
中心となる時代は70代半ばから80年代後半まで。日本では、80年代後半にマハラジャ的なユーロビートが失速して、バブル経済ともども、終焉を迎えました。有名な「ジュリアナ東京」や「ゴールド」といったディスコ店は90年代に入ってからも生き残りましたが、ほんの一時期の出来事でした。
白人でも黒人でも黄色人種でも、ディスコの曲を発表したミュージシャンはいます。最も重要なことは、「ディスコミュージック」というジャンルや「ディスコの曲」はあっても、「ディスコミュージシャン」というのはほとんど存在しないということ。
「ディスコの曲」を作ったアーチストということでいえば、ローリングストーンズ、ビーチ・ボーイズからバーブラ・ストライザンド、エルトン・ジョン、ジェームズ・ブラウンまで、あらゆる人々が含まれます。例えば、カナダの著名ロックスターのブライアン・アダムズはTake Me To The Dancingというディスコ曲で事実上のメジャーデビューを果たし、ビルボードのディスコチャートにも入りました。彼はそれを恥と思っていて、自分のベスト盤には入れていません。けっこう軽快でいい曲なのにねえ。
ディスコは単純に言えば「踊れる」曲のことですから、このMen Without Hatsの曲群も立派なディスコです。いいんですよ、これが。シンセサイザーをうまく使った面白系のテクノポップ・ディスコに仕上がっています。
83年にビルボードのポップチャートで3位にまで上がった「セーフティ・ダンス」は有名ですが、ディスコでは「リビング・チャイナ」(テンポがめちゃめちゃ速い)、「ホエン・ドゥ・ザ・ボーイズ・ゴー」がけっこうはやりました。私が上京直前の84年ごろ、札幌の往年の名店「釈迦曼荼羅」なんかで超人気曲だったものです。リードボーカルのイバン・ドロシュクの声がなんだか変な低音で、不思議な魅力がありました。
あと、ポップ・ゴーズ・ザ・ワールドも歌詞は「私たちはポップを奏でる音楽家で〜す。さあ踊ろう」みたいに軽くて「おばか」な曲なのですが、それこそディスコの真骨頂。楽しく踊れりゃいいという典型、見本を見せてくれていました。