
この人たち、70年代ディスコのおバカさ加減もしっかり継承しています。だってそもそもディスコ出身ですから(断言)。というのは、二人とも70年代は、「アイ・ラブ・トゥ・ダンス」(75年)などのディスコヒットで知られる英国出身のアイドルシンガー、ティナ・チャールズのバンドにいたのです。トレバーはベース、ジェフはキーボードでした。トレバーはまだ十代で、ティナとは恋人同士だったそうですよ。
トレバーとジェフは79年、「彼女はサイエンス」(83年)のヒットで有名なトーマス・ドルビーと「カメラ・クラブ」なるバンドを結成しますがすぐに活動停止。トレバーとジェフが脱退してバグルズを結成し、成功を収めたというわけですね。
コンビの中心を担ったのはやはりトレバー。というよりも、トレバーが所有していた英国製超高級シンセサイザー「シンクラヴィア」であります。当時の価格で一式数千万円したといいますから、ディスコ時代から彼はけっこう稼いでいたのでしょう。
もちろん、最新機材を使いこなすのも大変だったわけで、その音楽センスはたいしたものでした。バグルズは81年、「モダンレコーディングの冒険」というトホホなタイトルの2作目アルバムを出して消えていくのですけど、二人とも今度は、またまたかの有名なプログレロックバンド「イエス」に移るわけですね。そして「ロンリーハート」(82年)の大ヒット、という顛末であります。この曲、日本のディスコでもしっかり定番化していました。
二人ともイエスでは、古くからのプログレファンには蛇蝎のごとく嫌われたのですが、そんなのどこ吹く風。トレバーは停滞気味だった「イエスの復活」を手助けした後も、「ABC」とか「フランキーゴーズ…」とか「ペット・ショップ・ボーイズ」とか「プロパガンダ」といった大物たちのプロデューサーとして大活躍したのでした。最近では、ロシアの小生意気なガキんちょデュオt.A.T.uのプロデュースもしてましたっけね。いずれもしっかりディスコ/ダンスな曲調ばかりであります。
一方のジェフも、ロックバンドのエイジアに移って成功を遂げました。「ヒート・オブ・ザ・モーメント」なんていうディスコでもかかった大ヒット曲がありましたな。
テクノポップ史だけでなく、ディスコ史を語る上でも欠かせないバグルズ。写真のCDはバグルズのファースト「The Age Of Plastic」で、「ラジオスター…」以外にも、切ない旋律と哀歓あふれる詩が印象的な「エルストリー」、元気いっぱいアップテンポ「キッド・ダイナモ」など、佳曲ぞろいであります。26年前だというのに、驚くほどシンセをうまく使いこなしています。
ところで、2枚目「モダンレコーディングの冒険」のCDは現在、非常に貴重となっています。10年ほど前に日本で再発されたのですが、あまりプレスされなかったようで、すぐに入手が困難になってしまいましたとさ。