Lamont Dozier「靴をしっかり履きなおして、自分の原点に帰ろう。生まれた故郷に、偉大なる大地に」――。そんな歌詞で始まるダンスチューン「ゴーイング・バック・トゥ・マイ・ルーツ」が1977年、アメリカで発表されました。全米ディスコチャートは最高35位とまずまずのヒットにとどまったのですが、その後、何度もリメイクされその都度、フロアで人気を博す隠れた“ディスコの名曲”となりました。

作曲し、歌ったのはラモント・ドジャー(41年生まれ)。60年代から70年代にかけてにモータウン・レーベルを支えた伝説の超大物プロデューサー・チーム「ホーランド・ドジャー・ホーランド」の中心人物として活躍し、シュープリームス、フォートップス、マービン・ゲイ、アイズレー・ブラザーズなど名だたるアーチストたちに楽曲を提供しています。

70年代初頭からは、彼自身のアルバムを数多く発表するようになりました。「Out Here On My Own」(73年)、「Black Bach」(74年)などのヒット作に続き、77年に「ゴーイング…」が収録された「Peddlin' Music On The Side」が世に出ています。

「Peddlin'…」は、時代が時代だけにディスコ風味がたっぷりです。でも、そこはモータウン保守本流のプライドか、丁寧で重厚なアレンジが施されたメロディーに、ドジャーのソウルフルな歌声が絶妙に絡んでくるような、味わい深い内容になっています。

10分近くある代表曲「ゴーイング・・・」は、文字通り「黒人としてのルーツに戻ろう」と訴えた曲ですが、イントロの一発目から聞こえてくるピアノソロがとにかく素晴らしい。奏者はかのクルセイダーズのジョーサンプル。ジャズ・フュージョン風に立ち上がり、ギター、ドラム、パーカッション、さらにはドジャーの野太い声が畳みかけるように重なり合います。このピアノを基調とした展開は、後のハウスミュージックの一つの源流となったとさえ言われています。随所に、アフリカ部族の祈りの儀式を思わせる、崇高な響きの女性コーラスも絡んできます。聴く者、踊る者は皆、アフリカという懐かしき大地に、引き寄せられていくかのようです。

その壮大なメロディーと歌詞は、奴隷制度と差別の歴史が長かった本国米国はもちろん、世界中の多くの黒人たちの記憶に焼き付けられました。例えば当時、アパルトヘイト(人種隔離)政策の下で黒人が公然と差別されていた南アフリカでは、アルバム・チャートで3カ月間、1位を続ける大ヒットを記録しました。

「人間のルーツについて語っていると、何だか今の俺の魂は、衰えていると実感する。いまこそ魂(Soul)を再充電するときだ」――。政治的なメッセージをも歌詞に秘めたこの曲は、ほかの黒人アーチストによるリメイクを促しました。80年代初頭、フォーク&ブルースギターのベテランアーチストであるリッチー・ヘブンズ、そして「Native New Yorker」のディスコヒットで知られるオデッセイが相次いで発表し、いずれもフロアで人気を博しました。特に、リッチー・ヘブンズのリメイクは、BPMを上げてよりダイナミックかつダンサブルに仕上がっており、今でもクラブ・クラシックの一つに数えられますー―。

さて、ドジャーさんはこの後も、ディスコブーム真っ只中の79年に「Bittersweet」というディスコ系のアルバムを出し、さらに80年代に入っても何枚かのR&B系の佳作を発表しています。けれども「Peddling'・・・」ほどのインパクトを感じません。セールス的にも低迷していくようになります。やはり「ソロのラモント・ドジャーといえばゴーイング・バック・トゥー・マイ・ルーツに限る」ということで私は納得しています(半ば強引)。

ドジャーさんのアルバムのCD化は、ここ数年でかなり増えています。写真上は、英サンクチュアリーレーべルが2001年に発売した「Peddling'」のアルバム再発CD。もちろん、キラーチューン「ゴーイング・・・」のほかにも、“いかにもモータウン”な「Sight For Sore Eyes」やファンキー色の濃い「Break The Ice」といったダンスチューン、それに「What Am I Gonna Do 'Bout You」などのバラードがほどよく入っており、それぞれに楽しめます。

このジャケットには、「寡黙な音楽職人」といった風情のドジャーさんがいますが、よ〜く見ると、上の方には変なリンゴとかオレンジとか野菜がたくさん写っちゃってます。「Peddlin' Music On The Side」って、「街角で音楽を売る行商人」みたいな意味ですから、「あれ? もしかして『八百屋』と『音楽屋』を軽〜くかけてるのかな??」と思ってもみたのですが、どうもそう単純ではないようです。

このCDのライナーノーツで、ドジャーさんはアルバムタイトルを決めた背景についてこう話しています。「俺は若いころ、靴磨きをしたり、スーパーで働いたりしてなんとか生活していた。昼食の休憩時間に一生懸命、曲を書いていたんだ。だからほら、ジャケットには、ピアノに座る俺のすぐ隣に、野菜が並ぶ売り場が写っているだろう。あのころ、音楽をやる連中はみんな、そんな風に稼ぎながら必死に努力していたんだ」

なるほど、これはまさに「職人」の面目躍如であります。個人的な思い入れがあったのですね。「疑問のジャケット写真」といえば、79年の「Bittersweet」(「ほろ苦い味」みたいな意味)も“あれ? このウチワの人、もしかしてガッツ石松?”って感じでちょっとヘンなのですが(下写真)、これも深い意味があるのでしょう。いや、私はそう固く信じます。

Lamont Dozier2