Barry White聞けば一発でわかるモヤモヤ低音ボイス。アップリフティングな高音ボーカルが重視されがちなディスコでは、かなり異色だった伝説のヒットメーカー。久方ぶりの投稿となる今回は、「どこまでもメロウで小いやらしい」初期ディスコ界の巨漢の大御所バリー・ホワイトさんを取り上げてみましょう。

バリーさんは1944年米テキサス州生まれ。すぐに親とともにロサンゼルスに移り住みましたが、そこは貧困層が多く住む地区で、犯罪の温床にもなっていました。彼自身、不良グループに入り、窃盗の罪で服役したこともあります。けれども、当時流行していたプレスリーなどのロック音楽に目覚め、独学でピアノを練習して更生の道を歩み出します。60年ごろには地元のボーカルグループにも参加して、活動を本格化させました。

その後、60年代半ばになって、レコードレーベル「デルファイ(Del-fi)」のオーナーであるボブ・キーン(Bob Keane)に見出され、まずはA&R(アーチスト発掘担当)社員として働き始めました。そこで後にディスコヒットを飛ばすヴィオラ・ウィルス(Viola Wills)などへの楽曲提供、アレンジ、バックミュージシャンを手掛け、裏方としてのマルチな才能に磨きをかけたのでした。

ちなみに、ボブ・キーンはもともとクラリネット奏者で、30-40年代に流行したジャズのビッグバンドに強い影響を受けた人物。演奏者としては活躍できませんでしたが、80年代のヒット映画「ラ・バンバ」で描かれた50年代の人気ロック歌手リッチー・バレンスを見出し、育てたことでも知られます。

そして69年、バリーさんはシュープリームスを模した女性3人組のボーカルグループ「ラブ・アンリミテッド(Love Unlimited)」を発掘し、自らプロデュース。70年代には、彼女たちに加えて演奏者40人からなるオーケストラとして発展的に再編成し、「ラブ・アンリミテッド・オーケストラ」として売り出したところ、73年のデビュー曲「Love's Theme(愛のテーマ)」が大ヒット(全米一般チャート1位)したわけであります。

この曲は、70年代ディスコのルーツとも言われているインストゥルメンタルの逸品。軽くステップを踏みつつ、その旋律に身を委ねれば、「さわやかストリングス」がそよ風のように全身を駆け抜けます。いまだって、朝のテレビやラジオやCMや喫茶店や郊外型ショッピングセンターで、誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。Love Unlimet Orchestraは、この後も70年代を通して、「オーケストラディスコ」の代表格としてヒットを重ねることとなります。

メンバーの中には、後に名を上げるレイ・パーカーJrやリー・リトナー、アーニー・ワッツといった面々も入っていました。当時の流行音楽シーンでは、ビッグバンドの「グレン・ミラー楽団」のような大編成バンドはほとんど消え去っていたのですが、敢えて人件費無視の「40人編成」という大ばくちを打ったことで、逆に大衆には新味のある音として受け入れられたといえるでしょう。

一方、バリーさん自身もソロ名義で同時期、「I'm Gonna Love You Just A Little More Baby」(73年、米R&B1位、一般3位)、「Can't Get Enough Of Your Love, Babe」(74年、R&B、一般ともに1位)、「You're The First, The Last, My Everything」(同年、R&B1位、ディスコ2位)といった大ヒットを次々と飛ばしました。もちろん、バックバンドとして、彼の率いる「Love Unlimited Orchestra」がその巨大な背中をしっかり支えていました。

いずれの曲も、「もわ〜〜〜」としたバリーさんのバリトン&ベース・ボイス、つまり以前に紹介したアイザック・ヘイズをもう一段低く、しかもそのキワどい歌詞と同様に「小いやらしい」感じにした声が横溢し、むせ返るほどです。とはいえ、基本のリズム進行は8ビートもしくは16ビートの「ズンチャカディスコ」ですので(バラードもあるけど)、フロアでは踊りながら「もわ〜〜〜」と高揚してくることウケアイであります。

底抜けにゴージャスなオーケストラの演奏に絡む「は〜とふる」な歌声、ため息、熱い吐息。クラシカルな欧州発白人音楽と、ゴスペルを源流とする黒人ソウル音楽との絶妙な組み合わせが、長引くベトナム戦争に憔悴し、愛に飢えていた米国民の胸を焦がしたのでした。

ディスコブームが一段落した80年代に入ると、ヒット曲が急に出なくなって勢いが止まったかのように見えたバリーさん。ところが、90年代には「あの(エロ)声よもう一度」というわけで、クインシー・ジョーンズ、アイザック・ヘイズ、ティナ・ターナーといった大物とコラボレーションして、「The Secret Garden」(90年、R&B1位)や「Practice What You Preach」(94年、同1位)などの大ヒット曲を飛ばすようになりました。その復活力や恐るべし、であります。

そんなバリーさんも、長年の肥満に起因する高血圧や内臓疾患がもとで2003年、58歳の若さで死去します。もうあの声を生で聴けないと思うと残念ですが、CDはベスト盤を含めて豊富に出ております。写真は、私が最も好きな軽やかアップテンポディスコLet The Music Playが収録された76年のソロアルバム「Let The Music Play」。アマゾンなどで千数百円で入手可能なようですので、あの声に一度メロメ〜ロにハマってみてくだされば幸いです。