Billy Paulディスコのチークタイムの王様といえば、ビリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972年、全米一般チャート1位、同R&B1位)。ソウルバラードの最高峰とも言われる名曲ではありますが、これ以外にさしたるヒット曲のないビリーさんは、どうしても一発屋です。ミセス・ジョーンズがあまりに偉大過ぎたのです。

そんなビリーさんですが、マージナル(辺境)な領域にこそ意味があると考える当ブログでは、謹んで彼の70年代後半の曲群を取り上げようと思います。もちろん“ディスコ・アーチスト”として。

ビリーさんは34年、「ソウル音楽のメッカ」の一つフィラデルフィア生まれで、17歳のときには既に最初のレコードを出すなど早熟なアーチストでした。でも、なかなかスターダムにのし上がるチャンスには恵まれず、30代後半のころに出したアルバム「360 Degrees of Billy Paul」収録のミセスジョーンズが特大ヒットとなり、初めて一般に認識されるようになったのでした。相当な遅咲きです。

メジャーになるきっかけは、かのフィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)の中心を担ったプロデュース・チーム「ギャンブル・アンド・ハフ」との出会いです。ミセスジョーンズも彼らのプロデュースによるものでした。

ところが、その後はなぜかヒットには恵まれず、ハタからは「もう消えちゃったのか?」と思われても仕方がない状況となりました。ソウル界の歴史を振り返っても、屈指のボーカル力を持っていたわけで、もうちょいメジャーのままで居続けてもよかったはずです。けれども、同じRIPのソロボーカリストのスターであるテディ・ペンダーグラス、ルー・ロールズなどと比べても見劣りしていたことは否めません。

そんな中でも、ポールさんはアルバムを出し続けました。とりわけ70年代後半には、「Let 'Em In」(76年)、「Only The Strong Survive」(77年)と、時流に乗ったダンサブルな曲を中心に構成するディスコ的好盤をリリースしています。周囲は苦笑したかもしれませんが、今聴いても、いかにもフィリーサウンドらしいオーケストラルな「ステップ軽やか系ディスコサウンド」が展開されています。アメリカでは今ひとつだったにせよ、英国やフランスなどでは一定の人気がありました。

「Let 'Em In」では、表題曲がなんといっても印象的です。ポール・マッカートニーの原曲のダンスリメイクですが、歌詞では彼が敬愛する故人のヒーロー(キング牧師など)の名前が出てきます。キング牧師やマルコムXの演説が、不気味にサンプリングされて入っている珍曲なんですね。

「Only The Strong Survive」も表題曲がもろフィリー・ディスコです。こちらの歌詞は文字通り「強いものが生き残るんだ!」というもので、なんだかちょっと恐ろしげな「弱肉強食ディスコ」(!)です。まあ、よくよく歌詞を見ると「弱気にならないで頑張ろう!」てな調子で、落ち込んでいる人を勇気付けるような単純な内容なのですが、それにしても今流行りの「ポジティブシンキング」ディスコということで珍曲でしょう。

ポールさんはこの後、ディスコ曲「Biring The Family Back」などが入った「First Class」(79年)をリリースして、PIRからは去ります。80年代にも、他のレーベルからいくつかアルバムを出していますけど、もう水面上に浮かび上がることはありませんでした。

それでも、私などは「Let 'Em In」と「Only The Strong Survive」は、「典型的ドンドコおバカ」ではないにしろ、ディスコフリークには必須モノだと思います。合間に入っているバラードも、さすがにいい雰囲気を出しております。

ポールさんのCDはベストを中心にけっこう出ています。写真はなんと、上記ディスコ時代の「Let 'Em In」、「Only The Strong Survive」、「First Class」に加え、「Biring The Family Back」と「Let 'Em In」収録のディスコトラック「How Good Is Your Game」の12インチバージョンが入った2枚組の優れもの(米PIR盤)です。もう齢70を越え、好々爺の雰囲気があるポールさんですが(オフィシャルサイト参照)、ディスコ的にもなかなか印象深い楽曲を残している人だけに、ありがたい再発といえましょう。