
1957年ウィーンに生まれ、地元の音楽院を中退してミュージシャンの道に。最初はパンク・ロックを演奏していたのですが、後にポップな感じの曲を作るようになりました。本名はJohann Hölzel(ヨハン・ヘルツェル)で、ファルコという名は、70年代に活躍した東ドイツの著名スキージャンパーの“ファルコ”選手からとったといわれています(理由は不明)。
彼はまず82年に「Der Kommissar」を本国で大ヒットさせました。ドイツ語のラップ風の曲で、米国でも同時期、アフター・ザ・ファイヤーという英国のグループによる英語リメイク版が大ヒット(全米一般5位)しています。私もこの英語版は、札幌のディスコでよく聞きましたね。
ファルコさんはその後も、「Maschine Brennt/On The Run」(83年、ディスコ9位)、「Junge Roemer」(84年、同52位)といったダンス曲をヒットさせております。
「アマデウス」という題名は、当時流行った映画「アマデウス」に由来するとされています。とにかくDer Kommissar以上にドイツ語のラップが特徴的です。ウィーンらしいクラシック音楽調のメロディーも入ってきます。バイオリンの音が、絶妙なタイミングで優雅に流れてきたりしてですね。その斬新さがあればこそ、外国語音楽に厳しい米国でも受けいれられ、頂点にまで上り詰めたわけです。何しろドイツ語曲が全米ビルボードチャートで1位になったのは、後にも先にもこの曲しかありません。非常に凝った作りの12インチバージョン(Salieri Version)では、ユニークなシンセサイザーのディレイなどのエフェクト音も随所にちりばめられています。
日本のディスコでも大流行したこのアマデウス。・・・ですが、テンポがとっても遅く、フロアで踊っていてもビロ〜ンと間延びするばかりで、なかなか馴染めなかったのを覚えています。曲自体の面白さは認めますけどね。BPMは100あるかないかで、120〜130が一般的だった当時のダンスミュージックの相場からすれば、純粋な「ディスコ」というくくりに入れるのは、ちょっと難しいかもしれません。
アマデウスの後には「Vienna Calling」というアップテンポのダンス曲を発表(こちらは踊りやすい)。さらに強姦や殺人の狂気をテーマにしていると物議を醸したバラード「Jeanny」などの中ヒットを欧州中心に飛ばしましたが、90年代になるとほとんど音沙汰ナシ。今でもほぼ「アマデウス」の一発屋として語り継がれている歌手であります。
彼の最期はあっけないものでした。音楽活動が低迷していた1998年、ドミニカ共和国で自分の車を運転中、バスと衝突する事故に遭い40歳で急死しています。
CDはベスト盤を中心にいくつか出ています。写真は一般的な独Ariola Expressのベスト盤。アマデウスの12インチバージョンがフルに入っていないのが残念ですが、ヒット曲が網羅的に並んでおりまあまあの出来であります。