
「戦争したって何のトクもねえ!」とJB並みに叫びまくり、元祖プロテスト・ソングとでもいうべきこの曲は、もともとモータウンの中心作曲家であるノーマン・ウィットフィールドがテンプテーションズのために作ったもの。「シングルにしたら売れるぞ」と張り切っていたのですが、モータウン上層部が「トップスターのテンプスのイメージが壊れる」ということで、「モータウンの二軍選手」的扱いだったエドウィンに白羽の矢が立ったのでした。
この曲の大ヒットにより、「エドウィン=黒い戦争=男気」ということになったのですけど、忘れてならないのは、70年代半ばにモータウンを抜けた後、ディスコにも大いに貢献したという点ですね。代表曲は「Contact」(78年、全米ディスコチャート1位)と「H.A.P.P.Y. Radio」(79年、同7位)というのがあります。
「エドウィン君、硬派から軟派に大変身だよ〜ん!!」というわけで、コンタクトは「ディスコのフロアで見つけた彼女と、目が合っちゃった!“愛”コンタクト!!」なんて実にカル〜い調子で歌う珍曲だったのであります。ハッピーラジオもいわずもがな、タイトルどおり徹頭徹尾、明るく楽しい迷曲なのでありました。
エドウィンさんの変節ぶりは、「政治から享楽へ」という、アメリカ大衆の70年代の雰囲気を見事に表しているような気がします。73年に一応ベトナム戦争が終結した後のアメリカ人の安堵感と虚無感は、音楽シーンにも微妙に影響を与えていたのですね。
いやあ、それにしても、エドウィンさんのディスコはなかなかやっぱりハッピーで、私は好きですねえ。ドンドコドンドコの「正調ディスコ節」であります。今だって踊るにはもってこいですね。
ただし、これまたパターンではありますが、ディスコブームが去った80年以降のエドウィンさんは意気消沈。ヒット曲はまったく出なくなってしまいました。ディスコアーチストとしての基本線は崩さず、87年にはなんと、かのストック、エイトケン&ウォーターマンのプロデュースで「Whatever Makes Our Love Grow」なんて曲も出しています。でも、あまり売れませんでした。
本国のアメリカはともかく、ヨーロッパ、特にイギリスやドイツではなかなかの人気者だったようです。80年代半ばにはイギリスに移住もしており、そこで新曲の録音やライブ活動を精力的に続けていましたが、2003年、心臓発作により61歳で急逝しました。
写真のCDは、米ユニバーサルミュージック社が発売している代表的なベスト盤。「ウォー」、「ストップ・ザ・ウォー・ナウ」といった70年代前半までの彼のソウルヒットのほか、コンタクトのロングバージョンが収録されているものの、ハッピーラジオは入っていません。ディスコ期の曲は、どうしても軽視されてしまいがちです。