ドナ・サマー「どなたさま〜?」のドナ・サマーについて語りたい。元祖ディスコ・クイーン!!!最近、早くも息切れしつつあるも、投稿数なんとか30回超えたことだし。

以前にも「カサブランカレコード」の欄で触れたが、ばか長い17分バージョンの75年発売「ラブ・トゥ・ラブ・ユー・ベイビー」(写真)でディスコのスターダムにのし上がったわけだが、80年代に入るとさすがに勢いが衰えた。今では12インチが1万円ぐらいする「プロテクション」とか、MTVで流れた“女性労働賛歌PV”が印象的だった「シー・ワークス・フォー・ザ・マネー(邦題:情熱物語)」とか、なかなかのヒット曲を出しているのだが、ビルボードで1位を立て続けにとっていた頃とは様変わり。地味になったのは否めない。

そんな中、83年に一つの事件が起こった。米国内で開かれたあるコンサートでの彼女の発言が物議を醸し、イメージを大きく損ねたのである。内容は「エイズは、乱れた性を実践してきたゲイに対する神の天罰である」というもので、各メディアに紹介されてしまった。これをきっかけに、ゲイピープルから猛反発を食らってしまったのである。

米国では、ディスコは言うまでもなく、ゲイ文化と深いつながりを持つ。70年代中期、快楽主義的かつ刹那主義的なディスコは、ベトナム戦争や失業増大によって疲弊した米国人を再び陽気にさせたのだが、もう一つ、人種や同性愛を含めた「解放」をもたらしたことも重要な功績だったのである。

「何でもあり」のディスコで、ダイアナ・ロスのヒット曲「アイム・カミング・アウト」よろしく、ゲイたちは堂々と自己主張しはじめた。ディスコヒットを飛ばしたゲイ系の歌手やプロデューサーは、シルベスターやダン・ハートマンなど数知れない。ゲイは、黒人たちとともに、ディスコを支えてきた立役者だったわけだ。そんな大切なファン層に対して「天罰だ」などと言うことは、とんでもないことだった。

ドナサマーは後日、この発言を「言っていない」と否定したのだが、米国の複数のメディアが報道していることや、問題のコンサートの観客による詳細なルポがネット上に流れていることなどから、「やはり本当だった」とされているようだ。即座に名誉毀損などの法的措置を起こさなかったことも「やはり怪しい」と言われる根拠になっている。

あるにはあるものの、人種差別や同性愛差別が巷の大きな話題にならない日本では考えにくいが、キリスト教国家の米国では「ゲイ差別」は大問題になる。先の大統領選でも、家族の価値観や性の倫理は争点になっていた。

80年代の米国といえば、70年代の民主党優勢の時代が終わり、かの「ハリウッド西部劇男」のレーガン大統領の時代に入っていた。米国が大きく保守に傾いていた時代なのだ。ちょうどディスコが衰退し、ロック系やブリティッシュ系の新しい波が現われたのと軌を一にしている。

落ち目のドナサマーはこのころ、大ヒット曲が出なくなったばかりではなく、カサブランカとの契約トラブルや離婚問題などでかなり精神的に参っていた。保守的なキリスト教にのめりこみ、救いを求めていった時期だった。

ドナは、共和党支持者が好むこてこてのキリスト教番組に出演して歌ったり、公の場で宗教的発言を繰り返してみたり、民主党支持者からみれば「変節」の度合いを強めていたのである。ゲイは民主党支持者が多いから、「裏切られた」との思いを募らせていた。そこに出てきたのが、「ゲイ差別発言」だったのである。

発言の真偽はともかく、ディスコ隆盛期に「行き過ぎた」自由な倫理を逆側に戻そうとの動きが、音楽業界だけではなく、米国社会全体に出ていたのは事実なのだ。

私自身は、「性倫理の乱れ」があろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなく、「陽気でおばかなディスコ大賛成」。ドナ・サマーだって今でも大好きなのだが、一つのムーブメントにまでなってしまうと、いろんなサイドから注目され、圧力がかかるようである。政治的なにおいが漂ってくると音楽は途端につまらなくなる。けれども、映画もそうだけれども、エンターテイメントに特定の思想や意図が込められ、アーチスト像が何だか歪んで見えてくることがあるのは確かである。ドナはディスコを象徴する存在だっただけに、そんなしがらみが、よけいに際立って見えてしまうのだ。