Dead Or Alive「こんな曲がついに出たか!」。デッド・オア・アライブ(DOA)をディスコで初めて聞いたときの身震いする感覚。ハイエナジー系のうねうねシンセ・サウンドの一つの到達点であり、あまりにイケイケで吐きそうなほどでした。

1983年、当時の地元札幌のディスコ「釈迦曼陀羅」で耳にしたのは、「What I Want」という曲でした。最高潮に盛り上がったときにいきなりかかり、何だか分からないままに、フロアに飛んでいったのを記憶しています。すぐに客で満杯になり、地響きが鳴り響くような状況になりました。ボーカルのピート・バーンズの野太い声が、いまも鼓膜の奥によみがえってきます。

DOAは1979年、同性愛風の派手派手コスチュームに身を固めたピートを中心に結成された、「ナイトメアーズ・イン・ワックス」という新手の英国ニューウェーブ・グループが前身。翌80年には、やはりピートを前面に出したDOAに改称し、現在にまで至っています。私が聞き始めたころには、既に結成から3年も経っていたというわけです。

私は当時、What I Wantが入ったデビューアルバム「Sophisticated Boom Boom」(84年発売)のピートの姿(左写真)などを見て、同じころに流行ったカルチャークラブのボーイ・ジョージの真似だ、と即座に感じました。同様の女装ゲイっぽいキャラのマイナーアーチストは、(ディバインのような奇天烈なやつも含めて)ほかにもたくさんいましたし。

けれども、カルチャークラブの結成は81年ですから、「ゲイコスチューム路線」という意味でも、DOAの方が少し先を行っていたようです(ただし、ピートとボーイは、互いに「あっちが真似した」と争い続けています。つまり仲が悪い)。

まあ、ルックスはともかく、デビューアルバムの曲はどれも秀逸だったものです。A面収録のKCの「ザッツ・ア・ウェイ」のリメイクなんかも、非常にソリッドかつトリッキーなシンセ使いに、ピートのあの「オペラでもやっていたのか?」と思わせる豊かな声量の歌声が、うま〜く調和しております。

85年に出した2枚目アルバム「ユースクエイク(Youthquake)」あたりから、セールスのピークを迎えます。プロデュースはお約束のストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)。「ユー・スピン・ミーラウンド」(英国チャート1位、全米ディスコチャート4位)のほか、「ラバー・カム・バック・トゥー・ミー」、「マイ・ハーツ・ゴーズ・バング」が収録され、このどれがかかっても、フロアは「どっか〜ん、どっか〜ん」の大花火大会でした。

86年発売の3枚目「Mad, Bad, and Dangerous to Know」も売れ行き好調。「ブランド・ニュー・ラバー」(全米ディスコチャート1位)、「サムシング・イン・マイ・ハウス」(同3位)はまたまた、ディスコフロアを激しくにぎわせました。

日本では、この後もヒット街道ばく進。バブル景気にもろに乗っかって、全国各地のディスコは皆、DOAモノで本当にむせ返るほどだったのですが、米国や本国英国では徐々に失速します。もともと変人扱いのピート・バーンズは、やれ「整形手術で唇が変になった」とか(事実らしい)、同棲相手の男と大喧嘩して警察沙汰になったとか(これも事実らしい)、とりわけゴシップで世間を騒がせる存在になっていったのです。

私自身もこのころから、DOAには正直、「そろそろマンネリかな??」と飽き始めてきました。90年代以降は、少し曲のトーンをソフト路線へと変えたようですが、ほとんど聴いていません。

ここで意外な事実。実は、ピートさんは80年代前半から普通に結婚していて、昨年離婚したばかりだというのです。でも、男性とも同棲しているわけですから、「バイセクシャル」ということになります。(まあ、そんなことはどうでもいいのですが)。

ほとんどのアルバムがCD化されていますが、写真のデビューアルバムは最近は希少価値大。2年ほど前には、待望の12インチ集CDが計画されたにもかかわらず、発売直前でなぜかお蔵入りになっています。「2003年●●ミックス」のようなセルフリメイクが非常に多いアーチストですので、今後、再び12インチ集を編集するのであれば、オリジナルバージョンをそろえてほしいものです。

追記*この投稿の4カ月後、待望のデビューアルバムのCDが発売されました。しかも12インチバージョンのボーナストラック入り! けっこうなことでございます。