カサブランカ・レコーズ・ストーリーディスコを語るならまずはカサブランカである。最もメジャーなディスコレーベルで、ディスコ映画まで制作してしまったのだ。創業者はニール・ボガートという人で、ビルボードと並ぶヒットチャート会社だったキャッシュボックスの社員やMGMレコードの地方営業担当者などを経験後、1973年に立ち上げた。

創業当初の業績は芳しくなかったが、75年に一大転機が訪れる。ニールはドイツの無名歌手ドナ・サマーの「ラブ・トゥ・ラブ・ユー・ベイビー」の不思議で妖艶な歌声とメロディーに目を付けた。「これをうちで売り出そう」と、すぐさま契約を取り付けた。結果はディスコチャートで4週連続1位、ポップチャートで最高2位の大ヒットを記録したのだ。

この曲には大きな仕掛けがあった。ニールは最初に4分程度のシングルを聞いたとき、「ディスコでプレイして、客を躍らせるには短すぎる」と感じた。そこで、ドイツのプロデューサーに頼んで、ロングバージョンを制作してもらったのである。長さは破格の16分49秒で、これがディスコだけでなく、全米のラジオで大受けしたのである。しかもそのプロデューサーとは、かの「シンセサイザーの魔術師」ジョルジオ・モロダーであった。

ここから、カサブランカの鬼のような快進撃が始まる。お抱えの歌姫ドナ・サマーはもちろん、ビレッジ・ピープル、リキッド・ゴールド、テリー・デサリオなどなど、次々とディスコ系ヒットメーカーを世に送り出したのだ。

典型的なディスコアーチストだけではない。「宇宙的どファンク」のパーラメント、80年代に「ワードアップ」のヒットを飛ばしたカメオ、後に女優としても開花したシェール、「ラヴィン・ユー・ベイビー」のキッスなども含まれている。特にカメオとかシェールなんて、いま聞くとこっちが恥ずかしくなるぐらい、見事な「王道ディスコ」を披露している。

ニールは映画制作にも力を入れた。78年には、アメリカ映画史にさん然と輝く(はずはない)もろディスコ映画「サンク・ゴッド・イッツ・フライデー」を制作、発表。出演はドナ・サマー、コモドアーズのほか、後に「フライ」のハエ男ぶりで有名になったジェフ・ゴールドブラム、「愛の吐息」のベルリンのボーカリストとしてスターダムにのし上がる前のテリー・ナン(このころまだ10代)などとなっている。

ストーリーは、売れない歌手ニコル(ドナサマー)が、ディスコDJに自分を必死に売り込んで成功を収めるという「とほほ」な内容だが、同じような努力をして有名になった歌手はマドンナをはじめ数知れないし、当時のディスコの雰囲気も分かって面白い。まずは出演陣を見ているだけでも楽しめる。

ニールは80年、ビレッジ・ピープルのプロモーションを目的とした映画「キャント・ストップ・ザ・ミュージック」や「ファンキー・タウン」が大ヒットしたリップスを世に送り出したあたりで、突如としてカサブランカをメジャーレーベルのポリグラムに売却し、音楽業界の一線から退いてしまう。まさにアメリカのディスコブームと同時に現われ、その衰退期の到来と共に去っていたカリスマなのだ。

写真のCDは、そんなカサブランカのエッセンスがちりばめられた4枚組の好盤だ。相場価格は6000円前後とそんなに安くはないが、主要なアーチストを網羅。シェールのディスコ「テイク・ミー・ホーム」の12インチバージョンや、カメオの「恥ずかしディスコ」である「ファインド・マイ・ウェイ」といった貴重な曲も収録されている。