ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

70年代前半

アイザック・ヘイズ (Isaac Hayes)

Isaac Hayes 1アイザック・ヘイズは70年代初頭、「ブラック・モーゼ(黒い指導者)」の異名をとるほど、黒人社会に影響を与えたソウル・ミュージシャン。独特のスキンヘッド&サングラス姿や野太いバリトンボイスからはかなり硬派な印象を受けますが、70年代半ばから数年間、軽やかに「ディスコ化」した時期がありました。

1942年、米南部のテネシー州に生まれたアイザックさんは、幼いころに両親を亡くし、祖父母に育てられました。コットン農場で働いて糊口をしのぐなど、相当な貧困の中で暮らしたといいます。

唯一の楽しみだったのはもちろん音楽。地元の教会で歌い、さらにピアノやサックスやフルートを独学で習得しました。やがて60年代半ば、シカゴのモータウン・レーベルのライバルで、メンフィスに本拠があった“サザンソウルの砦”スタックス・レーベルの専属ミュージシャンとして活動するようになります。

スタックスでアイザックさんは、オーチス・レディングのバックを務め、スタンダード曲「ソウル・マン」で有名なサム&デイブらの作曲・プロデュースを手がけるなど、見事に才能を開花させました。

ソロとして活躍し始めたのは60年代後半。後にDトレインがディスコものでカバーしたシブ〜いバラード「Walk On By」(69年、全米R&Bチャート13位)をまずヒットさせました。そして71年、彼にとって最大のヒットとなる「Theme From Shaft」(R&B2位、全米一般チャート1位)をリリースしたのですね。

「シャフト」は文字通り、「ブラックスプロイテーション」と呼ばれた黒人商業映画の代表作「シャフト」(邦題は「黒いジャガー」…なんかトホホ)のテーマ曲。まだディスコが世界的に認知される前の時代でしたが、オーケストラが奏でるビートや旋律はかなりダンサブルで、迫り来るディスコブームを予感させるような内容になっています。プレ・ディスコ期の代表的“ディスコチューン”といえるでしょう。

けれども、スタックスは60年代の黒人解放運動を意識した音楽コンサート映画「ワッツタックス」(73年制作)を始めとする巨額の投資が仇となり、70年半ばには経営危機に陥りました。アイザックさん自身も、スタックスとの契約関係がこじれて多額の借金を背負い込み、ほどなくしてスタックスから離れることになります。

そんな金欠のさなか、アイザックさんは「とりあえずカネを稼げ」とばかりに「Chocolate Chip」(75年)、「Groove-A-Thon」(76年)、「Juicy Fruit (Disco Freak)」(同)、「For The Sake Of Love」(78年)、「Don't Let Go」(79年)といった“ディスコなアルバム”を立て続けに出しました。ほかに「Isaac Hayes Movement」の名で「Disco Connection」(76年、写真下)という純なディスコ・アルバムも出しています。スタックス時代にもヒット狙いの「ブラックスプロイテーション」で既に商業主義路線を走っていたわけですけど、それをさらに拡大させたのですね。

一連のディスコものの中からは、「ディスコ・コネクション」(76年、全米ディスコチャート7位)、「ドント・レット・ゴー」(79年、同3位)などのフロアヒットが出ています。

80年代以降は、やはり息切れしたのか音楽活動はトーンダウン。代わって「もう一つの顔」である役者稼業に力を入れました。アクション映画「ニューヨーク1997」(81年)や「ゴールデン・ヒーロー/最後の聖戦」(88年)などに出演したほか、人気アニメの声優などもやっております。

音楽活動は2000年ごろになって再び活発化させたものの、さほど良い結果を残せないまま、「過去の人」に。そしてつい最近の2008年8月、65歳で死去。死因は脳卒中といわれています。あっけない幕切れだったわけですが、ピーク時の70年代を振り返れば、同じような活躍ぶりを示した故カーティス・メイフィールドらと並び、まさに怒涛の勢いでした。

残念ながらディスコ系アルバムはほどんどCD化されていません。上の写真は70年代後半から80年代初頭にかけて所属していたポリドール・レーベル時代のベスト盤。「ドント・レット・ゴー」や「Moonlight Lovin'」などのダンス系がけっこう入っていて、これがややおススメといえましょう。

超名作「シャフト」については、1984年にEddie And The Soulbandというグループがなかなかカッコよいディスコカバーを出しています。CDでは「I Love Disco Emotions」(スペインBlanco Y Negro盤)などのコンピものに収録されています。

Isaac Hayes 2

レア・アース (Rare Earth)

Rare Earth不滅のディスコソングである「ゲット・レディー」は、このレア・アースの作品としても有名。生粋のロックミュージシャンではありますが、1969年にモータウン・レーベルと契約し、異色の白人グループとして、同年に発表したアルバム「ゲット・レディー」の同名シングル曲が大ヒット(70年に全米ビルボード一般チャート4位)したのでした。

前身は1961年に結成され、デトロイトのローカルバンドとして活躍していた「Sunliners」。デトロイトといえば、以前に紹介したマイク・シオドアとデニス・コフィーでして、彼らがまず「Sunliners」を発見していくつか曲をプロデュース。67年にレア・アースに改名後、しばらくしてモータウンが「こいつらはイケる」と契約しブレイクしたわけです。

代表曲「ゲット・レディー」は、もともと同じモータウンの看板グループのテンプテーションズが66年に放ったヒット曲のリメイク。しかし、同チャートで29位だった原曲を凌ぐ人気となったのです。ちなみに原曲の作者はスモーキー・ロビンソンであります。

ディスコでは70年代、さらには80年代以降にも、世界中で普通に定番化していました。古臭さは否めないものの、70年前後生まれの文字通りレアなディスコといえると思います。この手の「古いロックやけどディスコでオッケー」な曲としては、ショッキング・ブルーの「ビーナス」(69年)なんかも挙げられると思います。

レア・アースは「ゲット・レディー」の後、「(I Know)I'm Losing You」(70年、同7位)、「I Just Want To Celebrate」(71年、7位)といったヒットを出しましたが、ディスコ的には78年の「Warm Ride」(同39位)も忘れがたい名曲です。お馴染みビー・ジースの作品で、「いかにもビージーズ」のバージョン(歌ったのは弟のアンディー・ギブ)とは違い、ロック、ポップ、ディスコが融合したようなユニークな仕上がりになっています。

それにしても、レア・アースのゲット・レディーは、アルバム原盤に収録されているヤツは21分半もあるライブバージョン。観衆の前で張り切って演奏が長くなりがちなライブものとはいえ、もうホント長過ぎて、さすがに飽きます。私が持っている12インチの中でも最長不倒記録です。

写真は、その“だらだらバージョン”が入った米盤ベスト「The Millennium Collection」ですが、短いシングルバージョンがいろんなコンピに入っているので、そっちで十分かもしれません。ディスコブームの70年代後半あたりに、きちんとしたディスコバージョンを作っておいてほしかったところです。90年前後に日本でも流行ったCarol Hitchcockやテンプテーションズのユーロビート・リメイク・バージョンも悪くはないですが、やはりちょっとイジられ過ぎている感があります。

80年代以降、いつの間にか表舞台を去っていったレア・アース。私としては、そろそろ「Warm Ride」の入ったアルバム「Band Together」あたりのCD化を望みたいところです。

アル・ダウニング (Al Downing)

Super Rare Disco私はアメリカの古いカントリーとかブルーグラスとかジャグバンドも好きで、たまに聴いているのですが、その中でよく使われる弦楽器にバンジョーというのがあります。米国南部の白人系の楽器であるせいか、ディスコではあまり使われなかった楽器でして、少し前に紹介したKat Mandu“I Wanna Dance”などは、数少ない例の一つといえます。

バンジョーはカントリーらしくのどかな音を奏でます。そこがまた魅力なのですけど、ロックンロール調な早弾きも圧巻でして、心も体も躍らせる要素は十分にあります。そんな好例が、1974年に発売されたAl Downingのシングル「I'll Be Holding On」(ディスコチャート1位、mp3の試聴あり)だと個人的に思っています。メロディーもアルのボーカルもソウルフルで良いのですが、間奏から目立ってくるバンジョーがかなり威力を発揮しています。

アメリカでのディスコは73〜74年に定着し始めました。いつも引き合いに出すビルボード・ディスコチャートがスタートしたのも74年です。ですから、「I'll Be…」はディスコ黎明期の歴史的大ヒット曲ということになります。70年代のディスコ・ミックスの創始者にして“帝王”トム・モールトンがミックスを担当している上、70年代後半に映画スターウォーズなどの「パクリものディスコ」で一世を風靡するミュージシャンMecoがプロデュースを担当している点が、この曲のディスコとしての大きな付加価値として挙げられます。

アルは1940年オクラホマ州生まれ。「ビッグ(Big)・アル・ダウニング」とも呼ばれます。アメリカ南部ということで、やはりカントリーや昔のリズム&ブルース畑のシブいミュージシャンです。最も得意とする楽器はピアノでした。カントリーでは非常に珍しい黒人ミュージシャンだったため、初めのころは苛酷な差別との闘いもありました。

ほとんど個人名のアルバムは出しておらず、主にバックミュージシャンとして活躍していた人です。そんなアルがディスコをやってみたら、突如としてブレイクしたというわけです。

アルさんには弟がいまして、Don Downingといいます。この人もピアノ担当のセッションミュージシャンとしての活躍が長い地味な人ですが、1978年、これまた突如として「Doctor Boogie」といういかにもディスコな名前のアルバムをRS Internationalレーベルから発売しました。兄同様、トムモールトンがミキサーとして加わっております。

Doctor Boogieはそれほど売れなかったのですが、フィリーサウンドっぽい軽快なディスコ曲を中心に構成されていて好盤だとは思います。特に表題曲と「Dream World」(試聴あり)が、今でも好事家の間では人気となっています。アルバムのレア度は高く、状態が良いものは1万円近い高値を付けているようです。

兄弟ともに80年代には再び無名化したものの、米国のカントリー界においては、けっこうな大物の扱いです。兄のアルは3年前、白血病がもとで他界しました。アルはディスコ的にはホント「I'll Be…」に尽きるわけですが、すごく名曲ですので(いきなり絶賛)、遺作としての価値は十分過ぎるほどです。私などにとっては、「I'll Be…」は5回ぐらい繰り返し聴いても飽きないほどでして、70年代前半のディスコ曲の中では文句なしに1位を進呈したいところです。

ダウニング兄弟のアナログシングル、アルバムでさえレア扱いなので、CD化はほとんど望めないような状況です。しかし、奇跡的に「I'll Be…」と「Dream World」の両曲が 10年ほど前に発売されたコンピCD「Super Rare Disco Volume 1」(写真)に収録されています。ほかの収録曲も70年代半ばまでの早期ディスコ曲が多く、「Super Rare」の名に恥じない感じはあります。いつも「レア」という語にはコロッと騙されますので。

ちなみに、2年前に発売されたTom MoultonのCDにも両曲が入っていますけど、「I'll Be…」が少し短いバージョンですので、「Super Rare」がやはりヨロシイ。

ナイジェリア・ディスコ・ファンク (Nigeria Disco Funk)

Nigeria Disco「欧米じゃないディスコ」を探っていたらアフリカにたどり着きました――ということで、今回は「ナイジェリア・ディスコ」です。非常に珍しい音源を集めた9曲入りCD「Nigeria Disco Funk Special」(左写真、試聴可)が最近、発売されたので取り上げようと思いました。

このCDは1974年から79年まで、主に西アフリカ・ナイジェリアの中心都市ラゴスのディスコやダンスクラブでかかっていた曲を集めたもの。Soundwayというイギリスのマイナーレーベルが、アフリカ発の70年代ロックやファンクやポップスを含む「アフリカ・シリーズ」の一つとして発売しました。

言うまでもなく、アフリカ音楽はソウル/ディスコの最大のルーツですから、まあいいかな、と思ったのですが、こりゃ純粋なディスコというよりもファンクの要素が強い。しかも、とびきり荒削りな“どファンク”です。

聴いてみると、演奏自体はなかなかしっかりしている。録音状態もまずまずです。とりわけ、アメリカのファンクの帝王ジェームズ・ブラウンの影響がもろに伝わってきます。サックス・ソロなどは、JBバンドの主軸であるメイシオ・パーカーのノリになっていますし。

ライナーノーツなどを参照すると、貿易港でもあるラゴスには当時、アメリカから輸入レコードが大量に入ってきており、現地のクラブやディスコでガンガンかけられていたといいます。JBに代表されるファンクは、黒人移民をルーツとするアフロ・アメリカン音楽でもあるわけですから、いわば大西洋をまたにかけたダイナミックな逆輸入現象が起きていたのですね。

このCDには、ラゴスの現地バンドが、そうした輸入音楽の要素を取り入れ、まったくローカルにヒットさせていた曲群が収録されています。バンド名として「T-Fire」、「The Sahara All Stars」、「Asiko Rock Group」などの名前が並んでいますが、もちろん、どれも無名です。

JB以外にも、オハイオ・プレイヤーズとか、スタックスレコード時代のバーケイズとかを彷彿とさせる、70年前後の「プレ・ディスコ期」の要素が感じられます。もちろん、(少々シブめながらも)ダンサブルであることは間違いないわけで、個人的には気にって毎日のように聴いています。

あまりにも遠く離れた国なので、ちょっと想像がつきにくいのですけど、70年中期のラゴスにも、若者たちが集まるような歓楽街やディスコがあった、とライナーノーツなどには記されています。私などは「ラゴス」と聞くと、サード・ワールドのレゲエ風ディスコ曲「ラゴス・ジャンプ」を思い出すのですが…。

音楽のルーツとばかり考えていたアフリカですが、ディスコ時代にも立派な「発信源」だったのですね。ただ、アメリカなどに「再輸出」して売り出したバンドも一部にはあったものの、それはうまくいかなかったようです。

それにしても、「あまりにも掘りすぎてアフリカに来ちゃいました」みたいな、「カルトで誰も知らない」シリーズです。もう「レア」という枠を飛び越えています。イギリスとかフランスには、こういうマニアックで探究心旺盛なレーベルがけっこうあるんですけど、まあ、内容が悪くないので、たまにはいいかもしれません。

インクレディブル・ボンゴ・バンド (Incredible Bongo Band)

Incredible Bongo Band今回は久しぶりにディスコのルーツをちょっと掘り下げま〜す。ご登場願うのは、1970年代初めに結成された「インクレディブル・ボンゴ・バンド」。1973年と翌74年に1枚ずつアルバムを出しただけなのですが、その後鬼のようにサンプリングされたマカロニウエスタン風ヒップホップ曲「アパッチ」でおなじみの、“小太鼓炸裂バンド”ですね。

私が「アパッチ」を初めて聞いたのは、1980年代前半。ヒップホップグループのシュガーヒル・ギャングのラップバージョン(81年に全米ディスコチャート51位)です。ただ、西部劇映画風のメロディーは印象的だったものの、純粋なブレイカーまたはB-boyおよびヒップホップ少年ではなかったので、特に入れ込んだということはありませんでした。

後になって、この曲が「ボンゴ・バンド」のアパッチに影響を受けていたことを知り、聴いてみたところ、「断然こっちの方がカッコいいじゃん!」となったのでした。アルバム全体を通しても、文字通りボンゴが前面に出た曲調で、ビートもしっかりしており、今に至ってもめちゃめちゃ「踊らせる」内容であります。

このボンゴ・バンドは、Michael Vinerという白人が中心となり、米ロサンゼルスで結成されました。一時的な実験的プロジェクトだったわけですが、アルバムではリンゴ・スターやジョン・レノンも参加していたそうです(クレジットはナシ)。

厳密に言うと、「アパッチ」は1960年、「シャドウズ」が発表したのが原曲とされています。ボンゴ・バンドのバージョンは1973年の発表。さらに、連綿と現在までリメイク&サンプリングされ続けているというのですから驚きです。近年では「LLクールJ」や「NAS」などが、打楽器パートを代替する「ブレイクビーツ」として、この曲をサンプリング使用しています。ヒップホップ界では、「アンセム(国歌)」とさえ言われており、「ちょっと持ち上げすぎだよ」とも思いますが。

ことほど左様に、よいフレーズ、リフやメロディーは、何度も何度も繰り返し使われることになります。一般ディスコ界では、かつて紹介した「君の瞳に恋してる」とか「Don't Leave Me This Way」、「リライト・マイ・ファイヤー」などが、ヒップホップ界では、「アパッチ」のほか、デニス・コフィー「スコーピオ」、それに数あるジェームス・ブラウンのヒット曲あたりが、それぞれリメイク&サンプリングの“定番”になっております。

いやあ、それにしても、1990年代以降の「ハウスバージョン」、「テクノバージョン」、「○○(DJの名前や変な記号が入る)ミックス」みたいな新解釈ディスコには辟易しており、ある意味「オリジナル原理主義者」である私ですが、ハナから毛嫌いするのは間違っているのかもしれません。だって、例えば、アパッチにしても「ボンゴ・バンド」が原曲ではないし、「君の瞳」もかのボーイズ・タウン・ギャングがオリジナルではない。昔からの真似の積み重ね、というわけです。

先日、団塊世代向け雑誌「dankaiパンチ」の8月号を読んでいたら、歌手の松任谷由美氏が、最近の曲がつまらなくなっていることに触れて、「音楽の黄金律みたいなものは、ある程度既にやっちゃっているからかもしれない」と述べている記事を見つけました。「人類が考えうる音楽のメロディーパターンはもう使用し尽くされた」とさえ言われている21世紀の現在にあっては、リメイクやサンプリングが主流になるのは必然、ということなのでしょうか。

…と、大仰に構えてしまいましたが、私は今後とも、地道に「70&80年代ディスコ」の範疇で、過去をひたすらに掘り下げていく所存であります。過去を知ることは、現在を知ることでもあります。

写真は、昨年発売された「ボンゴ・バンド」のベスト盤CD。――といっても、2枚しかLPを出していないので、きちんと網羅されております。入手はいまのところ容易です。

ザ・シュープリームス (The Supremes)

Supremesちょっと前に話題になった、黒人ソウル音楽をテーマにした映画「ドリームガールズ」のDVDをみていたら、突然、主役のビヨンセたちが歌う「ワン・ナイト・オンリー」という曲がかかりました。何の下調べもせずに適当にビデオ店で選んだので、「なんでこんな曲が入っているのかな」と変に思ったものです。

この映画は、1981年にヒットした同名のブロードウェイ・ミュージカルが下地になっています。物語は、シュープリームスやモータウンレーベルの成功談に基づいているといわれていますが、映画をみても今ひとつぴんと来ません。まあ、筋書き的にはなんとなく分からないでもないのですが、主役の黒人女性3人組が「ベイビー・ラブ」とか「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」とか「恋はあせらず」を歌うわけでもないので、全体的には実感は沸きませんでした(私が鈍いのかも)。

そんなことより、「ええっ!!これが?」という「ワン・ナイト・オンリー」にこだわりたい。これはまさに、シェリー・ペインという元シュープリームスのボーカリストが、84年に、ブロードウェイの「ドリームガールズ」の主題歌をハイエナジーディスコ風にリメイクして、ヒットさせた曲なんです。

……といっても、全米ディスコチャートで最高41位ですから、大ヒットというわけではないのですけど、私自身が札幌のディスコでよく耳にしてやたらと気に入ってしまい、12インチレコードを買ったのでした。映画でも、この曲を聞いたことで初めて、「ああ、この映画は、やっぱりシュープリームスを意識しているのかな」と辛うじて思ったのです。

シュープリームスって、誰がどうみても、ダイアナロスが在籍していた60年代の人たちであります。69年に偉大なるダイアナが去ると、もう記憶の彼方、ってほどではないにしても、マイナーグループに転落してしまいました。

ですが、ディスコ的には、彼女たちは70年代にこそ見るべき点が多いわけです。唯一のオリジナルメンバーであるメアリー・ウィルソンのほか、ジーン・テレル、それにシェリー・ペインといった人々がリードボーカルを担当し、「He's My Man」(75年)、「I'm Gonna Let My Heart Do The Waking」(76年、全米ディスコチャート3位)、「Let Yourself Go」(同年、同5位)といったなかなかのダンスナンバーをリリースしていたのでした。

それでも、往時のようなメジャーヒットは出ず、モータウンからもあまりPRにお金をかけてもらえなくなったことなどから、77年には敢えなく解散。それぞれソロの道を歩むことになったのですけど、成功はしませんでした。シェリーもご他聞にもれず、手っ取り早く「ディスコ」という苦界に身を投じたというわけです。一方で、ダイアナだけはず〜と大スターでしたけどね。

シェリーは、女性ソウル歌手として活躍したフリーダ・ペインの妹でもあります。小柄なわりに歌唱力はめちゃめちゃあるのですが、例えばダイアナ・ロスのような個性は見られない。歌手個人の顔が見えにくいディスコ界から誘いがあったのというのも、分からないでもありません。「ワン・ナイト・オンリー」をリリースしたのは、米ロサンゼルスのメガトンレーベルです。業界的にはマイナーなディスコ企業からすれば、「元シュープリームス」というのは、願ってもないプレミアだったのですね。

意外なところで再発見した「ワン・ナイト・オンリー」。確かに、曲自体は非常によいと思います。ミュージカル、映画、ディスコを問わず、特にその聞きやすくてメロディアスな旋律が、普遍的な魅力になっています。

上写真は、70年代に絞った「ダイアナ抜きシュープリームス」の貴重なベストCD「The 70's Anthology」(2枚組)であります。

シェリー・ペインの「ワン・ナイト・オンリー」については、12インチは結構たやすく手に入るのですが、CDでは今のところ、下写真のハイエナジーディスコのベスト盤「Essential Hi-NRG Classic Vol.1」でしか聞くことができません。ただし、収録曲がいずれもロングバージョンで内容はすばらしい。もちろん、シェリーの「ワンナイト」は、「ドリームガールズ」のサントラに入っているビヨンセの「ワン・ナイト・オンリー(ディスコバージョン)」よりも“もろ80'sディスコ”でして、断然良いです(きっぱり!)。
Deep Beats

カール・ダグラス (Carl Douglas)

Carl Douglasキワ物ディスコとしてすっかり定評のあるカール・ダグラスの「カンフー・ファイティング」(74年、全米・全英チャートそれぞれ1位)。世界を席巻したブルース・リーのカンフーブームに乗って特大ヒットになった一品でして、同時にディスコブームの先駆的作品にもなりました。

ジャマイカ出身でその後欧州に移住。Biddu Appaiahというインド系英国人のディスコプロデューサーに出会い、デビュー曲のカンフー・ファイティングをヒットさせました。実は、この曲はB面用にジョークとして即席で作られ、しかもスタジオの使用時間の制限があったため、10分足らずで録音されたとの逸話が残っています。

レコード会社側が出来上がった曲を聴いて「カンフーブームだし、これはA面でイケるゾ」と思い、急遽A面に変更して発売したところ、予想以上のヒットになってしまったのでした。このレコード会社とは、前回紹介したリアル・シングの初期のヒット曲をリリースしていたの同じ「パイ(Pye)レコード」(英)です。

この曲では、おなじみの「フッ! ハッ!」の掛け声に加えて、随所でオリエンタルな雰囲気を醸し出す「レレレレド、ド、ラ、ラ、ド〜♪」のメロディーが小粋かつ間抜けに流れてきます。以前に紹介したアネカにも使われている「アジアン・リフ」というやつで、欧米人はこれを聞くと中国や日本を思い起こすのだそうです。

映画「サタデーナイト・フィーバー」にもそんな場面がありましたが、欧米人は当時、カンフー術を操るブルースリー、さらにはアジア人全体に妙な好奇心を抱いたようです(今もだな)。“奇天烈系ディスコ”にとっては、格好のテーマになったのだと思われます。実際、翌75年にも「バンザイ」という変な日本風の名前のフランスのグループが、「チャイニーズ・カンフー」というディスコ曲をヒット(米ディスコチャート7位)させています。

この人のCDは、写真のCastle Music America盤を含めてベスト盤(!)がいくつか出ています。通して聴いてみると、なんと意外にソウルフルな感じ。確かにジャケ写真はイタいのですけど、カールさんのボーカルは表現力がありますし、曲調も多少ジャマイカンな旋律が入っているなどして、中身はけっこう凝っています。

まあ一発屋ということで片付けられるアーチストではありますが、英国では多少、長持ちしまして、70年代後半に「Dance The Kung Fu」と「Run Back」という2曲が小ヒットしています。

内容は充実しているからなんとか見直してあげたいところ。でも、本人の歌う姿をみていると、やはりトホホな気分に逆戻りです。現在はドイツに移住して、CMなどの映像企画会社を経営して成功しているようですけどね。

ちなみに、90年代後半には、Bus Stopという英国のアーチストが「カンフー・ファイティング」をラップ&テクノ調にリミックスしていて、PVではカールさん本人も出演しています。

エクスタシー、パッション & ペイン (Ecstasy, Passion & Pain)

エクスタシー、パッション & ペイン (Ecstasy, Passion & Pain)1970年代初期というと、ディスコはまだ広く認知されていませんでした。60年代からの「ゴーゴーダンス」みたいな、ソウルな世界が展開していたころです。レコードレーベルで言っても、モータウン(ジャクソン5「ABC」など)とか、フィラデルフィア・インターナショナル(オージェイズ「ラブ・トレイン」など)とか、ダンスナンバーを世に送り出す会社は数多くありましたが、「黒人解放運動」「ブラック・イズ・ビューティフル」な感じでやけに泥臭く、かつ古典的なイメージがつきまといます。純粋ディスコとは言いがたい。

そんな時代が移り変わろうとする1973年に結成されたのが、エクスタシー、パッション&ペインであります。同名アルバム「エクスタシー、パッション&ペイン」を74年に発表し、中でも「アスク・ミー」は、統計が始まったばかりのビルボード・ディスコチャートで2位まで上昇するヒットとなりました。発売元は「ルーレット」というインディレーベルで、ディスコレーベルのパイオニアといえる存在です。

このアルバムを聴いていくと、いずれも「四つ打ち」のディスコビートがしっかり刻まれております。いよいよソウルの「渋さ」にディスコ風の「ハッピー気分」が加わってきた、といったところでしょうか。

プロデュースはボビー・マーティンで、フィリーサウンドの源流を作ったといえる人です。そして、リードボーカルおよびギターを担当するのはバーバラ・ロイ。数々の著名ディスコアーチストのボーカルを務め、「影のディスコディーバ」でもあったジョセリン・ブラウンは、この人の姪っ子であります。ロイのジョセリン並みのド迫力低音ボイスが際立ちます。

このアルバムの後、「エクスタシー…」は76年に「タッチ・アンド・ゴー」という曲を7インチと12インチシングルで発表しています。これはもう、年代的にももろディスコでして、ダンクライベントなんかでもよく耳にする名曲の部類ですね。全米ディスコチャートでも4位までいきました。プロデュースは、アラン・フェルダー、ノーマン・ハリス、バニー・シグラーの3人組。いずれも、ファースト・チョイスやM.F.S.B.といった著名アーチストの楽曲制作にも関わったフィリーサウンドの大立者です。

ただ、前回紹介の「ゲイリー・トムズ・エンパイア」同様、この人たちもちょっと登場が早過ぎたみたいです。「タッチ・アンド・ゴー」以降、人気は下降線をたどり、大ディスコブームのころには、いつの間にか消えていました。結局、アルバムも1作品を残したのみであります。特に、バーバラ・ロイは非常に評価の高いボーカリストなのですが、いまひとつ本領を発揮できなかったようです。

ちなみに、このアルバムのB面に入っている最後の曲のタイトルは、英語のフレーズとしてよく使われる「Good Things Don't Last Forever」(よいことは永遠には続かない)であります。皮肉なことにその通りになりました。

写真は唯一のアルバム「エクスタシー…」のCD。丁寧にも「タッチ・アンド・ゴー」の7、12インチバージョンの両方がボーナスで入っているおトク盤ですが、12インチバージョンの方は、音が僅かにかすれている部分があり、残念! この曲については、別のCDがいくつか出ている(ルーレット・レーベルの名曲集「Get Up And Move Your Body!」=日本盤=など)ので、そっちの方がいいかもしれません。

ゲイリー・トムズ・エンパイア (Gary Toms Empire) 

Gary Toms Empire
初期(2年前)の投稿で触れたように、最初のディスコ曲というのは、ヒューズ・コーポレーションの「ロック・ザ・ボート」(74年)やジョージ・マックレーの「ロック・ユア・ベイビー」(同)あたりというのが定説。今回紹介するゲーリ・トムズ・エンパイアも、そんな黎明期のディスコバンドです。とりわけ陽気で、ごきげんなサウンドが特徴であります。

最初にアルバムをリリースしたのは75年。PIP (Pickwick)というマイナーレーベルからの発売ですが、これこそが世界初の「ディスコオンリー・レーコド」といわれています。代表曲は、アルバムタイトルにもなっている「7-6-5-4-3-2-1(Blow Your Whistle)」(全米R&Bチャート5位)。邦題は「7-6-5-4-3-2-1 (ディスコでグー!)」で、いかにも楽しげな曲です。基本はアップテンポなソウル/ファンクなのですが、むやみに笛を吹きまくっているのが、踊りへの情熱をやたらとかきたてますな。

このアルバムにはほかにも、「Drive My Car」(全米ディスコチャート16位)というビートルズのディスコリメイクがあり、これまたザ・ファンキーディスコ!であります。

ゲイリー・トムズ・エンパイアは、8人編成のいわゆる「セルフ・コンテインド・バンド」。シンセサイザーがない分、ホーンセクションからストリングスから何から、すべて頭数がそろっております。リーダーのゲイリーはボーカル担当ですけど、ハープシコード(チェンバロ)とキーボード(クラビネット)も演奏しております。特にキーボードは、いかにも初期のはねるような音(スティービー・ワンダーの「迷信」のような)を出しておりまして、これまた踊りへの情熱をかきたててくれます。

私は10年ぐらい前、ある小さなパーティーでこの人たちの曲を何度かかけました。30代後半以降の層はもちろんノリノリだったわけですが、けっこう若い世代(20代)に大ウケでした。確かに、75年という時代でここまでビートをしっかり刻み、かつ「躍らせる」ための重厚なアレンジを施している曲は、ほかにあまり例がありません。クール&ザ・ギャングにしても、その他もろもろのファンクバンドにしても、どこか大人びた感じがして、ゲイリーたちのように「いけいけ、ドンドン」とはなりません。

私自身は80年代初頭からディスコに通い出したので、フロアではリアルタイムで聴いていません。が、今だって、もしダンクライベントなどでかかれば「全開バリバリレッドゾーンダンス」をやってしまうことでしょう。近くに笛があれば、笛を吹きまくることでしょう。

この人たち、ホントに好きなバンドなんですが、ものすご〜く短命でした。だから知名度もいまいち。アルバムのほかに7インチや12インチを数枚、出しているのですけど、なんとデビューの翌76年には落ち目になっております。やはりマイナーレーベルの貧弱な宣伝力が仇になったようです。「いよいよ大ディスコブーム到来!」という時期でしたから、実力を発揮しきれず、残念なことです。

CDについては、奇跡的なことに、原盤権を買い取ったカナダ・ユニディスク・レーべルが、2枚組みの良質なベスト盤を出しています。「7-6-5…」も「Drive My Car」も、そのほかのディスコの佳曲たちも、けっこうな高音質で入っています。今回は珍しく全面的におススメしてしまいま〜す。ディスコ好きなら必須です(きっぱり)。

Commodores (コモドアーズ)

Commodoresコモドアーズは74年のデビューアルバム「マシンガン」が大ヒット。同名シングルはR6Bチャートで7位まで上昇しました。以後、モータウンの主軸アーチストとして活躍を続けます。

この曲はインストで、初期の電子音がふんだんに使われています。電子ピアノ「クラビネット」がうねうねグルーブ感を出していて、今聴いても、かなり踊れます。ディスコ的にも、最初のシンセ系ダンス曲として注目度が高い曲です。80年代に花開くシンセディスコの原点だと私は思っています。

コモドアーズといえば、メーンボーカルのライオネル・リッチーということになりますが、このアルバムを通して聴くと、まださほど際立ってはいません。マシンガンがインストであることからも分かるように、ボーカルよりも楽器音の方が強く打ち出されているんですね。

マシンガンは多少、実験的で異色ですが、このアルバムは至って「どファンク」であります。同時期に活躍したオハイオ・プレイヤーズとか、「プレイ・ザット・ファンキーミュージック」で名高いワイルド・チェリーあたりを思い起こさせる曲調が多いようです。

彼らはディスコブームのころにも、怒涛の活躍を見せました。「ファンシー・ダンサー」(76年)、「ブリックハウス」(77年)、「トゥー・ホット・トロット」(同)といった具合に、次々とファンキーダンス系ヒットを発表します。80年代に入っても、「レイディ」(81年)のようなミデアムテンポのブラコンダンスの名曲を出していますね。

それでも、彼らの本当の魅力はスローバラードにあるといえます。大ヒットした「イージー」(77年)、「スティル」(79年)なんかは、ディスコフリークの私が聴いても感心するできばえ。ライオネル・リッチーの声はけっこうバラード向きです。

ライオネル・リッチーは1982年に脱退し、ポップな歌手として大成功を遂げました。あのころは、「もういいよ。ライオネル・リッチー」って感じで、うんざりするほど売れてました。

主砲ライオネルが抜け、退潮するかと思わせたコモドアーズでしたが、85年にミデアムスローの「ナイト・シフト」がR&Bチャートで4週連続1位、ポップチャートでも3位まで上昇する大ヒットを記録。その後もしばらく、チャート的にも持ちこたえました。

写真のCDはもろ「マシンガン」(米モータウン盤)。ただし、10曲目「スーパーマン」には途中、リマスター時に混ざったと思われる変な雑音が入っています。マシンガンに次いでけっこうシンセな良い曲だけに、残念でした。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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