
代表曲はバラードなら「マイ・ガール」(65年、全米一般チャート1位、R&B1位)、「Just My Imagination」(71年、一般1位、R&B1位)、アップテンポなら「ゲット・レディー」(66年、一般29位、R&B1位)、「I Can't Get Next To You」(69年、一般1位、R&B1位)といったところでしょう。結成当初から、長らくモータウンサウンドの代名詞のように言われてきました。
このグループがセールス的に最高峰でいられたのは70年代半ばまでです。60年代末に始まったヒッピームーブメントに象徴される新しい時代の波に乗るために、スライ&ザ・ファミリーストーンみたいな「サイケデリック・ソウル」路線をとったものの、徐々に失速。加えて、エディー・ケンドリックス、デビッド・ラフィン、デニース・エドワーズという看板テノール歌手が、相次いでソロに転向したり、ドラッグ中毒になって素行が悪くなったりして、自己崩壊を起こしてしまったのです。
それでも、テンプスさんたちは、メンバーチェンジやメンバーの死去、所属レーベルの移籍といった紆余曲折を経て、現在もなお存続している稀有な長寿アーチストとなっています。
ディスコ的にはまず、72年の「Papa Was A Rolling Stone」(一般1位、R&B5位)が面白い。曲自体はもさ〜としたサイケな調子でダンス向けとは言い難いのですけど、まだディスコブームのかなり前だったにもかかわらず、通常シングルで約7分、12インチ盤だと12分もの長さがあるロング・チューンなのでした。
さらに、ディスコが盛り上がり始めた75年には、「ハッピー・ピープル」(R&B1位、米ディスコチャート11位)、「グラスハウス」(R&B9位、ディスコ8位)といったダンサブルな曲が収録された「A Song For You」をリリース。その後も「パワー」(80年、ディスコ23位)、リック・ジェームスとのコラボによる「Standing On The Top」(82年、R&B6位、ディスコ11位)をはじめ、ドラムビートを明確にしたディスコ曲をコンスタントに出したものの思ったようには売れず、低迷期に入ってしまいました。
しかし、「もうこれで表舞台からは退場か……」と思わせた矢先の84年、テンプスさんは復活を遂げました。アルバム「Truly For You」(写真)のシングルカット「Treat Her Like A Lady」がR&Bで久しぶりのベスト5入りとなる2位まで上昇、ディスコでも13位となりました。
まあ、とりわけ60年代の金看板だったエディーもデビッドもソロになって久しく、チャートアクション的には往時とは比べ物にはなりませんけど、このアルバムでは、相変わらず秀逸なコーラスと、流行りのシンセサイザーの打ち込み音がうまく調和しています。特に「Treat Her…」は「明るく正しい80年代ディスコ」でして、日本のディスコフロアでも大人気でした。以前に取り上げたコモドアーズと同様、かつての名ソウルグループが「看板アーチストなし」で復活したことは特筆すべきでしょう。
続いて翌85年に出したアルバム「Touch Me」も、似たようなエレクトロ・ファンクっぽい内容。とても聞きやすく踊りやすいディスコな曲がいくつか含まれています。
ソロになったエディー、デビッドともに、ディスコでもそれなりの活躍を果たしました。エディーには「Goin' Up In Smoke」(76年、米ディスコチャート11位)、デビッドには「You're My Piece Of Mind」(77年)といったディスコ系のとてもヨイ曲があります。ただ、これまた往時のテンプス時代とは比べるべくもありません。どちらも突出した美声の持ち主だったのですが、やはりコーラスの中でこそ生かされていたとみるべきでしょう。結果的には、二人とも長年の不摂生がたたって、90年代初頭に50代前半の若さで亡くなっています。
テンプスや元テンプスたちのアルバムの再発CDは、意外にあまり制作されておりません。復活記念アルバムとなった「Truly For You」については最近、オランダPTGレーベルから再発されましたが、まもなくレア化しました。ベスト盤がいくつかあるので、ほとんどそれで我慢するしかない状態です。