
ジンギスカンは、まず曲としてのジンギスカンが作られて、後で曲のコンセプトに合わせてグループが結成された経緯があります。旧西ドイツのベルント・マイヌンガー(Bernd Meinunger)なる学者が70年代後半、音楽プロデューサーであるラルフ・ジーゼル(Ralph Siegel)と相談して、「売れる曲を作ろう」と計画。当時の大衆の嗜好を徹底的に調査・研究した結果、出来上がったのがジンギスカンだったとされています。
ベースになったのは、世界で既にドイツ発ディスコスターとして名を上げていたボニーMでした。つまり、シルバー・コンベンションや初期のドナ・サマーらと同じミュンヘンディスコのくくりになります。
「売れたいコンセプト」で作られただけに、もう最初から無防備に商業ベースなグループでした。800年前の騎馬民族による大帝国モンゴルの総帥ジンギス汗を意識した奇天烈なコスチュームは話題を呼び、ヨーロッパのメジャーな音楽祭「ユーロビジョン・コンテスト」でも入賞を果たし、ほとんど無視されたアメリカ市場を除いて、ほぼ世界的なディスコスターとなったのでした。
ただし、本当にジンギス汗がそんなに派手な王様だったのかは疑問です。伝えられている肖像画はこれですからね↓

まあ、ビジュアルもさることながら、曲自体がユニークです。ジンギスカンのほかにも、ジンギスカンと並ぶ名曲「めざせモスクワ」とか「チャイナボーイ」とか「イスラエル」とか「サムライ」とか、世界をかけめぐっています。
もう曲名だけ見ても“ジンギスカンたべておなかいっぱい”な感じ。80年代の竹の子族などには、「ハッチ大作戦」という曲も定番として親しまれていました。いずれもオリエンタル風だったり、チェコ民謡のポルカ風だったりと、いかにも欧州のディスコらしい陽気さを特徴としております。歌詞はドイツ語で、普通の英語の洋楽とは異質な響きがありますので、その分、曲の個性が際立っています。
やはりこの人たち、80年代に入ると一気に人気は下降線を辿り、80年代半ばには解散を余儀なくされました。2000年代になって一部メンバーにより再結成しましたが、最も派手な衣装を身にまとい、舞台で中心になって踊っていたメンバーのルイス・ヘンリック・ポンジェッター(Louis Hendrik Potgieter)は90年代半ばに既に、エイズで亡くなっています。別の中心メンバーだったスティーブ・ベンダー(Steve Bender)も2006年、がんで死去(享年59)。鮮烈な印象を残した“究極の際モノ”ディスコグループは、記憶の中に永遠に封印されることになりました。
CDは日本盤でいくつか出ています。写真は95年発売のビクター盤で、ジンギスカン、めざせモスクワ(6分バージョン)、ハッチ大作戦、サムライなどの代表曲がほぼ網羅されております。