Alec R. Costandinos今年の一発目はアレック・R・コスタンディノス。日本では知名度が今ひとつですが、ディスコプロデューサーとしてはかなりの重要人物です。

1944年エジプト生まれ。18歳でオーストラリアの大学に入学し、自分のバンドを持つなどして音楽活動を本格化しました。22歳になったころ、今度はパリに移り住んでプロ音楽家の道を歩み始め、フランスの人気ポップ歌手ダリダ(Dalida)に曲を提供するなど、早くも才能を発揮するようになりました。

フランスでは、以前に紹介した大物ディスコプロデューサーのセローンと出会い、彼のデビュー曲で大ヒットした「Love In C Minor」(76年)を共同制作したとされていますが、これも以前に投稿したように、「どっちがこの曲をホントに作ったのか」といった点をめぐって、後に仲たがいすることになりました。

まあ、セローンとの関係はともかく、アレックは自分自身で独自の作風を打ち立てたことは間違いありません。聴いてみるとすぐ分かるのですけど、とにかく「クラシック音楽風」なのですね。ある意味壮大な「ミュージカル風」ともいえます。徹頭徹尾オーケストラ中心主義であり、それに電子オルガンもシンセサイザーもコーラスもがんがん重ねて派手にしていく、といった印象です。

彼のそんなバブリーな曲群は、当時のディスコ状況に完全にマッチしました。78年には「ロミオ&ジュリエット」という「いかにも」な演劇調の大袈裟ディスコ曲が全米ディスコチャート1位に輝いています(しかし私は好きです)。

この人は、自らの指揮の下で別のグループや歌手を仕立て、そこに曲を提供するというパターンを完成させました。その代表格が「Love And Kisses」で、77年に「Accidental Lover/I Found Love」の2曲カップリングが全米ディスコチャート1位となり、78年には「How Much, How Much I Love You/Beauty And The Beast」が同5位になっています。78年には、2年前に当ブログで紹介した大ヒットディスコ映画「サンク・ゴッド・イッツ・フライデー」の主題歌も歌い、当然ながら全米ディスコチャートで1位になっています。

ほかにも、「Paris Connection」、「Sphinx」というグループも作り、それぞれクラシック/ミュージカル風のディスコヒットを飛ばしました。そうしたレコードの多くは、ディスコの名門カサブランカレーベルからリリースされていました。アレックは、自分名義のアルバムやシングルはあまり出していないものの、当時のディスコ界では巨大な存在感があったのです。

ディスコの特徴の一つは、セローンやジョルジオ・モロダーに代表されるように、プロデューサーが「やたらと目立つ裏方」である場合が少なくありません。その分、アーチストの存在感が弱まり、顔のない曲が大量生産されたといわれ、「粗製乱造」のそしりも受けてしまったわけですね。アレックにしても、70年代後半、たった7カ月間弱で3枚もの新作アルバムをプロデュースした時期がありました。「ブームの今のうちに早く作って稼げ!」という空気がいかに蔓延していたかが分かります。

ただ、みんなが勝ち馬に乗ろうとした大競争時代にあって、次々とヒットを繰り出したのは彼の才能だったとはいえましょう。その曲自体、他のディスコと比べても、私はかなり凝った作りではないかと思っています。80年代に入ると、見事に息切れして表舞台から去ってしまったアレックですが、いま聴いてもそんなに古臭さを感じませんよ、と陰ながら励ましたいところです。

さて、アレック関連の再発CDですが、これがまた絶望的なのです。日本盤を含めて3〜4枚の正規盤が出ているのものの、ずいぶん昔に廃盤となり、今後も入手は極端に困難と思われます。理由は、彼自身がどういうわけか、「もうディスコの過去は封印したい」と、再発を望んでいないからだといわれています。レコードは比較的、入手しやすいのですけどね。

写真上は、79年発売の典型的オーケストラディスコである「Alec R. Costandinos & The Synchophonic Orchestra」のアルバムです。写真下右は、77年発売のLove&Kissesのデビューアルバムで、Accidenntal Lover(なんと17分!)とI Found Love(同16分!)の2曲が入っています。いずれも、しょうがないので変なネット販売ルートで購入したロシアの海賊盤です。音はまあまあですが、胡散臭さ満点のシロモノです。

Love And Kisses