Four Topsは〜〜い!今回は「しゅがぱ〜い〜♪は〜に〜ば〜ん♪」(Sugar Pie、 Honey Bunch)の「I Can't Help Myself」(1965年、全米R&Bチャートで9週間1位)、さらには「Reach Out I'll Be There」(66年、R&Bで2週間1位)で超おなじみのフォー・トップスでありま〜す!

と無理に明るくスタートしてみましたが、もちろんここでの焦点は、こてこてモータウン時代の“ソウルの大御所”トップスさんではありません。ディスコに少し色気を出した70年代半ば以降に光を当ててみましょう。

フォー・トップスは、今から半世紀以上前の50年代前半にモータウンの地元デトロイトで結成された黒人ボーカルカルテット。リードをとるLevi Stubbs(レビ・スタッブス)の渋く響き渡るバリトンボイスと、残り3人の歌声が紡ぎ出す絶妙なハーモニーが持ち味で、テンプテーションズやシュープリームスらとともにモータウンの黄金時代を築いたのでした。

もちろん、その成功もホーランド・ドジャー・ホーランド(Holland-Dozier-Holland)というモータウン専属の敏腕プロデューサーチームがいたからこそです。上記の大ヒット2曲とも、ラモント・ドジャーをはじめとする敏腕プロデューサーたちの作曲でした。

ところが、67年にその「ホーランド」の面々がモータウンとの契約を解除したころから、トップスさんの運命にも影が差し始めました。大ヒットから遠ざかるようになり、72年にはついにABC系列レーベルへの移籍を決意します。けれども、ここでも苦悩と重圧があったようで、「しゅがぱ〜い」と「リーチアウト」並みのヒットを実現することは到底かないませんでした。

そんな中、彼らは起死回生のディスコ系アルバムを76年に発売します。そのタイトルとは「Catfish(キャットフィッシュ)」、つまり「なまず」です。このアルバムからリリースされたシングル「キャットフィッシュ」は、R&Bチャートで久しぶりにベスト10に入る7位まで上昇するヒットとなり、低迷気味だったトップスさんは一息つくことができたのでした。

当時、この「なまず」の歌詞はけっこう際どい内容だとして、保守的なラジオ局などからは敬遠されてしまいました。例えば、

Hey, hey, yeah, hey, yeah, hey
She was a disco queen
She came from New Orleans
Catfish was her name
Dancin' was her claim to fame
(ヘイヘイヘイ
彼女はディスコクイーンだった
ニューオリンズから来たのさ
彼女の名は“なまず”
ダンスで有名な女なのさ)

といった具合に入ってきて……

Catfish sure was nice
She makes my nature rise
(“なまず”はとにかく最高だった
彼女は俺の本性を高揚させるのさ)

と、サビで繰り返すのです。後半の「本性を高揚させる」という部分が、「性欲(nature)を高める」とも読めるということらしいのですが、それよりもなによりも、「ダンスの上手いなまず女」ってどうなんでしょうか。これはいろんな文献や資料を読んでも謎のままであります。

さて、この「Catfish」のアルバムのCDはおろか、珍曲「Catfish」が入ったベストおよびコンピレーションCDですらけっこうない。そもそもABC時代のCD自体が少ないのです。やはり世界のリスナーのトップスさんへの記憶自体、モータウンにかなり偏っていることが分かります。

写真の「Their Best 1972-1978」(米MCA盤)は、そうした数少ないABC時代のヒット曲集。この中には「Catfish」のほか、売れなかったけど一応ディスコ系の「Love Music」、「Inside A Brokenhearted Man」などが収録されています。「ディスコなトップス」を感じ取れる貴重なCDだと思います。

このCDのライナーノーツには、リードボーカルのレビが81年、雑誌インタビューに語った次のような言葉が引用されています。

「われわれはディスコブームとは距離を置きがちで、時流に乗ったレコーディングができなかったんだね。強いて上げればキャットフィッシュということになる。でも、レコード会社はあまり後押ししてくれなかったな。“歌詞がイヤラしい”って指摘されたしね」

私自身は、トップスのABC時代のアルバムはぜひ、またCDで手軽に聞き直したいと思っております。ディスコ系でいえば、ほかにも「The Show Must Go On」(77年)とか、フィリーサウンド風の「H.E.L.P.」(78年)などはなかなか軽快で、かつフォートップスらしさを保っていて及第点だと思いますね。

トップスさんたちは、このABCとも、70年代末に決別することになります。次の行き先はなんと「ディスコの殿堂」カサブランカレーベル。ここで2枚のアルバムを出し、「When She Was My Girl」が久々にR&B1位に輝きましたが、その後はさしたるヒットには恵まれませんでした。さらに80年代半ばにはモータウンにも復帰するなどしましたが、どうしても浮上できませんでした。

やっぱりモータウン時代の成功が偉大過ぎたようです。まあ、ディスコになびいた時代があったとはいっても、職人気質なソウルボーカルの基本線は崩していませんし。「ドンドコ、ドンドン」と素直にディスコ化したスピナーズやウィスパーズなどとは違って、なんだか踏ん切りがついておらず、中途半端な印象も否めないのです。

「しゅがぱ〜い」と「リーチアウト」については、70年代後半以降、何度かディスコリメイクもされています。有名なところでは、ボニー・ポインター、ナーラダ・マイケル・ウォルデン、ユーロビートのタップスあたりですね。

このグループは90年代後半までメンバーチェンジがなく、息の長さも自慢でした。「過去の栄光」をひっさげて、主にツアーアーチストとして活躍していたのですが、97年に4人のうちの1人(ローレンス・ペイトン)が亡くなって以降、相次いでメンバーが鬼籍に入ってしましました。たった一人、残ったオリジナルメンバーのアブドゥル・ファキア(74歳)が、3人の新メンバーとともに「フォートップス」をいまも存続させているというのは、それはそれで驚きです。

写真下は、意外にも今年秋に発売されてしまったカサブランカ時代の再発アルバムCD「Something to Remember」。しかも、2枚のアルバムが1枚に収まっているオトク盤。見つけたときには、「おぉ!こんなのも出るのか」と感激にむせびました。とても貴重であります。

Four Tops 2