
黒人とインディアンの混血児である彼の最後のライブ演奏は、死の一週間前。そのライブイベントには、1年前に米ロサンゼルスでデビューしたばかりの「ウォー(War)」という、さまざまな人種で構成された無名バンドも参加していました。ジミヘンと同様、ラテン、ジャズ、ブルース、ファンク、ロックとあらゆる音楽要素を取り込み、間もなく大成功を収めることになります。一つの時代の終わりは、新しい時代の始まりでもありました。
「戦争」というグループ名は、ベトナム戦争下のアメリカでは挑発的に聞こえたものでした。しかし、これは逆説であって、歌詞は前回に紹介した「黒い戦争」のように、あくまでも「戦争や犯罪をなくして、みんな仲良くしようじゃないか」という基本トーンで綴られています。
1971年、最初のヒットである「オールデイ・ミュージック」「スリッピン・イントゥ・ダークネス」などが入ったアルバム「オールデイ・ミュージック」を発売。以来、ヒットを量産する多国籍バンドとしての地位を確立しました。その頂点は、75年のシングル「ロー・ライダー」(全米R&Bチャート1位)で、当時、流行り始めてきたディスコでもヒットしました。
ウォーの本格的な「ディスコ化」は、1977年発売のアルバム「ギャラクシー」(写真)の同名シングル「ギャラクシー」(全米ディスコチャート8位)ですね。映画「スター・ウォーズ」をベタに意識しており、電子音を随所に散りばめてあります。それまでの泥臭さを良い意味でも悪い意味でも(?)薄めて、ダンサブルなポピュラー路線をひた走るわけです。
その後も、映画「ヤングブラッド」の同名挿入歌である「ヤングブラッド」(同19位)、「グッド・グッド・フィーリング」(同49位)などのディスコヒットを飛ばしました。彼らの持ち味は、何と言っても、一つのジャンルに縛られない自由さと、ラテン的な明るい曲調です。これは「ごった煮≒寄せ鍋≒幕の内弁当」を特徴とするディスコにはぴったりだったのであります。
80年代に入ると、私の好きなシンセ音もグウィ〜ンと洗練されて、いい感じになってきます。82年発売のアルバム「アウトロー」は珠玉の作ですね。「ユー・ガット・ザ・パワー」(同6位)はあまりにも有名ですが、このアルバムには、ボコーダーなんかも使った面白い重量ファンクナンバーの「ザ・ジャングル」や、いかにもウォーらしいラテンディスコの「シンコ・デ・マイヨ」といった、洒落たナンバーが揃っています。
「アウトロー」以降は、さすがに失速していく彼らですが、聞くところによると(ちゃんと調べていない)、今も現役だそうです。ただし、69年からのオリジナルメンバーは1人(キーボードのロニー・ジョーダン)ですけど。ハーモニカ奏者として有名なリー・オスカーなど、ほかのオリジナルメンバーは、別のバンドを作って活動しています。
再発CDは、10年ほど前、ロスの「アベニュー・レコード」というところが一通り出しています。ベスト盤もあります。でも、ディスコ期のものについては、最近は希少価値が高まっているようです。