ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ジグソー

ベイ・シティ・ローラーズ (Bay City Rollers)

Bay City Rollersいやあ、今回はまたまた突飛な展開、ベイ・シティ・ローラーズと参ります。先ごろ、「独立しちゃうの?」ってな具合で、地味だったのにいきなり話題になり、それが国民投票で否決されると一瞬にして記憶から遠ざかってしまったスコットランドの出身。ビートルズやモンキーズを意識した典型的な男性アイドル・ロックグループで、本国英国や米国だけでなく、日本でも相当に売れました。うちの妹も、メンバーだった「パット・マグリン」のステッカーを部屋の柱に貼ってましたし。

基本的には、世の少女たちを熱狂させたアイドルバンドですので、この人たちにはかる〜い感じがどうしてもつきまといます。でも、よ〜く探ってみると、楽曲の中には音楽的に工夫の跡が見られるものがあり、ディスコな雰囲気も多少あわせ持っていたことが分かります。なにしろ、結成自体は1960年代後半と古いものの、主な活動時期がディスコブームの最中の1970年代半ばから後半でしたから。

さて、彼らの大ヒットといえば、誰もが耳にタコだったであろう「サタデーナイト」(1975年、米ビルボード一般チャート1位)です。お隣の大イングランドからの数百年にわたる圧迫や懐柔を巧みにかわしながら、独自の文化を保ってきたスコットランド人だけに、独特のタータンチェックとストライプ靴下のキメキメのファッションで、ビジュアル効果も満点でした。文字どおり世界中のお茶の間の人気者となったわけです。このサタデーナイト自体、以前に紹介したジグソーの「スカイ・ハイ」みたいに、とってもベタだが親しみやすいメロディー展開で、血沸き肉踊る名曲だとは思います。

彼らのベスト盤「Bay City Rollers」(Arista Records)のライナーノーツによると、まだ無名時代の70年ごろ、彼らに転機が訪れました。ある日、大手レコード会社Aristaの前身レーベルであるベル・レコード(Bell Records)の重役が、出張先のスコットランドからロンドンへの帰途、飛行機に乗り遅れてしまいました。数時間後の別の便に乗るべく、時間つぶしに立ち寄ったエジンバラ市のクラブで、地元の少女たちから黄色い声援を受けて演奏するローラーズをたまたま見かけたのでした。あまりの熱狂ぶりに、「これはいけるかも」と感じたその重役は契約を申し込み、本格デビューを果たしました。そこから「サタデーナイト」も生まれたというわけです。

この人たちにはほかにも、ドゥービー・ブラザーズの「Listen to The Music」(1972年)そっくりのギターリフで軽やかにスタートする「Sweet Virginia」とか、私の好きな「Rock And Roll Love Letter」(同28位)みたいな疾走感あふれる良曲もありますし、往年の女性アイドルのダスティ・スプリング・フィールドが大ヒットさせた「I Only Want To Be With You」(邦題:二人だけのデート)のリメイク(同12位)とか、男前ハードロック全開の「Yesterday's Hero」(同54位)とか、体が自然と動き出すようなヒット曲がいくつかあります。

ほかにも、ビーチボーイズ風あり(「Remember (Sha La La La)」とか)、ELO風(「Turn On The Radio」や「Would't You Like It」)ありと、なんでも揃っています。かと思えば、「Dedication」(同60位)、「The Way I Feel Tonight」(同24位)のような美メロバラードなんかもしっかり発表しています。

もちろん、ディスコの影響をもろに受けた曲も混じっています。76年に発売したアルバム「Rock N' Roll Love Letter 」には、前述のアルバム同名曲のほかに、珍しく12インチのディスコバージョンも制作した「Don't Stop The Music」(米ビルボード・ディスコチャート24位)という四つ打ちの曲も入っています(あまりインパクトがない曲調だが)。最もディスコを意識した内容の77年発売のアルバム「It's A Game」(写真)には、アルバム同名曲やしっとりしたAOR風の「You Made Me Believe In Magic」(同10位)、それにファンキーな感覚が漂う「Love Power」や「Dance, Dance, Dance」のようなフロア向けの曲が入っています。

…とここで冷静になって考えてみれば、これまたやっぱり「ジグソー」のごとく一貫性がないみたいです。真面目な音楽好きの人々からは、なんだかちょいと支離滅裂で中途半端な展開といわれかねません。

実は、このバンドはいちおう、レス・マッコーエン(Les McKeown)とかデレク・ロングマー(Derek Longmuir)といった著名な主力メンバーがいるにせよ、結成直後からメンバーチェンジを繰り返しておりまして、リードボーカルを担当していたのも、アルバムによって誰が誰やら。そんな背景もあって、音楽職人的なこだわりと統一性に欠ける結果になった可能性があるのです。しかも、彼らはこの70年代後半、お約束のメンバーの不仲説が飛び出したり、ストレスから放蕩生活に陥ったり、ギャラへの不満が噴出したり、ドラッグに溺れたりと、ありがちな絶頂アイドルの転落の道を歩み始めてもいました。

80年代に入るころには、日本など一部の国でしかセールスを維持できなくなり、あえなく過去の人となっていきます。それでもまあ、そのなりふり構わぬ音楽性は、「なんでもあり」ディスコ時代における一つの成果として記憶されてよいとは思っております(試行錯誤にせよ)。

この人たちのCDは、お騒がせながらもメジャーだっただけに、まさに百花繚乱雨あられ、ベスト盤を含めていろいろと揃っております。晩秋の夜長、40年近い時を経て、アイドルバンドに隠された意外な「楽曲のデパート」ぶりをあらためて味わうのも一興でしょう。

次回は満を持して、純粋ディスコものに回帰する予定でございます!

国内盤ディスココンピ (A Disco Compilation in Japan)

テイチクのディスココンピ今回はまったりと初心に返り、CD店でよく見かける国内盤ディスココンピレーションの中の1枚を取り上げてみましょう。その名も「僕らのMega Disco Hits!」(テイチク、写真)。1970〜80年代のよく知られたヒット曲を集めた内容です。

ジャケットのメーンのイラストが、既に懐かしさあふれる国内大ヒット曲「ソウル・ドラキュラ」になっております。旧西ドイツのグループとはいえ、日本でも大人気でした。ボニーMやアラベスクを含めた「ミュンヘンサウンド」の代表曲の一つで、このCDでは1曲目に収録されております。

この曲は題名の奇抜さもさることながら、インストで3分弱という短さも「短期決戦型」で特徴的です。ホラーなのにどこか愛嬌があるメロディーにもディスコらしさが漂います。そして、YouTubeには、まさにマイケル・ジャクソン「スリラー」(82年)を彷彿させる欧州発ビデオクリップが存在…!! 1977年の作品ですので、スリラーはもちろんのこと、以前「ルース・チェンジ」のときに紹介した「吸血鬼ディスコ」であるLove Is Just A Heartbeat Away(1979年)より2年前にもう存在していたことになります。

2曲目はジグソーの「スカイ・ハイ」(75年、全米一般チャート3位)。日本では、70年代に活躍したプロレスラーのミル・マスカラスのテーマ曲としても知られていました。ソフトロック系ディスコの代表曲でもあります。Chicago「Hot Streets」「Alive again」、Jim Capaldi「Shoe Shine」、Exlike「How Could This Be Wrong」のように、70年代後半にはディスコに向かうロックミュージシャンが多かったのですが、彼らもその一例といえるでしょう。

4、5曲目には「謎のフレンチディスコ」として名を馳せたバンザイ(Banzaii)の「チャイニーズ・カンフー(Chinese Kung Fu)」と「ビバ・アメリカ(Viva America)」が入っています。前者はいうまでもなくブルー・スリーのカンフー映画ブームを意識した作品で、以前に取り上げたカール・ダグラス「カンフー・ファイティング」と同系列のカンフーもの。後者はサンバのリズムを取り入れたラテン系のノリノリ“上げ潮ディスコ”となっております。どちらも初期のアナログシンセサイザーの素朴な音色が印象的であります。

6、7曲目には、お馴染みD.D.サウンドの「1-2-3-4 ギミー・サム・モア」「カフェ」が登場。もはや説明の必要はありません。この人たちはドイツ・ミュンヘンのグループですので「ミュンヘンサウンド」に含めることも可能ですが、レコードをリリースするなどの主な活躍場所はイタリアでした。イタリア人でありつつ、ドイツでドナ・サマーを発掘するなど、「ミュンヘンディスコのパイオニア」としても活躍したジョルジオ・モロダーとちょうど逆のパターンになります。

15、16曲は、再びミュンヘンサウンドのマルコポーロというグル―プが79年にリリースした「ジンギスカン」(元祖ジンギスカンによる「ジンギスカン」のカバー)と「アリババ」が収録されています。このグループは日本で主に活躍。80年にも「勇者オマーン!」というディスコ界では定石の「世界史英雄ディスコ」をリリースしました。

このほか、オリジナルではなく現代風に少々アレンジされている再録音なのですが、最近CMでも使用されたノーランズ「ダンシングシスター」、アイリーン・キャラ「フラッシュダンス」、グロリア・ゲイナー「恋のサバイバル」、ステップダンスでよく踊られたミラクルズ「ラブマシーン」などがラインアップされています。どれもシングルバージョンですけど、百花繚乱、日本のディスコシーンを網羅的に眺めることができます。

こうしてみると、日本は70年代から非常に積極的に海外、特に欧州のディスコ音源を輸入していたことがわかります。もともと踊り自体が好きだという国民性も背景にあるのでしょう。まだ円安だったにもかかわらず、各レコード会社はこぞってミュンヘンサウンドなどの「受ける音」の発掘に熱をあげていたのです。

その流れは、80年代になっても続きました。特に80年代後半のバブル期には、ユーロビートやイタロサウンドがディスコフロアを席巻。円高を追い風とした音源輸入にとどまらず、女性アイドルたちがこぞってカバー曲をリリースしました。例としては、荻野目洋子(ダンシングヒーロー)、長山洋子(ヴィーナス)、Babe(Give Me Up)、Wink(愛が止まらない)、森川由加里(Show Me)、石井明美(Cha-Cha-Cha)などが挙げられます。

バブルが終わった90年代前半には、もはやいろんなダンス音楽のジャンルを包み込んだ「ディスコ」という言葉自体が使われなくなり、従来のような「ディスコカバー」」もなくなっていきました。同時に、ハウス、テクノ、トランスといったダンスミュージックのジャンルの細分化も加速しました。文化としてのディスコの「衰退」は、「ブーム」と同様に世界中で進んだのです。

けれども、今のクラブのように、人が「皆で楽しく踊る」ことをやめない以上、私はまだ「ディスコ的なもの」の復活の余地は大いにあると思っています。たとえば、知人のレコード会社関係者が最近、話していたのですが、「AKBのような歌謡曲系の歌が売れるときには、ディスココンピもよく出る」そうです。ということは、ひところのようなモー娘。やパフュームやK-Popのアイドルたちがもてはやされるうちは、ディスコも注目される可能性があるということです。気軽で親しみやすく、しかもおバカさんになって踊れる音楽って、けっこう粘り強く生き残るのではないでしょうか。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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