Brothers Johnsonブラコンの流れでブラジョンでございます。「ストンプ」はディスコの代名詞、というほど日本ではサーファー系の大人気曲だったわけですが、これが売れたのは80年の初頭。「うん、こうやってディスコは、80年代に入っても生きながらえていくわけだ」と妙に納得する一品です。

ブラザーズ・ジョンソンは、文字どおりジョージ、ルイスのジョンソン兄弟2人組。どちらも10代からプロとして活躍し、ビリー・プレストンのバックミュージシャンなどを務めていた実力派ですけど、特筆すべきは弟のベース担当ルイスさん。スラップ(チョッパー)・ベースでバッチバチ叩きまくりです。「ストンプ」のブレイクでもばっちり入ってきますから、その職人芸によ〜く耳を傾けてみてください。

なにしろ、彼はラリー・グラハムなんかと並び称される“チョッパー野郎”でして、「サンダー・サムズ」、つまり「雷親指」……ってちょっと意味不明なニックネームさえ与えられるような達人、といわれています。このころにはもうすっかり市民権を得た「うねうねシンセサイザー」とこのスラップは、誠に相性がよろしいですな。

さて、80年以降、アメリカではディスコが死語と化したというのは、このブログではもはや常識化しております(?)。が、それは典型的な「ディスコ・オブ・ディスコ」(例:YMCA)に限ったことであり、ブラジョンのようなブラコン風のやつと、ほぼ西海岸限定の「ハイエナジー」といったところは、微妙に生きながらえていったのでした。

とりわけ、ブラコン・ディスコはもう「ストンプ」で始まったといってもよいくらいだと私は思っています。実際、80年3月に全米ディスコ3週連続1位になっておりますし。まあ、ほかに挙げれば「ウィスパーズ」とか「シャラマー」といったソーラー・レーベル系も頑張っていましたが、何しろ、ブラジョンの後ろ盾には、かのヒット・メーカーのクインシー・ジョーンズ大王がいたのですからねえ。

ジョンソン兄弟には、ストンプ以外にも良い曲がたくさんあります。「Get The Funk Out Ma Face」(76年)、「Ain't We Funkin' Now」(78年)とか、「Light Up The Night」(80年)、あたりが、なかなか聴くによし、踊るによし、ドライブに良し、と三拍子そろっていますかね。いずれも、超一級ヒットメカーであるクインシー大王がプロデュースしているのであります。

ディスコの熱狂が蔓延していた最中も、突如として冷めた後も、ジャズテイストをうまくおシャレに取り込み続け、ポスト・ディスコ期のダンスミュージックの代表的スタイルを築いたクィンシーさん。後にマイケル・ジャクソンの「スリラー」(82年)のプロデュースで黄金期を迎えるわけですが、その序章が「ストンプ」だったと言っても過言ではないでしょう。

とはいっても、パティ・オースチン、ジェイムス・イングラムをはじめ名だたるアーチストが揃っていたクインシー軍団の中でも、突出したベースの腕前を見せてくれたルイス・ジョンソンはやはり素晴らしい。実は、マイケルの「スリラー」でもベースを担当するなど、ものすご〜くたくさんの著名アーチストのアルバムに、“助っ人ミュージシャン”として参加もしています。兄ジョージは弟に比べればやや影が薄いのですが……まあよしとしましょう。

私自身のディスコ体験から言えば、師匠のクインシー大王様の手を離れ、兄弟2人でセルフ・プロデュースした81年のアルバム「ウイナーズ」に入っていた「リアル・シング」が懐かしい。ちょっと「クール&ザ・ギャングのマネみたいだな」とは思いつつも、そのファンキー・フォンキーぶりは健在だと実感したものです。それでも、「やはり大王恐るべし」でして、このアルバムを境にクインシーさんの手を離れた途端、セールスは確実に下降線をたどるわけですけど。

写真のCDは米A&Mのベスト盤で、内容は網羅的でまずまず。ほかにもベスト盤の良盤がいくつかあります。しかし、特に80年代のアルバムは意外に再発されておらず、残念なのです。