
浮上したきっかけは、自分の曲がディスコで売れ始めたことだ。82年にエブリバディ、83年に写真のバーニング・アップがそれぞれビルボードのディスコチャートで3位に入り、ようやく勢いづいてきたのだった。
ディスコばっかり行っていた高校生のころ、フロアでよくこのバーニング・アップを聞いた。確かにシンセのアレンジが格好良く決まっているよい曲で、重低音のビートは、あのニューオーダーの「ブルーマンデー」をもほうふつとさせる。
当時は私も7インチをまず買って自宅で聞いていたのだが、今は亡き父までもが「けっこういい曲だな」と言っていたのを思い出す。日本ではこれが実質のデビューだったのだけれども、まさかその後の「ライク・ア・バージン」をきっかけとして、怒涛のブレークを果たすとは予想もしなかった。
私は90年以降のダンスミュージックにはほとんど興味がないのだが、ビルボードのディスコチャートをみると、最近も常に1位をとり続けている。ビルボードチャート研究の権威である米国人のジョエル・ウイットバーン氏が編集した解説本によると、ビルボードがディスコチャートを集計し始めた1974年から2003年までの上位獲得率は、ドナ・サマーとかプリンスとかホイットニー・ヒューストンを押しのけて堂々の1位になっている。
マドンナは80年代半ば、著名ディスコDJで、映画「フラッシュダンス」のマニアックをはじめとするいろんな曲の12インチ用リミックスを担当したジェリービーンの恋人だった時期もある。ジェリービーンのディスコヒット「サイドウォーク・トーク」ではボーカルとして参加もしている。
マドンナは子供のころから苦労を重ねてきた人のようだが、アメリカンドリーム的に、70年代末期で終わったとされるディスコで、したたかにのし上がってきた人だ。「ださい」「軽薄だ」などとする偏見は根強かったが、ロックだパンクだソウルだなどと変にジャンルを限定せず、何人をもこばなないボーダレスな魅力こそ、ディスコの持ち味だった。その周辺からは、マドンナのような才能も、ときに開花したのである。