
前にも触れたが、本当にいろんなジャンルの曲が同じディスコでかかっていた。東京ではニューウェーブ系の新宿ツバキハウスとか、ソウル系中心のサーファーディスコ「ナバーナ」だとか、そこそこ分かれていたのだが、今に比べれば細分化されていなかった。特に、地元に何十カ所もディスコが林立することがない地方はそうだった。
私がいた札幌を含めて、地方都市のディスコでかかる曲は、東京とそれほど違いはなかったのだが、中でも勢いを増してきたのが、黒人ソウルの流れをくむブラックコンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれたジャンルである。中でもノリの良いものはディスコ・ファンクなんて表現も使われていた。
ご存知EW&Fとか、ジャズファンクからポップ路線へとイメージチェンジしたクール&ザ・ギャング、レイパーカーJrあたりが代表格で、性能が上がってきたシンセを多用し、都会的な雰囲気を醸しているのが特徴。とりわけ、派手派手しいハイエナジーやアップテンポのロックの曲が続いた後や、開店直後、夜中過ぎの時間帯によく聞いた。
当時、ディスコで聞いた曲のレコードがほしくても、お金がないため、FMラジオから録音する「エアチェック」をしたり、「黎光堂」とか「YOU&I」のようなレンタルレコード屋でレコードを借りて、しこしことテープに録音したりすることも多かった。毎日、学校の帰り道にレンタル屋に寄っていたのだが、最初のころに借りたのが、これもブラコンの代表格コン・ファンク・シャン(CFS)だった。
CFSといえば80年の「タイトなあの娘」が有名だが、私のお気に入りは82年発売のMs. Got-The-Body(邦題:気分はライト)で、写真のベスト盤に収録されている。札幌のディスコでもよく耳にした。自分より少し年上の20代の人々に人気があったようだ。ビルボードのブラックチャートでは15位まで上がった。
7人の大所帯バンドではあるが、もうすっかりシンセやドラムボックスが音作りの主体になっている。それでも、もともと正統派ソウルレーベル「スタックス」の出身でもあるだけに、なおベースやギターは存在感を示しているし、楽器音同士が適度に離れていて主張し過ぎていないので、ボーカルがくっきり明瞭で迫力がある。
彼らはこの後、クールのイメチェンを手がけた売れっ子プロデューサーのデオダートにプロデュースを依頼して、大衆受けを狙ったものの失敗してしまう。だが、クール、ダズバンド、バーケイズ、ギャップバンドなどと並ぶメジャーなダンス系ブラコンバンドとして、ダンスフリークたちの記憶の中にはいつまでも生き続けているグループだ。