ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ゴスペル

聖なるディスコ (Divine Disco)

_SL1200_このブログでもかつて触れましたけど、黒人教会音楽であるゴスペルは、米国を中心とする黒人ディスコアーチストにも多大な影響を与えました。ジェームズ・ブラウンアレサ・フランクリンチャカ・カーンをはじめ、奴隷制度時代から根強く残る黒人差別や、ちょうど彼らの幼少期・少年期の1960年代に高揚した黒人差別撤廃運動を直に体験し、感性豊かな音楽的素養を育んだ大物ソウルミュージシャンは数知れません。

そこで今回は、最近発売された、ゴスペルとディスコを融合させた小粋なコンピレーションCD(上写真)をひとつ、唐突に紹介してみたいと思いま〜す!題して「Divine Disco」(聖なるディスコ)。発売元は米Cultures Of Soul Records(カルチャーズ・オブ・ソウル・レコード)です。

タイトルだけ見るとなにやら厳かな気分になり、「こりゃ踊ってる場合じゃないかな」と姿勢を正したくもなりますが、ご安心ください。70年〜80年代の音源を中心とした神ディスコ、祈りディスコの世界が横溢しており、もう初っ端から最後まで腰をくねらせて踊り狂わずにはいられませんもの。

高揚感たっぷりのゴスペル・コーラスは、ディスコとはもともと相性よろし。あの情熱的な歌声にずしりと重い四つ打ちビートが重なれば、もう怖いものなどありません。典型的ゴスペル・ディスコとしては、80年代の著名DJラリー・レバンがよくディスコでプレイした曲で、Lamont Dozierの「Going BackTo My Roots」にも似た感じのThe Joubert Singersの「Stand On The World 」(84年)やThe New York Community Choirあたりを思い出しますけど、このコンピもなかなかにレアでスピリチュアルなダンスチューンが満載なのです。

収録されているのは米国の無名ゴスペル・アーチストばかりですが、曲のタイトルからして、「Free Spirit」(自由な精神)とか、「One More Chance, Lord」(神よもう一度チャンスを与えたまえ)などゴスペルらしさ満開。7曲目「Thank You Jesus」(Gospel Ambassadors)などは「サンキュー、キリスト!」とちょいと軽めのタイトルではあるものの、イントロからドラム音がひたすら軽快に展開するノリノリぶり。

6曲目「Jesus Is Going Away (But He's Coming Back Again)」(The Inspirational Souls)に至っては、「イエス様は行ってしまった。でも彼はまた戻ってくるんだ」と、なにかと忙しいキリストが復活して自分たちの元に帰ってくることを素直に喜び、感謝の心をダンサブルな形で捧げています。

それもその筈。当ブログではくどいほど登場してきた鎌倉時代の一遍上人の踊念仏と同様、ディスコ、つまりダンスは世界共通の祈りであり、念仏なのであります。踊念仏を源流とする盆踊りは、年に一度、先祖の霊(仏様)と交流する楽しい儀式です。神社の祭りの神楽だって、文字通り「歌って踊って神様を楽しませて、自分たちも楽しむ」ことに本来の意味があるわけです。

ですから、このCDのジャケットのように、(背景が暗いからなんだか阿鼻叫喚地獄みたいでコワいにせよ)両手を高々と掲げながら、集団で狂喜乱舞するとあら不思議、輝けるディスコ神やらディスコ仏やらが、歓喜のシャワーのごとく、諸人の頭上に分け隔てなく遠慮なしに降り注いでくるわけです。もちろん、“注ぎ口”は、天井(天空)に鎮座する「ザ・ディスコご神体」のミラーボール。頑なな心が解き放たれることウケアイです。

14曲目に入っている先述の「Thank You, Jesus」の現代リミックスも注目点です。私自身、70〜80年代当時のオリジナルディスコへの志向が強い方なので、主に90年代以降の現代風リミックスには強い関心がないのですけど、この曲については、最新デジタルの複雑な音色が極力抑えられ、アナログシンセ風イントロがどことなく最近流行の「ピコ太郎」していて微笑ましい。

世界から思わぬ注目を浴びた「アポーペン、パイナポーペン」もシンプルだからこそ印象付けられたわけで、そこに「アーメン」的な国境・言葉の壁を越えた“呪文効果”が出るのだと思わされます。

折りしも、人種差別をちらつかせて(否、あからさまに公言して)、白人至上主義と指摘されるトランプ氏が米大統領選に勝利した後、アメリカではヒスパニック系や黒人の人々への心無い発言や差別行為が既に散見されるようになっています。時代の不安を映し出しているかのようですが、そんな今こそ、解放と融合を目指すゴスペル魂の伝統に裏打ちされた「聖なるディスコ」の活躍の時ではないでしょうか!(ためらいつつも断定)

このタイムリーな企画モノCDに入っているようなゴスペル・ディスコに耳を傾け、その祈りの調べに身を任せて汗を流せば、どんよりとした曇り空のような内向き思考の憂鬱などどこふく風。みるみるうちに、負を正に転換する明日への活力がみなぎってきます。クリスマスも近づく昨今、「ラブ・アンド・ピース!」よろしく無邪気に宇宙の果てまで舞い上がるのは楽しいもの。高過ぎて手が届かないと思ったら、神様って意外に身近にいたのです。

ショー・ナフ (Sho-Nuff)

Sho Nuffいやあ天気もたぶんよさそうだし、あしたは富士山に行こう!……というわけで、今回は息抜きに「ショー・ナフ(Sho-Nuff)」と参りましょう。

う〜ん、正直困りました。左写真のレコードジャケットを見てもおわかりの通り、確かにホントは「いくぶん陽気なおじさんソウルディスコ」の人たちであると思うのです。でも、その笑顔の裏に隠されたとて〜も恥ずかしい一面についても、ここでは触れなければなりません。

まずはこの人たちの素性について。アメリカ南部のサザンソウル音楽の本場であるミシシッピで結成された5人組ファンクバンドで、Sho-Nuffとは、英語の「そんで案の定」とか「いやはや思ったとおりに」などの意味を持つ「Sure enough,...」の黒人スラングの発音形です。ディスコブーム絶頂期の1978年、サザンソウルの中心レーベルであるスタックス(Stax)から「From The Gut To The Butt」というデビューアルバムをリリースしました。

続いて1980、82年には、同じくサザンソウルの発信源だったMalacoレーベルから「Tonite」と「Stand Up For Love」というアルバムをそれぞれリリース。しかし、これ以降はすっかり音沙汰がなくなってしまいました。

3枚のアルバムともに、情感豊かに歌い上げるバラード群を主軸に置きつつ、「Tonite」や「Smile」みたいにファンク/ディスコの雰囲気にも溢れていて相当に楽しめるのですけど、ヒット曲は皆無。78年に「I Live Across The Street」(米R&Bチャート93位)、「What Am I Gonna Do」(81年、82位)というバラードが下位にチャートインした程度です。

ところが、本国で行き場がなくなってしまった直後の1983年のこと、世にも不思議なディスコシングルをなんと日本で秘かに発売していたのです。邦題は、のっけから意味不明な「ヤキ!ヤキ!不思議な媚薬」(洋題は「Yakki Yakki」=今ならeBayでちょっと視聴可能)となっております。

この曲は、ずいぶん前に紹介した「ディスコ歌謡」CDシリーズのキングレコード編に収録されておりまして、あらためて聴いたところ、曲調は一般的なファンクディスコの風情でありながら、歌詞内容はやっぱり奇妙奇天烈摩訶不思議、抱腹絶倒笑止千万なお気楽ぶり。イントロから「イ〜モ〜、イシヤキ〜モ〜。ハイッ!イラシャイマセ!ドモドモ!ヤキ、ヤキ、ヤキ、ヤッキイモ〜〜〜♪」てな調子で脱力必至の「変なガイジン日本語」がぽんぽん飛び出します。

ついでに、「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ、ギュウドン」などなど、まったくやきいもに関係のない単語まで容赦なく降り注ぐ有様。もうせっかく渋くてゴスペルフレーバー満載のサザンソウルなグループだったのに、正真正銘のおちゃらけディスコバンドに変貌してしまったわけです。

もっとも、70年代から80年代半ばにかけて、お笑い和製ディスコはけっこう世に出ておりましたから、こんなことも不思議ではありません。特に、同じキングレコードからは、同様に落ち目だったサザンソウルのグループ「エボニー・ウェッブ(Ebony Webb)」の「ディスコお富さん」という猛烈におバカさんな最高傑作が1978年にリリースされて、かなりヒットしましたし。ディスコの真髄「なんでもあり精神」からすれば、むしろ大歓迎の展開だったといえるかもしれません。

それにしても、サザンソウルから「やきいも」とはあまりにも哀しい。どんな誘い文句ではるばる日本に出稼ぎにやってきて、どんな気持ちでレコーディングに臨んだのでしょうか。私も聴いていて最初は大笑いしてましたけど、やがて涙が止まらなくなってしまいました。

この人たちのCDは、ときどき思い出したように発売されます。上写真は、最後の3枚目アルバム「Stand Up For Love」をあしらった96年発売の国内P-Vine盤で、「Stand Up…」とその前の「Tonite」の全曲が1枚のCDに収録されています。最近、この2枚のアルバムが再び日本から紙ジャケット仕様でCD発売されていますが、またすぐにレア化して、忘却の彼方へと旅立つことでしょう。

タタ・ベガ (Tata Vega)

Tata Vegaタタ・ベガさんはゴスペルシンガーとして鳴らした実力派。スティービー・ワンダー、チャカ・カーン、パティ・ラベル、マイケル・ジャクソン、そしてマドンナと、さまざまなビッグアーチストのバックボーカルとしても活躍した人でした。

1951年、米ニューヨーク生まれ。10代前半にミュージカルに出演してプロ活動を始め、歌唱力の高い歌手として頭角を現しました。モータウンとの契約を果たし、本人名義のアルバムも、「Full Speed Ahead」(76年)、「Totally Tata」(77年、写真)など、ディスコ全盛期の70年代後半を中心に何枚か出しています。

中でも出色なのは、ディスコブームが最高潮に達した79年に発売したアルバム「Try My Love」。全編にわたって底抜けに明るいダンスナンバーがちりばめられています。特に「I Just Keep Thinking About You」なんて、「これがゴスペル歌手のやることか!?」というくらいに歌謡曲チック。しかし、だからこそ、私にとっては一番のお気に入りのアホアホ系ディスコとなっております。

このアルバムからは、「Come And Try My Love」、「Gonna Do My Best To Love You」といったゴキゲンナンバーもあって、ディスコ好きにはたまらない感じです。しかし、「Get It Up For Love」を聴いてみると……アレ? なんだか自らバックボーカルでバックアップしているはずのチャカ・カーンみたい。まあ、メロディーラインが洗練されていてよい曲なのですが、残念ながら個性の乏しさがなんとなく滲み出てしまうのです。

私としては、あの風貌ならば(失礼)、もう少しウェザー・ガールズとか、バックボーカルを務めたパティ・ラベルみたいに「ザ・ディスコディーバ」としてどしどし弾けて欲しかったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。正統派よろしく、98年には「Now I See」なる真面目なゴスペルアルバムまで発売してしまいましたからね。まあ致し方ありません。

はっきりいってマイナー歌手で終わってしまった「歌の上手い歌手」タタさん。この辺の「売れる、売れない」は誰にもわからない紙一重の差なのでなんとも説明しようがありませんが、ディスコ界ではそこそこの実績をアピールできたのだと考えております。私のFacebookの「友達リクエスト」(笑)にも、快くメッセージ付きで承諾してくれましたしね。これからも陰ながら応援しようと思っております。

CDは写真の「Tatally Vega」とデビュー作「Full Speed Ahead」が最近、発売されました。けれども、ディスコ好きとしては出色の「Try My Love」と「Givin' All My Love」(80年)という「もろディスコアルバム」のCD化が望ましい。首を長くして待つことに致しましょう。ぴょん!

シェリル・リン (Cheryl Lynn)

Cheryl Lynnパティ・ラベルポインター・シスターズウェザー・ガールズロレッタ・ハロウェイジョセリン・ブラウン…。これまでに紹介してきた面々は、いずれも幼少期に歌いこんできたゴスペル・ミュージック(黒人の教会音楽)を基盤としたディスコ界の「超ダイナマイトボイス」の持ち主たちであります。そして、「あてを忘れたらいかんぜよ!」(いきなり土佐弁)と参戦しないと気が済まないのが、今回紹介するシェリル・リンさんです。

1957年、米ロサンゼルス生まれ。地元教会の少女コーラス隊で修行した後、76年に米国の“のど自慢”テレビ番組「ザ・ゴングショー」で圧倒的な歌唱力を披露して注目され、大手コロムビアレコードと契約。78年に発表したデビュー曲が「ゴット・トゥ・ビー・リアル」で、これが米R&Bチャート1位、米一般チャート12位、米ディスコチャート11位という彼女にとって最大のヒットとなったわけです。かつて取り上げた「掃除のバイトから人気歌手」パターンのイブリン・キング並みのシンデレラ・ガールぶりです。

「ゴット・トゥ・ビー・リアル」は押しも押されぬダンスクラシックスの世界的定番ですが、この人にはほかにも腹の底から歌って踊れる重量級ディスコが目白押しです。

例えば、「ゴット・トゥ…」が収められた同名デビューアルバムに入っている「スター・ラブ」なんてのは、バラード調イントロから恐る恐る入って、じらし抜いた後にいきなりアゲアゲのアップテンポに移行する「突然狂喜乱舞型」です。「うんにゃあ!、はっ!、わんにゃあ!、はっ!、にゃいにゃいにゃいにゃい!♪」と、まったく「幸せわんにゃ!、歩いてこんにゃ!♪」(「365歩のマーチ」より)でお馴染み、全盛期の水前寺清子顔負けの“ネコこぶし唱法”(ちょっと意味不明にせよ)に悩殺されることウケアイです。

私が個人的に最も好きなのは、ディスコ最盛年の79年に発表した2枚目アルバム「イン・ラブ」であります。ほぼ全編にわたって「わんにゃあ!」の煽り系ディスコであることは言うに及ばず、70-80年代の米ポップス界を代表する名プロデューサーであるデビッド・フォスターやボビー・コールドウェルなどの大物ミュージシャンを起用している贅沢盤でもあります。

当時としてはやや早めにシンセサイザーを本格導入している音作りにも、「ディスコノリ」の点から好感が持てます。特に、A面3曲目「フィール・イット」はもう、スター・ラブ以上に「にゃあにゃあにゃあ、ふう! はっ!」とジャングルで雄たけびを上げる猛獣のごときもの凄い超絶パワーですので、とりわけ私のような中年の身にとっては、これで踊るのは相当な覚悟が必要です。

彼女は80年代に入って大きく路線を転換。「わんにゃ!」のトーンを落とし、バラードを含めた「大人のR&B」歌手への道を目指し始めます。聞けばすぐ分かってしまう「レイ・パーカー節」が持ち味のレイ・パーカーJrのプロデュースによるアルバム「イン・ザ・ナイト」(81年)では、「シェイク・イット・アップ・トゥナイト」(81年、R&B5位、ディスコ5位)のような「やや激しい路線」も残してはいるものの、全体的には「イン・ザ・ナイト」みたいな「しっぽりアダルト」な曲の方が中心を担っています。

その後、「インスタント・ラブ」(82年、R&B16位)、ルーサー・バンドロスとのデュエットによるバラード「If This World Were Mine」(同年、同4位)のほか、SOSバンドなどを手がけたジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュースによる「アンコール」(83年、R&B1位、ディスコ6位)と「フィデリティー」(85年、R&B25位)、さらに「If You Were Mine」(87年、同11位)といった落ち着いた雰囲気の洒落たヒット曲を80年代を通してコンスタントに繰り出しました。

ディスコ期にピークを迎えながらも、しぶとくポスト・ディスコ期を生き抜いたという点では、なかなかの試合巧者といえるシェリル・リン。その最大の要因は「無敵のゴスペル・パワー」にこそあると言えるのではないでしょうか。最初に名を挙げたパティ・ラベルやポインター・シスターズなども、同様に70年代に頭角を現し、80年代までしっかりと成功を持続しました。

米国で最も黒人解放運動が高揚したのは1960年代ですが、そのころに少女時代を過ごしたゴスペル出身歌手は、最初から気合の入り方が違う。私にとっては前々回に投稿した一遍上人の「踊念仏」とも二重映しになります。解放と救済への祈りを込めた音楽は、まさに魂の叫び。宗教特有の神秘性をもしっかりと帯びて、やはりどこまでも「わんにゃ!」と粘り強いのであります(きっぱり)。

CDは国内盤、輸入盤、それにベスト盤ともにかなり充実しています。写真は、ディスコ好きなら必ず所持していたいデビューアルバム「ゴット・トゥ・ビー・リアル」(ソニー盤)。ほかのアルバムも、国内盤でここ数年、相次いで「紙ジャケット」で発売されています。

デニス・ラサール (Denise Lasalle)

Denise Lasalle70年後半のソウル界では、ディスコのアルバムを出してヒットを狙うのがほぼお決まりのパターン。デニス・ラサールもその一人でした。もともとはサザン・ソウルのシブーいブルースやバラードが得意なシンガーですが、このころはご他聞に漏れず、なかなかダンサブルなサウンドを世に送り出していました。

今となっては、例によって「ディスコだった私」を「なかったことにしよう」と払拭するのに必死のようです。ベスト盤からも確信犯的にことごとくディスコを外していますし。でも、私はむしろその時代を高く評価する者です(ディスコ堂だから当たり前)。ややハスキーで“はすっぱ”な感じの歌声は、ディスコチューンにもぴったり適合していて、個人的にかなり好きな部類に入ります。

彼女は1939年ミシシッピ州生まれで、本名はデニス・オラ・クレイグ(Denise Ora Craig)。これまた例によって地元の教会でゴスペルを歌っているうちに音楽に目覚め、1960年代半ば、レコード会社に自分で書いた曲を売り込んで認められ、徐々に頭角を現していきました。もともと文才があったようで、10代のころには、小説雑誌に短編を何本か掲載したことがあるそうです(ライナーノーツより)。

60年代後半には、後に夫となるビル・ジョーンズ(Bill Jones)とともに、二人の名前を使ったレコード会社「クレイジョン(Crajon)」を立ち上げて成功させるなど、ビジネス面でも才能を発揮しました。71年には、デトロイトの中小レーベルのWestboundから出したシングル「Trapped By A Thing Called Love」が全米R&B1位に輝き、その後もヒットを連発しています。

とはいっても、そこはモータウンやアトランティックの所属スターなどとは違い、セールス的に大ブレイク!とまではいきません。70年代後半には落ち目となり、ABC(後のMCA)に移籍して、起死回生を狙ったディスコ曲入りアルバム「Second Breath 」「The Bitch Is Bad」「Under The Influence」「Unwrapped」「I'm So Hot 」などを立て続けに出したのであります。

これらのアルバムからは、「Freedom To Express Myself」(76年、米ディスコチャート17位)「The Bitch Is Bad」(77年)、「Under The Influence」(79年)、「P.A.R.T.Y.」(79年、R&B90位)、「I'm So Hot」(80年、米R&B82位、ディスコチャート33位)といった軽快なディスコヒット(マイナーだが)が生まれています。このうち日本では、しっとりとしたミッドテンポの「I'm So Hot」が、ダンスクラシックとして特に人気があります。

80年代半ばになると、彼女は再びゴスペル、ブルース、サザン・ソウルのシブーい世界へと舞い戻り、そのまま90年代、21世紀を迎えております。もう70歳の高齢ですし、余生を暮らす地元アメリカ南部を中心に、ときどきステージに立つ程度の音楽活動のようです。

前述のとおり、彼女のディスコ時代のアルバムはことごとく軽視されているため、CD化もほとんどされていません。写真は、珍しく日本盤(P-Vine)で3年前に発売されたCD再発アルバム「I'm So Hot」。表題曲のほか、低音のシンセサイザーの音色がユニークな2曲目の「Try My Love」も、ダンクラ決定!の名曲だと思っています。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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