54投稿数が54回突破ということで、「54」を紹介します。本当はちょうど54回目にしようと思っていたのに、うっかり55回目になってしまいました。

70年代後半のニューヨークの代表的なディスコだった「スタジオ54」を題材にした映画「54」のサントラで、Volume1と2に分かれています。映画が公開されたのは5、6年前。ストーリーは「サタデー・ナイト・フィーバー」にも似て少し感傷的すぎるものの、当時の雰囲気が出ていて、なかなか面白い映画だと思いました。

1、2ともに映画で使われた曲が満載です。12インチバージョンは入っていませんが、一般的過ぎる曲が少ないのがとてもよろしい。

カーチス・メイフィールド「ムーブ・オン・アップ」のディスコリメークとか、アシュフォード・アンド・シンプソンの「ファンド・ア・キュア」とか、他ではあまり耳にしない渋めの曲が入っています。あと反戦歌「黒い戦争」で知られるエドウィン・スターの「コンタクト」(Vol.1に収録)なんて、「あの硬派エドウィンさんが…(泣)」というくらいおバカさんなディスコぶりを披露しています。

54は当時、華やか系のディスコとして本物のセレブをたくさん集めていました。ダイアナ・ロス、ミック・ジャガーといった歌手から、アンディ・ウォーホール、カルバン・クラインといったアート系の人まで、客の顔ぶれは大変豪華でした。内装ももちろん高級そのもの。入店審査は物凄く厳しく、入り口付近は、審査で外された人々でいつもあふれ返っていたといいます。

でも、そんなエリート主義はなんだか鼻につきますな。「何でもあり」がディスコの真骨頂なのですから、「誰が入ったっていいじゃないか」なんて私など思うのですが、それでも、そのハイパーでバブリーな豪華ぶりは伝説的でもあります。世界で最も有名なディスコだということは認めざるを得ません。

54が流行った同じような時期、NYにはパラダイス・ガラージというディスコもありました。ラリー・レバンという伝説のDJがいたところで、ライバルの54に比べて、もっとカジュアルな雰囲気が売り物でした。凝った音響装置も有名で、フロアで踊っていると「耳からではなく、体の内部から音が沸きあがってくる」と言われていました。

このラリー・レバンという人は「伝説」になるだけあって、とても変わった人だったようです。ジャンルをまったく問わず、ロックからパンク、さらにはオノ・ヨーコ(!)まで、ありとあらゆる曲をかけていたそうです。しかも、曲間の「つなぎ」を気にせず、テンンポを合わせることもせずにどんどん次の曲をかけていったそうで。

「何でもあり」「誰でも来い」のガラージこそ、真のディスコといえるのかもしれません。まあ、当時のガラージの様子について書いてある資料などを読むと、ここも54同様、薬物とか乱交とか、ひどくアナーキーな面があったようですけれど。