
この黒人シルバーズきょうだいは1972年、アルバム「ザ・シルバーズ」で実質デビュー。子供グループであるため、当初から「ジャクソン・ファイブのコピーじゃん」との疑惑を抱かれつつも、「人数は9人もいてほぼ倍だし、女の子も入ってるし」と意に介さず、ダンス系を中心にかなりの大ヒット曲を世に送り出しました。実際、息の合った男女のコーラスワークには定評があり、70年代半ばにはジャクソン・ファイブ(ジャクソンズ)と肩を並べるほどの人気ぶりでした。
しかし、上記三羽がらすの後は失速してしまい、所属レコード会社を「キャピトル」からディスコレーベル「カサブランカ」に替えました。ここで、飛ぶ鳥落とす勢いのジョルジオ・モロダーにプロデュースを依頼し、アルバム「Disco Fever」(79年、YouTubeメドレー)を満を持してリリースしました。が、ディスコ最盛期にもかかわらず、いまいちノリが良くなくて“ディスコフィーバー”じゃない出来でして(私は愛嬌を感じて好きなのだが)、セールスがさっぱりだったのです。「手を抜いたのかなあ?ジョルジオ…」とメンバーたちも残念至極でした。
この間、きょうだいの中でも中心人物だった長兄レオン・シルバーズだけはカサブランカに移らず、黒人ディスコ系の新興レーベルである「ソーラー・レコード」に引き抜かれました。ひとり超売れっ子プロデューサーとして大活躍し、シャラマー、ウィスパーズ、ダイナスティーといった看板アーチストを手がけ、次々と大ヒットを繰り出したのです。
間もなく、残りのきょうだいたちもソーラーに合流。兄レオンのプロデュースで、「成長したボクたちを見てくれ!」とばかりにやや大人びたR&Bアルバム「Concept」を発表しますが、これまたコケてしまいました。もはや復活のきっかけをつかめないまま、84年に別のレーベルから「Bizarre」というアルバムを1枚出して解散し、(地位を確立したレオンを除いて)そのまま表舞台から去っていきました。2004年には、ボーカル、パーカッションを担当したエドモンドが47歳の若さで病死しています。
やけに明るいバブルガムな少年少女グループだったけに、ディスコブーム後の凋落ぶりには同情を禁じえませんが、これも盛者必衰のディスコ界では珍しいことではありません。むしろ「あははははははは!」と無邪気な笑いに包まれた刹那的ディスコにとっては、相応しい展開ともいえるでしょう。彼ら、彼女らもまた、ほぼディスコ一本やりで全米チャートを制し、その一瞬の強烈な輝きをもって、これからも記憶されることになるのです。
とにかくこのグループは、75年からの約3年間に凝縮されています。写真の米Curbレコードのベスト盤CDは、たった10曲しか入っていないのが残念ですけど、その3年間に放った「三羽がらす」が一応収録されています。しかも、数百円で入手可能です。
一方で、アルバムの再発CDはほとんどなし。唯一、「Concept」がカナダのUnidiscから出ています。当時は売れなかったわけですが、「I'm getting over」、「Come Back Lover, Come Back」など、ソーラーサウンドらしい、シャラマーばりの小気味よいダンス曲で構成されており、内容的にはまずまずです。
次回からは、久しぶりに白人ニューウェーブ系に目を向けてみようと思います。