
SAWがプロデュースし始めたのは1986年のこと。バナナラマ側が、彼らがプロデュースしたデッド・オア・アライブの曲を聴いて気に入り、制作を依頼したという経緯があります。同年に出たお馴染みの「ビーナス」は、いきなり全米1位を記録する特大ヒットとなり、世界中のディスコで定番化したというわけです。
「打ち出の小槌」SAWの力を得たバナナラマは、ビーナス以外にも「モア・ザン・フィジカル」「アイ・ハード・ア・ルーマー」「ラブ・イン・ザ・ファースト・ディグリー(第一級恋愛罪)」などなど、バブル景気真っ盛りの80年代後半を彩るダンスコヒットを連発しました。言うまでもなく、ディスコフロアでは「耳にタコ、靴ずれでかかとにもタコ」状態でしたね。
特に「アイ・ハード…」は、マイケル・フォーチュナティーのあの「ギブ・ミー・アップ」にそっくりだと話題になりました。実際はどっちが真似をしたのかよく分からないのですが、確かに当時は、ちょっとはオーケストラな雰囲気を持っていたハイエナジー系が、「もろ打ち込み」のユーロビートに変貌し、似通った曲が量産されてきた時代でもありました。
まあこのあたりは、賛否が分かれるところでしょうが、80年代後半という時代性を考えれば、「おバカの頂点」という意味で、私はぎりぎり好きな部類に入ります。
というわけで、バナナラマにとっての絶頂期は80年代後半ですけれども、私としては結成直後の曲に注目したいところ。このころは、元スペシャルズのメンバーで結成された「ファン・ボーイ・スリー」の協力により制作された曲が多い。つまり、スカロックなテイストがにじんでいるのです。
「リアリ・セイイング・サムシング」「シャイ・ボーイ」「クルエル・サマー」といったあたりがこのころの代表作。とりわけ「クルエル」は、83年に全米ポップチャート9位、全米ディスコチャート11位までそれぞれ上昇する中ヒットになっています。当時のジャケットやPVをみると、まだいかにも“おてんば少女”のアイドルという感じです。でも、曲にはユーロっぽい軽さはなく、逆にこのころの方が大人っぽさを感じさせます。
もともとバナナラマはボーカルに特徴がありまして、3人がパート別に分かれてハモるのではなく、一斉に同じ調子で歌う方法をとっていたことで知られています。初期のレコーディング時には、1本のマイクを3人で一緒に使うこともありました。それで、なんだか合唱団のような独特のボーカルが展開されているというわけです。
写真のCDは、少し前に発売された12インチコレクション。12曲入りなので、26年ものキャリアからして網羅的にはなりえないものの、クルエル・サマーやシャイ・ボーイのロングバージョンが入っているのが嬉しいところ。クルエルはオリジナルの12インチとは内容が違っていまして、しかしなかなかカッコよいです。ホット・トラックスあたりのDJミックスが収録されているのだと思います。