ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

イタリア

B. B.・アンド・Q. バンド (B. B. & Q. Band)

BB&Q「エッブリィバディ、ダンシン、エッブリィバディ、オンザビート♪」の軽快なサビが踊り心をくすぐる「On The Beat」でおなじみのB. B. and Q. バンドは、1981年に結成されたセッションミュージシャン集団のディスコグループ。86年に解散するまで、計4枚のアルバムを発表しましたが、やはりオンザビートが入ったファーストアルバム「The Brooklyn, Bronx & Queens Band」(写真)が代表作となりましょう。

そもそも、バンド名がバーベキューみたいで変テコなんですが、上記ファーストアルバムのタイトルをみてお分かりのとおり、米ニューヨークで黒人が多く住む下町の3地区を並べてグループ名にしたわけです。

これまで何度か登場したイタリア系ディスコの仕掛け人で、カリブ海グアドループ出身のジャックス・フレッド・ぺトラスがプロデュース。作曲や構成は、その相棒のキーボード奏者マウロ・マラバシ(Mauro Maravasi)が主に担当。

両人ともに、本拠地のイタリアとニューヨークを行ったり来たりしながら音楽活動をしていたため、70年代後半に頭角を現したメロディアスなイタロディスコと、電子音やエコーを多用した都会的で透明感のあるR&B音楽の要素を合わせ持った、ユニークなダンスミュージックを世に送り出していました。以前に紹介したチェンジやハイ・ファッション、それに今回のBB&Qバンドがその代表例になります。

BB&Qバンドの曲は、基本的にはチェンジに似た曲調ではありますけど、もっとダンサブルにアレンジした感じです。ほぼ無名のセッションミュージシャンの集団とはいっても、どれもぺトラスが高い金をつぎ込んで集めた腕利きばかりですので、リードをとるアイク・フロイド(Ike Floyd)をはじめとするボーカル、それに演奏もアレンジも非常にしっかりしています。同時期に大人気になったSOSバンドなどを手がけたプロデューサーコンビのジャム・アンド・ルイスの音作りにも近いものがあります。

81年発売のファーストアルバムからのシングルカット「オン・ザ・ビート」は、米ディスコチャートで3位、R&Bチャートで8位まで上昇するヒットとなりました。私自身、当時のディスコやFMラジオでよく耳にした曲で、相当なインパクトを持っていました。ほかにも、このアルバムにはMistakesとか、Starletteといった同系統のディスコの佳作が並んでいます。

ただし、この人たちはこのアルバム(特にオンザビート)でほぼおしまい。85年にかけてさらに3枚、ダンス系のアルバムを出しましたが、ファーストほどの話題にはならず、セールスもどんどん下降線をたどることになります。結局、86年にはあえなく解散してしまいました。

まあ、後に出た3枚とも、よくよく聴くと悪いわけではないのですけど、なんだかダズ・バンドとかコン・ファンク・シャンみたいな、このころ大量に出回っていたエレクトロファンクの色が強くなり、あのシャープでクールでアーバンな独自色が薄れてしまったのが残念なところです。トホホ。

…で、トホホといえば、BB&Qの仕掛け人のぺトラス氏が翌87年には何者かに殺されてしまうというおぞましい結末が待っていました。まことに珍しいぺトラス氏にまつわる専門サイトやCDライナーノーツや各種の資料を読みますと、もともとマフィアと関係があったとの噂が絶えない人物で、大名買いの音楽制作や贅沢三昧の生活が原因で巨額の借金も抱えていており、命を狙われた可能性が高いということです。あなおそろしや。

とはいえ、かなり前に紹介した米国のディスコ本「And Party Every Day」にも書かれていましたが、洋の東西を問わず、ディスコとマフィアはどこかで繋がっていたものです。あの「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・バダム監督も、DVDの特典映像の解説の中で、「街中のディスコで撮影中、地回りマフィアからの用心棒の申し出を断ったら、そのディスコでボヤ騒ぎを起こされ、示談金を払った」と証言しています。日本もそう。お祭りとテキヤとの関係を見ても分かるように、大金が動く非日常の祝祭空間には、闇社会のかぶき者が暗躍する余地が少なからずあるわけです。

BB&QのCDはまずまず再発されております。BB&Qを中心としたぺトラス関連の作品が詰まった2006年発売の5枚組CDセット「Album Collection」や2011年発売の4枚組CDセット「Final Collection」(いずれもイタリア盤)などが網羅的でお勧めですが、新品の値段はどれも、ひと頃よりつり上がっています。円安、消費増税の影響を実感します。

フィンツィ・コンティーニ (Finzy Contini)

Finzy Contini疾風怒濤のマイケルさんに続きましてはフィンツィ・コンティーニ。代表曲のラテンフレーバー・ディスコ「チャチャチャ」は、例によって日本でも石井明美がカバーして大ヒット、その曲を主題歌としたドラマ「男女七人夏物語」も大ヒット……というわけで、そろそろ私の中のバブルも弾けそうです。

とはいっても、この曲の発売は1985年ですから、正確にはバブルのごく初期にあたるのですけど、80s後半のノリを濃厚に映し出す作品として記憶に刻み込まれております。

イタリア出身の女性ボーカリスト「クラウディア」を中心とした女1人男2人のグループ(貴重なYoutube映像)。それに、プロデューサーは「Disco Band」などのヒットで知られるScotchを手がけたDavid Zambelliらが担当していますから、大きなカテゴリーからみればイタロディスコに含まれます。

それでも、テンポがゆるめの曲が多いながらも、中身はもうバブル期特有の純粋ユーロビートでした。当時のディスコでは結構しつこく流れていましたから、私もそんなフロアで“バブルに踊らされた”一人といえますね(笑)。

チャチャチャについては、フランスでも「Key Largo」というアーチストが同時期にリリースして、競作となっています。こちらのバージョンも日本のディスコで流れていました。

チャチャチャの後は、「Ou-La-La」、「Clap Your Hands」など、チャチャチャと似た感じラテンものイタロの12インチをいくつかリリースしています。

80年代末期には曲調が少し変わり、バナナラマや初期カイリー・ミノーグやソニアなどを手がけたプロデューサーチームのストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)風の「In The Name Of Love」をリリース。日本ではかなりの人気で、バブル崩壊前夜、やたらとハイパーになっていくユーロビートを象徴するようなヒット曲になりました。90年代半ば以降は、表舞台から消え去ったようです。

写真のCDは、87年に日本のキングレコードから発売されたファーストアルバム「チャチャチャ」。初期作品集ですので、すべてラテン調でまとめられていますが、チャチャチャ、それに小ヒットのOu-La-La以外にはあまり見るべきものがありません。私もこれを書くにあたって、約20年ぶりに聴いた次第です。

Dee D. Jackson (ディー・ディー・ジャクソン)

Dee D, Jacksonしばらく女性ボーカルディスコを紹介してみましょう。まずはディー・ディー・ジャクソンから。日本では80年代半ばに流行った「SOS」が有名ですけど、ルーツはやはり世界ディスコ・ブームの70年代後半にあります。

彼女は1954年英国生まれの歌手。ですが、地元ではチャンスがつかめず、ボニーMやドナサマーといった「ミュンヘン・ディスコ」の発信地として知られたドイツのミュンヘンへと渡ります。そこでプロデューサーへの売り込みに成功。ファーストアルバム「Cosmic Curves」を発売しました。

アルバムからの最初のシングルカット「オートマチック・ラバー」(78年)は、米国では無視されたものの、英国(最高4位)をはじめ欧州、南米、アジア各地で大ヒット。続く「メテオ・マン」もヒットし、欧州ではかなりのスター歌手になったのです。

ただし、このアルバムって、なかなか奇天烈であります。コンセプトはディスコらしい「宇宙とSF」。ジャケットの彼女のコスチュームにもその雰囲気があらわれていますね。オートマチック・ラバーのプロモーションビデオは、まさにキワモノで愉快です。歌唱力もはっきりいってイマイチですねえ。

SOS」は、セカンドアルバム「Thunder & Lighting」に入っています。ところが、発売は1980年。日本でヒットしたのは83〜84年ごろですから、タイムラグがあったのです。当時、SOSがディスコでかかると常々「何だか音が古いな」と感じていました。3年程度で古臭くなるのですから、ディスコミュージックも進化が速いものですな。

まあ、SOSも、曲自体は「オートマチック」とほぼ同じ路線で、やけに明かるいミーハー系の曲でしたので、日本でヒットしたというのも分からないわけではありません。メロディーラインには、日本人も好きそうな欧州風の“愛嬌”と哀愁が多少、混じっております。

この人のCDはなかなかありません。写真は「Cosmic Curves」と「Thunder & Lighting」のカップリングになっているやつで、なんとロシア盤。アナログレコードからの録音のようで、音質は今ひとつですけど。

彼女は現在、冬季オリンピックがあったイタリアのトリノ在住。アーチスト活動は続けており、EYS、DDE、EXPというハウスやテクノを制作する3つのレコードレーベルを自分で運営しているようです。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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