
実質デビューとなったのが、1984年の「スモールタウン・ボーイ」。英国のディスコを中心に大ヒットとなりメジャーの仲間入りを果たします。曲調はもうベタベタの「超」哀愁サウンドで、私の好みでありました。この曲は日本のディスコではさほど流行りませんでしたが、これと同じ頃に出た「Why」の方は少し耳にしました。
中心人物であるJimmyは、スモールタウンやWhyが入った「The Age Of Consent」というアルバムを出した後に、「音楽的方向性の違い」から脱退。1986年、ブロンスキーは「ヒット・ザット・パーフェクト・ボーイ」をヒットさせる一方、Jimmyはコミュナーズというグループを結成して、テルマ・ヒューストンの名曲「ドント・リーブ・ミー・ディスウェイ」のリメイクバージョンを出してこれまた大ヒットさせました。
「ヒット・ザット」も「ドント・リーブ」も、日本のディスコでかかりまくりでした。私がちょうど上京したころで、特に「ドント・リーブ」は、渋谷「ラスカーラ」や新宿「ゼノン」や六本木「リージェンシー」といったミーハー系ディスコで大いに耳にしたものです。
ただ、「ヒット・ザット」の方はヒットしたものの、私の印象はいまひとつ。この曲ってちょっと「うるさ過ぎる」と感じるのです。テカテカ、ギラギラし過ぎというか…。シンセサイザーを「これでもか」とこねくり回し、自宅で聴くのは耐えられません。
…そう、この曲は、その後やってくる80年代後半以降のエイベックス的でパラパラ的な「超ハイパーユーロビート」の序曲だという気がするのですよ。ディスコが変質していく直前の雰囲気を持っているんです。
「年を取るってイヤだなぁ」とも思いましたけれども、特に盛り上げ時間帯に、体がなんとなくついていかなくなるのを感じ始めた時期でした。まあ、90年代に入るまでは、ディスコには通い続けましたが、東京のディスコはちょうど過渡期にありました。
86〜87年ごろまでは、けっこう人が入っていたのですが、その後は客足が減る一方。特に六本木や渋谷のディスコはひどかった。名前を変えたり、リニューアルしたりと、工夫していたのですけれど、一度去ったお客を呼ぶことはできなかったようです。ときあたかも、バブル経済絶頂期。その宴の終焉の予兆は、ディスコで早くも現れ始めていたのでした。
このころのお話については、いずれまた書く機会があると思いますが、ブロンスキ・ビートの曲を耳にすると、やや空しい心持になることもあるのでございます。
写真のアルバムは85年発売の「ハンドレッズ・アンド・サウザンズ(Hundereds And Thousands)」。「The Age Of Consent」とほぼ同じ内容のディスコ用編集盤で、「スモールタウン・ボーイ」や「Why」が、より踊りやすく編曲されています。CD化もされています。初期の最も輝いていたブロンスキの音が楽しめます。
このほか、ブロンスキは「アイ・フィール・ラブ」(84年)、Jimmyのコミュナーズの方は「ネバー・キャン・セイ・グッバイ」(87年)というかつてのディスコのリメイクヒットを飛ばしています。アイ・フィール・ラブでは、Jimmyがかのゲイデュオ「ソフトセル」のマーク・アーモンドと「甘〜い」デュエットを披露。皆、ゲイ・カルチャーにとっても全盛期だった70年代のディスコをリスペクトしていることがよく分かります。
> はじめまして。
> 僕も若い頃には新宿のDISCOに良く通いました。
> 何だか最近は懐かしいのか70〜80年代のCDに手が伸びます(笑)つい最近もヴィッキースーロビンソン、メルバムーア、ウィスパーズ、ミリースコットをゲット!これからも更新を楽しみにしています(^_^)