がよいことが、あらためて実感されるわけであります。

ただし、以上に挙げた曲の多くは、クール・アンド・ザ・ギャングみたいにメジャーな人たちを除いてCD化されておりません。レコードではけっこう手に入りますので、探して一人、クーラーの効いた部屋でミスマッチにジャングルな気分に浸るのもよろしいかと存じます。

アート・オブ・ノイズ (The Art Of Noise)

Art Of Noiseいやあ、お盆です。頭がおかしくなるほどの猛暑が続く中、今回は意表を突いた“変てこディスコ”の真骨頂、アート・オブ・ノイズに注目してみましょう。

犬の鳴き声みたいな音、車を始動させるときのような音、トンカチみたいな音、笑い声、叫び声、うなり声……。「雑音の芸術」の直訳がまさにぴったりな音は、斬新で目新しいものとして世界の大衆に広く受け入れられました。

メンバーは英国の男女3人で、1984年にデビューアルバム「(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!」(邦題:「誰がアート・オブ・ノイズを……」)を発表し、それが大ヒットしました。プロデュースを担当したのは、以前、「バグルズ」や「フランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド」の投稿の際にも紹介した奇才トレヴァー・ホーン。トレヴァーらが前年に設立したレーベルZTTから、「Beat Box」(84年、米ディスコチャート1位)、「Close (To The Edit)」(同年、同4位)といったダンスヒットを繰り出しました。

当時は、「第1黄金期」ともいうべきシンセサイザー全盛の時代でした。中でもアートオブノイズは「フェアライトCMI」というめちゃめちゃ高価な(1台1000万円以上)電子楽器を使用し、お馴染みのオーケストラ風「オーケストラ・ヒット」のほか、唐突な「ヘイ!」の掛け声とかエンジン音みたいな変な音をがんがんサンプリングして曲を制作したのです。まあ、あのころはそんな音が、とてもポストモダン的かつ前衛的で面白く聞こえたものでした。

アートオブノイズは「誰がアートオブノイズ」の一作を発表した後、ZTTからは離れてしまいましたが、86年には、新しい所属レーベル(China Records)から2作目「In Visible Silence」をリリース。この中からは、日本ではやたらと有名なんですが、マジシャン「ミスターマリック」の登場曲として使われていた「Legs」(同27位)とか、アメリカで1960年ごろに流行った探偵モノのTVドラマ「ピーター・ガン」のテーマ曲のリメイク(同2位)などがヒットしました。けれども、その後は飽きられてしまったのか、だんだんと表舞台からは去っていきました。

多くはシンセサイザーやドラムボックス特有の鋭角的なダンスビートを基調としていますので、ディスコでもアート・オブ・ノイズをけっこう耳にしました。当時は、デュラン・デュラン、ABC、ヤズー、ニューオーダーなどなど、枚挙にいとまがないほど英国産のエレクトロポップ系ディスコが溢れかえっていましたが、その中でもキッチュ(表現古い)な音作りという点で、異彩を放つアーチストだったとはいえましょう。

その昔、私はわりと好きだったのですけど、今あらためて聴くとなんだか少々古臭くて“がらくた”な感じも致します(笑)。もしかしたら、時代と添い寝してそのまま眠ってしまうタイプの作品だったのかも……。この辺りは賛否が分かれるところでしょう。

でもまあ、とにかく実験的だったことは確かですし、90年代以降、次世代のアーチストたちにさらにサンプリング(サンプリングのサンプリング!)もされているようですので、あの時代にあの音を開発した意義は十分にあったのだろうと思います。

CDはベスト盤を中心にまずまず出ております。上写真は、デビュー作「誰が……」収録の全曲に加え、シングルの別バージョンなどがいくつか入ったZTT時代のベスト盤「Daft」(といってもアルバム1枚しか出していないが)。たった今も通して聴いていますが、8曲目ぐらいからやはり頭がおかしくなってきました。暑さのせいかもしれないにせよ。

ブレインストーム (Brainstorm)

Brainstorm_Stormin'今回は久々にノリノリ絶好調な「王道ディスコ」と参りましょう。左写真を見てお分かりのとおり、脳天串刺し稲妻パワー全開の「ブレインストーム」(ブレインストーミングではない)であります。

米デトロイトで1976年に結成した9人組ディスコ・ファンクグループ。後に売れっ子となるプロデュースチームのジャム・アンド・ルイスやSOSバンド、アレクサンダー・オニールたちを輩出した米Tabuレーベルが、創業と同時に最初に世に送り出したアーチストです。

代表曲は、なんといってもデビューアルバム「Stormin'」からの2枚目のシングルカット「Lovin' Is Really My Game」(77年、米ディスコチャート14位、R&Bチャート14位)。これまたホント冗談抜きに「これを踊らずに死ねるかぁ!」と、人目をはばからず雄たけびを上げたくなるような盛り上がりぶりで、全米のディスコで大人気となりました。

15年前にアメリカで公開された、ニューヨーク随一の放蕩ディスコ「54(フィフティーフォー)」の回顧映画「54」でも、アホアホなフロアを彩る嵐(Storm)のイケイケチューンとして使用されております。昨年5月に63歳の若さで亡くなったべリタ・ウッズ(Belita Woods)の歌声はなかなかに迫力があり、ヘッドホンで聴くと文字通り脳天を突き抜ける浮揚感覚を味わえます。

脇を固める華麗なギターやストリングスのほか、ベース、ドラムのリズム隊もしっかりと存在感を発揮しており、70年代生演奏ディスコの神髄を見るかのようですね。実際、驚くほどキャッチーな名曲として、ベティ・ライトシルベスターもリメイク(その1その2)しています。

ただ、その常軌を逸したハイテンションゆえに、事実上この1曲で終わってしまったのが辛いところ(つまり一発屋のトホホ)。「Stormin'」以降、78年に「Journey To The Light」、79年に「Funky Entertainment」と、「ディスコブームに乗っとけ乗っとけ!」とばかりに立て続けにアルバムをリリースしますが、セールス的にデビュー作ほどの勢いはありませんでした。その後はメンバーが1人抜け、2人抜けして壊滅状態……う〜ん、ディスコ堂的にはよくあるお話ですが、残念であります。

それでも、中身はきちんと折り目正しいミュージシャンだったのは疑いをいれません。各アルバムをじっくりと聴いてみると、デビュー作では最初にシングルカットされた「Wake Up And Be Somebody」という「Lovin’ Is Really…」同様の“四つ打ち”アップリフティングなディスコ曲が入っております。2枚目収録の「We’re On Our Way Home」は、イントロの「ぐるぐるうにゃうにゃベース」が渋みを効かせる秀逸なミディアムダンスチューンに仕上がっていますし、3枚目の「Hot For You」も、グルーブ感あふれる典型的なディスコファンクの佳作になっております。

しかも、デビュー作収録の隠れた名曲「There Must Be Heaven」に見られるように、美メロバラードも律儀にこなすところがプラス評価です。メンバーのうち、べリタ・ウッズはジョージ・クリントン軍団のP-Funk All Starsに、ベース担当のJeryl BrightはCameoにそれぞれ移ってしばらく活躍を続けています。実力があっただけに、一発屋の扱いにしておくのはちょっともったいないようなグループだったといえるでしょう。

CDについては、一応アルバム3枚とも再発で出ています。とりわけデビュー作は長らくCD化されていなかったのですが、本家Tabuが最近になって再発盤をリリースしました(写真上)。古い音源ということもあって音質は今一つな感もありますが、「Lovin' Is Really…」のレアな12インチバージョンがボーナストラックとして収録されていますので、今のうちに触手を伸ばすのもよいかもしれません。

チェンジ (Change)

Change1980年代に登場した「チェンジ」は、茶化すことなどとてもできない正統派R&Bディスコグループ。押しも押されぬ「うた職人」ルーサー・ヴァンドロスの小粋でメロウなボーカルには、誰もがうっとりすることうけあいです。

1970年代後半にディスコヒットを数多く飛ばしたイタリア人の「ディスコ仕掛け人」であるジャックス・フレッド・ぺトラス(Jacques Fred Petrus)が結成させた、イタリア系グループです。自らプロデューサーとなり、相棒のイタリア人作曲家マウロ・マラバシ(Mauro Malavasi)とともに1980年にデビューアルバム「The Glow Of Love」(左写真)を制作。ソロとして売り出す前のルーサーさんがいずれもリードボーカルの表題曲シングルと「踊りにくくて繋ぎにくい」シャッフルビートの「Searching」、それにコーラス中心の「A Lover's Holiday」は、全米ビルボードディスコチャートで1位に輝きました。

大成功したこのデビューアルバムには、私の一番のお気に入りのAngel In My Pocketという小気味よいアップテンポ・ディスコも入っています。ここではなんと「ディスコディーバ」ジョセリン・ブラウンさんがリードボーカル。いつもながら伸びのあるボーカルはもちろんのこと、イントロからの「ビロン!」と跳ね上げるベースライン、それにタイミングよく入ってくる格調高きストリングスが、忘れかけていた踊り心を否応なしにくすぐります。

翌81年には2作目「Miracles」を発表。この年、ルーサーさんはソロになって「ネバー・トゥー・マッチ」をメロメロメロウに大ヒットさせましたので、今回はバックボーカル程度。けれども、日本でもサーファーディスコとして大ヒットした「Paradise」と「Hold Tight」(ともに米ディスコ1位)は、前作のR&Bディスコの雰囲気を踏襲した佳作となっております。

このアルバム2作とも、なんだか往年のシックみたいな曲調ばかりではありますが、世界中で定着してきたシンセサイザーを本格的に導入して、もう少し音に厚みを持たせているのが特徴といえましょう。

翌82年に発表した3作目「Sharing Your Love」では、元ファットバック・バンドのボーカルで、後に「C+C Music Factory」で「ディーパー、ディーパー♪♪(ヒット作Deeper Loveより)」と雄たけびを上げるデボラ・クーパー(Deborah Cooper)らをリードボーカルに据え、「The Very Best In You」(米R&Bチャート16位、ディスコ30位)、「Hard Times」、「Oh What A Night」といったダンスチューンを小ヒットさせました。さすがに息切れしてきたようで、曲がどれも似通ってきたのは仕方ないところですね。

それでも、84年にはこれまたディスコの重要人物コンビであるジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)をプロデューサーに起用。SOSバンドに代表される2人の特徴がモロに浮き出ている「Change Of Heart」は、R&Bチャートで7位まで上昇するヒットとなりました。

そして1985年、「Turn On Your Radio」を発表したのを最後に、グループは解散。翌86年には仕掛け人のジャックス・フレッドが謎の多い殺人事件で死亡(享年39)。チェンジは完全に過去の人たちになってしまったのでした。

このグループは、ジャックス・フレッドが中心だったため基本的にイタリア系といえますが、制作の多くは米国内で行われ、主に米市場で成功しています。「Walking On A Music」みたいなおバカでラテンで陽気なサウンドを源流とするイタロディスコと、シックでアーバンでニューヨーカーなR&Bサウンドが、とてもうまく融合した一例だったとはいえるでしょう。例えば、デビュー作には、「The End」というインストの不思議なシンセサイザーディスコ曲が含まれています。めちゃめちゃ浮いていて違和感があるのですけど、彼らの結成の経緯や背景を考えれば、うなずけるものがあるのです。

CDはまずまず再発されています。特に最近、発売された「The Glow Of Love / Miracles (Special Edition)」(英Harmless盤、右下写真)は、ルーサー・ヴァンドロスがいたころの全盛期のアルバム2枚全曲と12インチバージョン数曲が収録されていてお得感があると思います。

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D トレイン (D-Train)

D Trainおちゃめな「Dワールド」へようこそ!――というわけで、今回は1980年代初頭に天下御免の「ぶいぶいシンセ・ファンク」ぶりを発揮していたディスコ野郎Dトレインさんを取り上げてみましょう。

D-Trainは実際には2人組のディスコプロジェクトです。リードボーカルを務める中心人物「Dトレイン」ことJames "D-Train" Williamsと、もう一人、彼の高校時代からの友人でプロデュースや楽器演奏を担当したHubert Eaves III(ヒューバート・イーブズ3世)で構成していました。このイーブズさんは70年代、83年に「ジューシー・フルーツ」を大ヒットさせたエムトゥーメイ(Mtume)に所属したこともあります。

彼らはスタートダッシュがよかった。デビューアルバム「You're The One For Me」に入っている同名シングル曲が、いきなり米ディスコチャートで1位になる大ヒットを記録(1981年、米R&Bチャート4位)になりました。この曲のアルバムバージョン(フランソワ・ケボーキアン・ミックス)は、出だしがアカペラっぽく「With the love I have inside of me……」てな感じでゆったりと入り、やおら「デンデコデン!♪」と展開する「じらし&期待感」で切り込むタイプ。この手法は、後のヒット「Music」でも見られます。

ちなみに、この曲は同時期にポール・ハードキャッスルぶいぶいにリメイクしています。「19(ナインティーン)」の大ヒットで知られるシンセサイザーの名手だけに、こちらもなかなか聞きごたえがありますですよ(ボーカルはD Trainの方がずっといいけど)。

さらに、「Keep On」(82年、ディスコ2位、R&B13位)、ディオンヌ・ワーウィックアイザック・ヘイズのヒット曲のディスコリメイク「Walk On By」(同、ディスコ45位、R&B42位)、ダブ・バージョンがカルト的な人気だった「''D'' Train Theme」など、シンセベースがうなりを上げるぶりぶりディスコを立て続けにフロアに送り出しました。

1983年には2作目となる「Music」を発表。この中からは前述の同名シングル曲(ディスコ12位、R&B20位)、「Keep Giving Me Love」(ディスコ24位、R&B55位)のほか、名画「いそしぎ」のテーマ曲「The Shadow Of Your Smile」のユニークなディスコリメイクがヒットしました。

翌84年には「Something's On Your Mind」を発表。この中からは同名曲がシングルとして発売されました。メロディーを重視したスローテンポ曲ということもあり、ディスコではさほど売れませんでしたが、R&Bチャートでは5位に入りグループとして最高のヒットになりました。

岐路を迎えつつあるディスコ界に新風を吹き込み、破竹の勢いが持続するかと思われたのですが、これを最後にグループは解散。D Trainがソロで活動をつづけました。ソロ名義では、Somethign On Your Mindのミデアムスロー路線を踏襲した「Misunderstanding」(86年、R&B10位)という曲がまずまずのヒットとなりました。

いやあ、こうしてみると多彩な芸歴を誇っているアーチストのような気がしてきます。けれども、なんだか初期のヒットはみんな似たような感じなのが残念。私も当時のディスコでは頻繁に耳にしたのですが、「なにがどれでなんて曲だっけ」という感じでした。まあ、それだけ短期間で何曲もヒットを出したという証でもあるわけですが。

Dトレインのデビューからの3枚のアルバムは、すべてお馴染み米プレリュード・レコードからのリリース。現在はディスコものの再発で知られるカナダのUnidiscが盤権を持っていますので、CDはひととおり揃っています。「うひひっ!」と笑顔はじけるおちゃめなDトレインさんが写っている上写真のCDは、「ザ・ベスト・オブ・Dトレイン」。主なヒット曲がロングバージョンで収録されておりますので、「最初の1枚」としては最適かと存じます。

バリー・ホワイト (Barry White)

Barry White聞けば一発でわかるモヤモヤ低音ボイス。アップリフティングな高音ボーカルが重視されがちなディスコでは、かなり異色だった伝説のヒットメーカー。久方ぶりの投稿となる今回は、「どこまでもメロウで小いやらしい」初期ディスコ界の巨漢の大御所バリー・ホワイトさんを取り上げてみましょう。

バリーさんは1944年米テキサス州生まれ。すぐに親とともにロサンゼルスに移り住みましたが、そこは貧困層が多く住む地区で、犯罪の温床にもなっていました。彼自身、不良グループに入り、窃盗の罪で服役したこともあります。けれども、当時流行していたプレスリーなどのロック音楽に目覚め、独学でピアノを練習して更生の道を歩み出します。60年ごろには地元のボーカルグループにも参加して、活動を本格化させました。

その後、60年代半ばになって、レコードレーベル「デルファイ(Del-fi)」のオーナーであるボブ・キーン(Bob Keane)に見出され、まずはA&R(アーチスト発掘担当)社員として働き始めました。そこで後にディスコヒットを飛ばすヴィオラ・ウィルス(Viola Wills)などへの楽曲提供、アレンジ、バックミュージシャンを手掛け、裏方としてのマルチな才能に磨きをかけたのでした。

ちなみに、ボブ・キーンはもともとクラリネット奏者で、30-40年代に流行したジャズのビッグバンドに強い影響を受けた人物。演奏者としては活躍できませんでしたが、80年代のヒット映画「ラ・バンバ」で描かれた50年代の人気ロック歌手リッチー・バレンスを見出し、育てたことでも知られます。

そして69年、バリーさんはシュープリームスを模した女性3人組のボーカルグループ「ラブ・アンリミテッド(Love Unlimited)」を発掘し、自らプロデュース。70年代には、彼女たちに加えて演奏者40人からなるオーケストラとして発展的に再編成し、「ラブ・アンリミテッド・オーケストラ」として売り出したところ、73年のデビュー曲「Love's Theme(愛のテーマ)」が大ヒット(全米一般チャート1位)したわけであります。

この曲は、70年代ディスコのルーツとも言われているインストゥルメンタルの逸品。軽くステップを踏みつつ、その旋律に身を委ねれば、「さわやかストリングス」がそよ風のように全身を駆け抜けます。いまだって、朝のテレビやラジオやCMや喫茶店や郊外型ショッピングセンターで、誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。Love Unlimet Orchestraは、この後も70年代を通して、「オーケストラディスコ」の代表格としてヒットを重ねることとなります。

メンバーの中には、後に名を上げるレイ・パーカーJrやリー・リトナー、アーニー・ワッツといった面々も入っていました。当時の流行音楽シーンでは、ビッグバンドの「グレン・ミラー楽団」のような大編成バンドはほとんど消え去っていたのですが、敢えて人件費無視の「40人編成」という大ばくちを打ったことで、逆に大衆には新味のある音として受け入れられたといえるでしょう。

一方、バリーさん自身もソロ名義で同時期、「I'm Gonna Love You Just A Little More Baby」(73年、米R&B1位、一般3位)、「Can't Get Enough Of Your Love, Babe」(74年、R&B、一般ともに1位)、「You're The First, The Last, My Everything」(同年、R&B1位、ディスコ2位)といった大ヒットを次々と飛ばしました。もちろん、バックバンドとして、彼の率いる「Love Unlimited Orchestra」がその巨大な背中をしっかり支えていました。

いずれの曲も、「もわ〜〜〜」としたバリーさんのバリトン&ベース・ボイス、つまり以前に紹介したアイザック・ヘイズをもう一段低く、しかもそのキワどい歌詞と同様に「小いやらしい」感じにした声が横溢し、むせ返るほどです。とはいえ、基本のリズム進行は8ビートもしくは16ビートの「ズンチャカディスコ」ですので(バラードもあるけど)、フロアでは踊りながら「もわ〜〜〜」と高揚してくることウケアイであります。

底抜けにゴージャスなオーケストラの演奏に絡む「は〜とふる」な歌声、ため息、熱い吐息。クラシカルな欧州発白人音楽と、ゴスペルを源流とする黒人ソウル音楽との絶妙な組み合わせが、長引くベトナム戦争に憔悴し、愛に飢えていた米国民の胸を焦がしたのでした。

ディスコブームが一段落した80年代に入ると、ヒット曲が急に出なくなって勢いが止まったかのように見えたバリーさん。ところが、90年代には「あの(エロ)声よもう一度」というわけで、クインシー・ジョーンズ、アイザック・ヘイズ、ティナ・ターナーといった大物とコラボレーションして、「The Secret Garden」(90年、R&B1位)や「Practice What You Preach」(94年、同1位)などの大ヒット曲を飛ばすようになりました。その復活力や恐るべし、であります。

そんなバリーさんも、長年の肥満に起因する高血圧や内臓疾患がもとで2003年、58歳の若さで死去します。もうあの声を生で聴けないと思うと残念ですが、CDはベスト盤を含めて豊富に出ております。写真は、私が最も好きな軽やかアップテンポディスコLet The Music Playが収録された76年のソロアルバム「Let The Music Play」。アマゾンなどで千数百円で入手可能なようですので、あの声に一度メロメ〜ロにハマってみてくだされば幸いです。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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