
1971年、ケニー・ギャンブルとレオン・ハフという2人のミュージシャン兼プロデューサーが、デトロイトのモータウンに対抗して、米フィラデルフィアを拠点とする音楽レーベル「フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)」を立ち上げました。そのときに、所属ミュージシャンのバックで演奏するオーケストラとして編成したのがMFSBというわけです。
精鋭ミュージシャン約30人で編成されたMFSBは、「Mother, Father, Sisiter, Brother」の略で、家族的な「友愛」をイメージ(なんか鳩山さんみたいだが)。音の特徴は、メリハリの利いたドラム&ベースラインと滑らかなストリングス。とにかく踊りやすさを重視しており、台頭しつつあったディスコという空間に、ものの見事にマッチしてしまったのであります。
とりわけ、ディスコビート・ドラム(ドンドコドラム)の発明者とされるドラム担当のアール・ヤングが紡ぎだす「シャカ、シャカ、シャカ、シャカ♪」のハイハット音が、曲に無上の躍動感を与え、聞く者たちを「いきなり華麗なダンサー」に仕立て上げてしまうのでした。(YouTube動画「アール・ヤングの楽しいドラム教室!」ご参照)
PIRのミュージシャンは、当ブログでも既に紹介したオージェイズ、ビリー・ポール、スタイリスティックスのほか、今年1月に死去したテディー・ペンダー グラスがいたハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツなどの黒人が中心。「フィリーサウンド」とディスコのブームに乗って、彼らの曲は世界中で大ヒット しました。
MFSB名義でのアルバムは、1973年発表の「MFSB」が第一弾。人気TV番組「ソウル・トレイン」のテーマになった「T.S.O.P.(ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア)」(米一般チャート1位、米R&Bチャート1位)が収録されています。
この後もヒット・アルバムをリリースし続け、「Love Is The Message」(74年、R&B42位)、「Sexy」(75年、R&B2位、米ディスコチャート2位)などのシングルヒットも生み出しました。
しかし、70年代半ば以降は、メンバーが「レオン&ハフ」と契約面で対立して脱退するなどして、大きくグループ編成が変わりました。脱退したメンバーの多くは、ライバルの「サルソウル・オーケストラ」に転籍しました。活動ぶりも人気も、下降線を辿っていったのです。メジャーな活躍としては、77年公開の映画「サタデーナイト・フィーバー」のサントラで「K-Jee」という曲を演奏しているのが目立つ程度です。
ディスコブームのさきがけだったのに、ディスコブームど真ん中のころには下火になってしまったMFSB。まあ、それでも、一時代を築いたフィリーサウンドの要だった彼らのアルバムは、とても斬新でした。デクスター・ワンセル、ビンセント・モンタナなど、後に自らの名前でレコードをリリースした大物アーチストが所属していたこともあり、演奏の完成度も高かったと評価されています。
というわけで、アルバム再発CDもベストCDも世界各国から順調に出ています。写真は70年代半ばに出した2枚のアルバム「Philadelphia Freedom」(75年)と「Summertime」(76年)をカップリングした2枚組みCD(英edsel盤)。「う〜〜〜んエレガント」な「ザ・オーケストラディスコ」MFSBの真髄が味わえる最後の演奏が聞くことができます。