
まあ、個人的に好きだというのが最大の理由なのですが、ディスコ史的にはもちろんのこと、R&Bやジャズ・フュージョンといった彼の持ち場のフィールドにおいても、あまりにも過小評価されているキライがある実力派なのでありますから、ここは判官びいきをさせていただきます。
この人は1943年、米バルチモア生まれ。もともと、かのジャズ界の巨匠ビル・エバンスやトニー・ウィリアムスといった面々と共演してきた敏腕ピアニストです。特に75〜80年ごろのディスコ期によくあるパターンとして、力のあるアーチストが「ちょいとブームに乗っかってディスコを出してみましょうかな」と、おもむろに実質的ソロデビューを果たしたのが1976年です。
その一発目が、エピックからリリースした「On The Town」というアルバムでして、時代が時代ゆえに、うれし恥ずかし「もろオーケストラディスコ」(米ディスコチャート36位)。つまり、ストリングス、ホーンセクション、パーカッションなどのパートの演奏者が総勢数十〜百人強という大編成で、湯水のごとく人件費を使って仕上げているわけですね。
このアルバム、セールス面ではほとんどペケでしたが、内容はディスコ好きにはとて〜も満足のいく内容になっています。各パートの演奏がたたみ掛けるように重なっていくパターンで、爽やかにに踊らせてくれます。
ついでに一緒に収録されているスローバラードやソウル風ミディアムテンポも、まずまずのメロディアスさをキープしていて、「硬軟織り交ぜて技あり!」の佳作だと思っています。けれども、基本的には、もともとジャズ畑なのに、よくもまあ、こんなストレートなディスコをやってくれたものだ、と感心しつつ敬意を表する次第です。
特に、レコードA面に入っているアルバム表題曲「On The Town」と「Saturday Night Steppin' Out」なんて、ディスコ界では数段格上の上記アレックさんとかバリーさんにも匹敵する出来栄えだと個人的には思います。
楽団音楽であるオーケストラディスコは、ポール・モーリアみたいなイージーリスニング音楽とも近い関係にあります。当然ながら、ボーカルなしのインストの場合が少なくない。そのせいか、池袋や上野の喫茶店の有線でよく耳にするような、「なんだか昭和だよね。さっ、モーニングセットのゆで卵とサンドイッチたーべよっと」と言わせしめるいくばくかの脱力感は否めません。
しか〜し、これこそが70年代後半に世界中のフロアを蒸し暑く揺り動かした“音”そのものだったわけです。オーケストラディスコが好きな向きには、大御所バリー・ホワイトとかMFSBの後ぐらいに聴いてみていただきたいと謙虚に願っております。ディスコブーム後に訪れた人件コスト削減の大合唱の中で、万能シンセサイザーに頼りはじめる80年代に入る直前の、その素朴な「ダンシングの呪文」も、今となっては貴重な身体性の発露と思われます。
ウェブスターさんはこの後も、同じエピックから3枚ほどディスコ系アルバムを出しています。とりわけ79年のディスコブーム終焉期に出した「8 For The 80's」(上写真)と、ブーム終わっちゃったのに非オーケストラで無茶攻めした「Let Me Be The One」(下写真)は、逆に珠玉の無防備ディスコとなっております。主な曲は前者が「You Deserve To Dance」、後者がアルバム表題曲「Let Me Be The One」で、全体としてとにかく素晴らしいです(久しぶりにべた褒め)。
かつての一流ジャズミュージシャンだっただけに、これらソロアルバムの共演者の中には、ハービー・ハンコックとか、タワー・オブ・パワーのグレッグ・アダムスといった有名どころの名前も見えます。ついでに81年には、ついにバリー・ホワイトとのコラボで「Welcome Aboard」というディスコ系アルバムまで出しました。
ディスコ化したウェブスターさんは、81年までディスコにこだわったものの、セールスが振るわなかったこともあって、82年以降は第一線から退き、やや地味めにCMソングライターとして活路を見出しました。堅実な音楽人として第二の道を歩んでいたのですが、2002年、糖尿病がもとで50代の若さで亡くなっています。
実は、彼が76年から81年にかけて発売したディスコ系ソロアルバム4枚はいずれも2008年、ありがたいことに英国からボーナストラック付きでCD化されています。レア化していない今なら、まだまだ通常価格で入手可能ですから、興味があれば試しに1枚いかがでしょうか。ちょっと意外なディスコ体験ができるものと思います。
