
ところが、アイクは大成功に浮かれたのか、もともとだらしなかったのか、ドラッグ中毒に陥り、日常的に家庭内暴力をふるうようになりました。愛想をつかしたティナは76年、僅かなお金を持って家を飛び出し、ようやく離婚にこぎつけると、ソロとして活動を開始するようになりました。
それでも、かつての栄光とはかけ離れた生活。ダメ夫のせいでキャンセルしたツアーの補償など、多額の借金も抱えるようになりました。ソロで2枚のアルバムをだしたものの、まったく売れず、小さなクラブで歌ってこつこつ稼ぎ、急場をしのいでいました。
しかし、80年代半ばに突然、彼女に神風が吹きました。ルパート・ハインという英国のシンセポップ畑のプロデューサーに見出され、デビッド・ボウイやミック・ジャガーら大物の協力を得た結果、再び大ヒットを連発するようになったのです。そのきっかけになったのは、アル・グリーンの72年の全米No.1ヒットをリメイクした「レッツ・ステイ・トゥゲザー」(84年)。この曲は全米R&Bチャートで3位になったばかりでなく、なんとディスコチャートで1位を獲得しました。
私は当時、このレッツ・ステイの12インチを輸入盤店でしょっちゅう見かけました。全米ディスコチャートで1位になったので注目したのですが、さほどダンサブルではなく、買うのを見送った記憶があります(ジャケ写も、ティナのどアップでコワかった)。何でディスコでだけ1位になったのかは今だ理解しきれませんが、改めて聴いてみると、シンセポップの味付けが80年代そのもので心地よく、スロー系ダンサーの名曲の一つではあると実感します。
写真上のCDは、もがき苦しんでいた79年に発売したアルバム「Love Explosion」。やはりジャケ写がコワいのですが、実は、前々回紹介したアレック・R・コスタンディノスがプロデュースしており、表題曲などは“もろディスコ”です。今回紹介したのは、「レッツ・ステイ」もさることながら、この1枚があればこそ、「ディスコのティナ・ターナー」として成立するのではないかと考えたのでありました(売れなかったのだが)。アレックらしさはさほど展開されておらず、曲そのものは凡庸ですけど、あの特徴的な「ダミ声パワフル」の“どんどこディスコ”もなかなかオツなものです。
写真下右は「レッツ・ステイ」のほか、「ベター・ビー・グッド・トゥー・ミー」、「プライベート・ダンサー」といった大ヒット曲が目白押しのアルバム「プライベート・ダンサー」(84年)。バカ売れしたので当然ながら再発されておりまして、CD店でもよく見かけます。ボーナストラックとして、「ベター・ビー・グッド・トゥー・ミー」などのダンス系3曲のロングバージョンも入っていて大変お得ですね。

毛がフリンジに見える・・
今日はなんと私も(40さい)ティナと同じくらい外でさけびました!
結果;へびを飼うことにしました。