ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

シャラマー

ダイナスティ (Dynasty)

Dynastyお久しぶりで〜す!今回はこっそり更新、1980年前後にけっこうクレイジーなごきげんダンスヒットを連発し、世界中を歓喜の渦に巻き込んでいた豪快ディスコグループ、ダイナスティを紹介いたしま〜す。

当ブログでも昔、何度か取り上げたディスコレーベルのソーラー・レコード所属の男女3人組ボーカルグループ。ソーラーの創始者であるディック・グリフィーさん(Dick Griffey)肝いりのグループとして結成され、1979年にデビューアルバム「Your Piece Of The Rock」をリリースし一躍、人気者になりました。結成時のメンバーは、ボーカルの男性パートがKevin Spencer(ケビン・スペンサー)、女性パートがLinda Carriere(リンダ・キャリエール)、Nidra Beard(ニドラ・バード)でした。

そのディスコビートの骨格部分を構成するベース、ドラムとプロデュースを担当したのは、70年代半ばに大ヒットを連発したディスコグループ、シルバーズの主柱だったレオン・シルバーズさんです。とりわけ彼の正確無比で躍動感あふれるベースラインは、ダイナスティのあらゆる曲で重要な役割を担っており、まさに底抜けに陽気でノリノリ、アゲアゲなディスコの真骨頂です。

デビューアルバムはロングバージョンのダンスナンバー中心の5曲で構成。「I Don't Want To Be A Freak」がシングルカットされ、米ビルボードR&Bチャート36位、同ディスコチャート38位にランクインしました。翌80年に発売された2枚目のアルバム「Adventures In The Land Of Music」からは、ソーラー・サウンド独特のうねうねシンセサイザーがさく裂する収録曲「I've Just Begun To Love You」がシングルカットされてR&Bチャート6位、ディスコチャート5位まで上昇する大ヒットを記録。続くシングル「Do Me Right」もR&Bチャートで34位に食い込み、キャリアとしてのピークを迎えます。

けれども、残念ながらこのころには本国アメリカでのディスコブームは終焉を迎え、人気も下降線に。このグループに対するグリフィーさん、シルバーズさんの思い入れは強く、81年発売の3枚目のアルバム「The Second Adventure」からは、シルバーズさん自らがメンバーとなっててこ入れを図りましたが、うまくいきませんでした。88年にアーバン風R&Bのアルバム「Out Of Control」をリリースしたのを最後に、表舞台からは消え去ってしまったのです。

彼らは、同じソーラーのレーベルメートであり、80年代に入ってからもさらにヒット曲を連発した大御所3人組シャラマーとどうしても比較されてしまいます。両方ともレオン・シルバーズが主にプロデュースしたこともあり、曲調も、男女掛け合いのボーカルワークも似た感じですし。何しろシャラマーはグループとして活躍しただけではなく、ジョディ―・ワトリーとハワード・ヒューイットというソロでも大活躍した珠玉のボーカリストがメンバーにいましたから、見劣りするのはやむを得ないところでしょう。

それでも、メンバーの知名度が劣る分、シャラマーと比べてもソーラー・ディスコの大立者レオン・シルバーズのプロデュース力や演奏力が前面に出ていて、私などは玄人好みのする優れたグループだと思っております。付言すれば、彼らには意外にもバラードの良曲があり、デビューアルバムの「When You Feel Like Giving Love」、セカンドアルバムの「Take Another Look At Love」といったしっとりとした楽曲においても、必要十分なボーカル力を発揮しています。

彼らのアルバムは一通りCD化されています。写真は昨年に国内盤として発売された代表作「Adventures In The Land Of Music」の再発CD。音質は良好、シャープな切れ味のダイナスティ・サウンドをたっぷりと堪能できます。

キャリー・ルーカス (Carrie Lucas)

Carrie Lucas今回はおもむろにキャリー・ルーカスと参りましょう。なんといっても「アイ・ガッタ・キープ・ダンシン(I Gotta Keep Dancin')」(1977年、米ディスコチャート2位、R&Bチャート44位、一般チャート64位)と「ダンス・ウィズ・ユー(Dance With You)」(79年、同6位、同27位、同70位)が代表曲。特別に歌唱力があるというわけではありませんが、モデル顔負けの180センチ近い長身と美貌を生かしつつ、勢いのあるレーベルや豪華バックミュージシャンといった周囲にも恵まれてディスコスターになりました。

米カルフォルニア州に生まれ、幼いころから歌手を目指していたキャリーさん。ですが、ベスト盤の2枚組CD「The Best Of Carrie Lucas」(写真)のライナーノーツに載っているインタビューによると、「とてつもなく内気な性格で、歌手になりたいなんて親にも言えなかった。でも、地元の合唱団や学校の合唱部に所属していて、歌うことが大好きだった。みんなに内緒でタレント事務所を訪れたことが何度かあった。面接でことごとく落とされたけど」などと語っております。

彼女はまず、地元ロサンゼルスでほかのアーチストに楽曲を提供したり、ソウル歌手D.J. ロジャーズのバックボーカルを務めたりして、徐々に認められるようになりました。間もなくロサンゼルスのディスコ系新興レーベルであるソーラー(Solar)の創業者ディック・グリフィー(Dick Griffy)に見出され、1976年に見事、のっけからホーンセクションが炸裂し、エンディングまでぐいぐいとドラマチックに展開するオーケストラディスコの真髄を見せつける「I Gotta Keep Dancin'」でレコードデビュー。その上、幸運にも大ヒットしてしまったのです。

この過程では、既にスティービーワンダーのバックバンドのキーボーディストとして活躍していた実弟のグレッグ・フィリンゲンズ(Greg Phillingens)の存在が大きく影響しました。「I Gotta...」が収録された1977年発売のデビューアルバム「Simply Carrie」では、グレッグがアレンジャーやキーボード奏者として参加しています。

「I Gotta...」のヒットで勢いに乗った彼女は、これ以降84年までに、Solarでさらに5枚のアルバムを発表。ディスコ最盛期の1979年には、3枚目のアルバム「In Danceland」の収録曲で、軽快なコーラスとギターリフの音色が印象的な「Dance With You」が再びヒット曲となり、「天空を突き抜ける長身ディスコディーバ」の称号をほしいままにしたのでした。

この間、発掘してくれたディックとは結婚まで至りました。各アルバムにはウィスパーズシャラマーのジョディー・ワトリー、レイクサイドなどの売れっ子のレーベルメイトがバックミュージシャンとして参加しており、文字通り「ソーラー総出」の贅沢極まりない応援団を背に、ディスコ街道をまい進したのであります。

なにしろディスコ系アルバムを短期間に6枚も出しておりますので、上記2曲以外にもけっこう踊れるナンバーがあります。ドゥーワップ調のメロディーをベースに、あろうことか途中でスタンド・バイ・ミーの旋律も入ってきて意表を突く「Street Corner Symphony」(79年)、カーリー・サイモンやリタ・クーリッジみたいなさわやかなポップス路線で執拗に攻め立てる「It's Not What You Got」(80年、米ディスコ10位、R&B74位)、シャラマーみたいないかにもSolarらしい小気味よいコーラス、メロディー、ビート展開が印象的なミディアムナンバー「Show Me Where You're Coming From」(82年、R&B23位)といった佳曲が数多くあります。

Solarの人気に陰りが見え始めた80年代半ば以降、音楽活動が休止状態となり、結婚生活と子育てに専念するようになったキャリーさん。あれだけ精力的に歌いまくっていたのに少々残念ではありましたが、CDは再発モノの多いカナダのUnidisc盤を中心にまずまず出ています。個人的には、代表作ではないものの、80年代にリリースされた「Portrait Of Carrie」と「Still In Love」の2枚のアルバムが、70年代の売れ線ドンドコディスコからシンセサイザーを取り入れた落ち着いたR&B風へと曲調がうまく移行していて気に入っております。

レイクサイド (Lakeside)

Lakeside今月10周年を迎えたこのブログ、地味に始まり、気がつけば今も地味〜に続けております。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、今から30年以上もの昔、「Sound Of Los Angeles Records」の略語である「Solar(ソーラー=太陽の意)」というレーベルがありました。ディック・グリフィー(Dick Griffey)という人物が、友人で音楽番組「ソウル・トレイン」の司会で有名なドン・コーネリアスとともに創立。発祥は米東海岸のフィラデルフィアですが、すぐに文字通りロサンゼルスに拠点を移しました。以前にも紹介したシャラマーウィスパーズのほか、ミッドナイト・スターやダイナスティ、キャリー・ルーカスなどのこてこてダンス系の人気者が多数輩出した元気いっぱいのレーベルだったのです。

今回はその代表的な所属アーチストのひとつ、レイクサイドに光を当てましょう。上写真のアルバム「Fantastic Voyage(ファンタスティック・ボヤージ)」の表題曲シングルが、1980年の全米R&Bチャートで栄えある1位(全米ディスコチャートでは12位)に輝いた最大9人編成の「楽器、ボーカルなんでもそろってま〜す」の大所帯黒人グループです。

確かに「ファンタスティック」あたりは、当時のディスコでもラジオの洋楽番組でもよ〜く耳にしました。シンセベースの音色も楽しい、もう「ぶいぶい、ぶっりぶり」の泥臭さ満点の重量級ファンクでして、踊る際にも、丹田(へその下あたり)に力を込めて心してかかったものです。

レイクサイドの起源は1960年代末にさかのぼります。ファンクの本場であるオハイオ州デイトンで、地元のギタリストStephen Shockley(スティーブン・ショックレー)、リード・ボーカルになるMark Wood(マーク・ウッド)らが結成した「Young Underground」がルーツ。シカゴのタレント発掘コンテストで優勝するなどして実力が認められ、ソウル界の大御所カーティス・メイフィールドらが創立したカートム・レコードと契約しましたが、その会社は間もなく倒産してしまいました。

失意のうちにロサンゼルスに移り、レイクサイドと改名。ここではなんと、かのモータウンとの契約にこぎつけました。しかし芽は出ず、メジャーのABCレーベルに移ってから初のレコードを出しましたけど、これも売れず…という具合に、不遇続きのグループでした。それでも、1970年代後半には、成長著しいソーラーとの契約という大きな転機が訪れたわけです。

ソーラーでは、78年にアルバム「Shot Of Love」をリリース。その中の「ぶいぶいベース系」ダンス曲「It's All The Way Live」がR&Bチャート4位まで上昇するヒットとなり、ようやく日の目をみることになりました。その後、「Pull My Strings」(79年、同31位)、先述の「ファンタスティック」、「Raid」(83年、同8位)、「Outrageous」(84年、同7位、ディスコ42位)といったヒット曲を出しています。私自身、「ファンタスティック」以外では、「Outrageous」もずいぶんとディスコで耳にしました。

いずれもやっぱり重量ファンク系なのですが、ビートルズのスタンダードナンバーのリメイク「I Want To Hold Your Hand」(82年、同5位)などのスローバラードも高水準です。彼らは大都会ロサンゼルスの垢抜けた雰囲気を感じさせつつも、もともとはどファンクの激戦地区オハイオで鍛えてきた人々なので、演奏力は折り紙付きです(コンテストで優勝したし)。ビレッジ・ピープルみたいなコスプレなアルバムジャケットを見ても分かるように、衣装がいつも奇抜で、ライブパフォーマンスの評判も高かったグループです。それに、マーク・ウッドを中心としたボーカルは、時には男臭く、時には耳に心地よくメロウに響いて変幻自在です。アメリカの中西部と西海岸が融合した音作りになっていると思います。

アメリカでは各地方や都市に独特の音楽があって、そのまま代名詞になっていました。例えば、ケンタッキーのカントリー、シカゴのブルース、ニューオリンズのジャズやソウル、メンフィスのサザンソウル、といった具合。ロックでも、西海岸ロックとか、サザンロックなどたくさんあります。ディスコで言えば、フィラデルフィア・サウンドからマイアミ・サウンドに至るまで、ご当地ディスコがかなりありました。世界に目を向けても、欧州やアジアならではのディスコがありました。もちろん、今もそうした見方はされますけど、昔の方が地理的な色分けがはっきりしていたのです。

ディスコ音楽は90年ごろを境にクラブ音楽に移行し、テクノ、ハウス、ヒップホップ、R&B、ジャングル、ドラムンべース、ディープソウルといっ た具合に、ジャンルがより細分化していきました。シンセサイザーやコンピューターによる作曲技術の進化により、それまでは考えられなかったような音がどんどん作れるようになり、リスナーの嗜好も同時に多様化、個人化したことが背景にあると思います。

逆に、とりわけ高度情報化によりボーダレスかつグローバル化する中で、地理的には音楽の境界が薄くなったようです。少し前でもシカゴ・ハウスとか、デトロイト・テクノみたいなのは一部ありましたけど、基本的には、ニューヨーク、ロサンゼルス、それにロンドンや東京で制作されようとも、ヒップホップはヒップホップですし、ハウスはハウスです。地域別の個性は、かつてより感じられません。観客の目の前で演じるライブ音楽の価値はいまだに色あせていないにせよ、mp3などの音声ファイルに音楽を取り込めば、よい音質で世界中、誰でもどこでも手軽に手渡しして楽しんでもらえる時代ですしね。

レイクサイド、ソーラーレーベルともども、80年代後半には活動が急速に衰えていき、やがて消滅しました。そんな意味でもレイクサイドは、オハイオとロサンゼルスという2つの地域的特徴を濃厚に醸す最終世代のファンクバンドといえます。

再発CDは、ソーラーの原盤権を受け継いだカナダのUnidiscを中心に出ておりますが、かなり希少になってきております。ベスト盤であれば、英国Recall盤の2枚組(下写真)が、主なヒットが網羅的に収録されていてお勧めではあるものの、2枚目の収録曲の目録が間違っているなど、けっこうトホホです。
Lakeside_Best

クリーク (Klique)

Kliqueいやあクリスマスなんてあっという間に終わり、暮れも押し迫ってまいりました。きょうはまず手始めに、「ホップ、ステップ、ジャンプ!」とか、ハロウィンの「トリック オア トリート!(Trick or treat !)」の要領で、「クリーク、クリーア、クイック!」と幸せを呼ぶおまじないを3回つぶやいてみてください。

…というわけで、今回はそんな舌を噛みそうな「Klique」「Kleeer」「Kwick」の「似たようなファンクディスコ3K軍団」の一角を占める「クリーク」について、唐突かつ元気に取り上げてみましょう。

英語で「徒党」を意味するClique(クリーク)をもじったと思われるKliqueは、知名度的にはかなり地味ながら、80年代初頭、シンセサイザーのベース音(シンセベース=ぶいぶいシンセ)を駆使した曲を次々に繰り出し、ダンスフロアの名わき役となりました。

米ロサンゼルスのアイザック・サザーズ(Issac Suthers)と妹デボラ・ハンター(Deborah Hunter)、そしてハワード・ハンツベリー(Howard Huntsberry)で構成するシャラマーみたいな男女3人組。1981年にデビューアルバム「It's Winning Time」を発表し、シングル「Love's Dance」が米R&Bチャート24位に入る中ヒットを記録しました。

この曲は、コン・ファンク・シャンのマイケル・クーパー(Michael Cooper)の作曲で、けっこうダンスクラシックとして人気の曲。とはいえ、リズム進行が「よっこらしょ、どっこいしょ♪」な曲でして、踊っていても“天竜川下りの船頭さん”を彷彿とさせてなんだか愉快です。

翌82年には、2枚目のアルバム「Let's Wear It Out!」(写真)を発表。全編アーバンなダンス風味に仕上がっているのですけど、この中からは「Dance Like Crazy (Let's Wear It Out)」(R&B39位)と「I Can’t Shake This Feeling」(同47位)が少しばかりヒットしました。特に「I Can't Shake…」は、爽やかでキャッチーなメロディーラインが特徴。私自身も高校生のころ、同じディスコ好きの友人宅で執拗に聞かされていたので、かなり印象深い曲です。

さらに、83年には3枚目「Try It Out」を発表。やはりダンス系が多く収録されているものの、バラードのシングルカット「Stop Doggin' Me Around」が米R&Bチャートで2位まで上昇する大ヒットとなりました。この曲は往年のソウル歌手ジャッキー・ウィルソンが60年に放った大ヒット「Doggin' Around」(R&B1位)が原曲。リードボーカルのハワードの声質はジャッキーにそっくりだったこともあり、非常にうまくいったリメイクといえるでしょう。

クリークはその後もう1枚、85年に「Love Cycles」というアルバムをリリースし、再びジャッキーのバラードヒットのリメイク「A Woman, A Lover, A Friend」がR&B15位に。アルバム全体をみれば、「Breakin'... There's No Stopping Us」(84年、米R&Bチャート3位、一般9位、ディスコ1位)のブレイクダンス大ヒットで知られるオリー・ブラウン(Ollie Brown)などが参加し、時代を象徴してシンセサイザーやドラムマシーンがますます存在感を発揮するダンス曲が多くて面白い内容なのですけど、どうにも大ヒットにはつながらなかったのでした。ジャッキー・ウィルソンのリメイクばかりが注目されて、個性を発揮するまでには至らなかったのかもしれません。

結局は凡庸なディスコファンクバンドの域を出られなかった彼らですが、ヒット曲は少なくても、どのアルバムも80年代ダンスクラシックの「名わき役」として聴けば、なかなか侮れない完成度になっていると思います。近年は「Let's Wear It Out」や「Try It Out」などのCD化もひそかに実現しています。

さて次回は、この流れでいくとKleeerということになりましょうか。年明けにまた考えま〜す!ディスコフリークの皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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