
左写真は82年発売の代表的アルバム「Straight From The Heart」です。邦題はなんと「ハート泥棒」! そんなきゃわゆ〜いタイトルをひっさげ、ちょいと往年の南沙織(古い)ばりのアイドル顔で登場しているのですが、実は幼いころからジャズピアノの天才少女として騒がれ、ギターもパーカッションも難なくこなしたという、相当に伊賀流忍者な手だれ演奏家だったのです。
代表曲は、なんといってもこのアルバムに入っているダンスチューン「フォゲット・ミー・ナッツ(Forget Me Nots)」(全米R&Bチャート4位、一般23位、ディスコ2位)。イントロ途中でやおら始まるハンドクラップと「ピン、ピン、ピン、ピン♪」という律儀なおとぼけ電子リズムが印象的でして、かなりの人が一度は聞いたことがある旋律と思われます。
1954年、米ロサンゼルス生まれのパトリースさんは、音楽好きの親の影響で5歳のときにクラシックピアノを始めて、高校時代にジャズに開眼。10代後半でメジャーなジャズフェスティバル(Monterey Jazz Festival)のピアノソロ部門に出場して見事優勝し、すんなりとレコードレーベルとの契約を果たします。
1974年のデビューアルバムを含めてジャズのアルバムを3枚出してヒットさせた後、ジャズレーベルからメジャーのエレクトラ(Elektra)・レコードに移籍。78年に「Patrice」という雰囲気を変えた一般向けR&Bアルバムを発売して以降、別のレーベルに移った84年まで計5枚のアルバムをエレクトラから出しました。その楽曲のほとんどは、彼女自身の作によるものです。
この5枚とも、ディスコフロアを意識した内容になっているところが大いなるプラスポイント。お得意のジャズ・フュージョンの雰囲気を濃厚に映しながらも、それ故にこじゃれたダンスチューンが満載になっております。「フォゲット・ミー」以外では、アップテンポでぴょんぴょん飛び跳ねる感じの「Haven't You Heard」(79年、R&B7位、一般42位、ディスコ5位)、軽快なベースラインとサビのコーラスが印象的な「Never Gonna Give You Up」(80年、R&B30位、ディスコ2位)、スローテンポにも合うリズムマシンの名機TR808を駆使した「Feel So Real」(84年、R&B3位、一般78位、ディスコ10位)などがあります。
ただし、アルバムの邦題は、78年から順に「妖精のささやき」(英題:Patrice、78年)、「陽気なレイディ」(Pizzazz、79年)、「おしゃれ専科」(Posh、80年)、「ハート泥棒」(Streight From The Heart、82年)、「夏微風〜サマー・ウインド」(Now、84年)てな具合に、ことごとく夢見る乙女の脱力系です。やはりかなりのアイドル扱いだったのですね。
この5枚の曲調やジャケットのデザインは、「踊らば踊れ、天まで昇れ」の80年前後の能天気ディスコ&ポストディスコ期を反映しており、以前に紹介したイブリン・キングやステイシー・ラティソウ、ステファニー・ミルズ、デニース・ウィリアムスあたりと似たところがあります。
でも、こうした人たちはあくまでもボーカリストとして勝負していたのに対し、パトリースさんはピアノを軸としたミュージシャンとして売り出していた点に違いがあります。…というわけで、ボーカル力については「いま一つ!」との声もありましたが、本当は別にアイドルではなく、小柄な体つきにふさわしい可憐な風情の歌声は、まずまず及第点に達していたと思います。
80年代半ばにはエレクトラからアリスタ・レコードに移籍。ここでは、ジャネット・ジャクソンみたいな歌とPVに果敢に挑戦したものの、ちょいとミッキーマウスみたいな踊りでずっこけてしまいそうな「Watch Out !」(87年、R&B9位、ディスコ22位)というダンストラックをリリースしました。
また、チャート上位には入らなくても、重量ファンクに挑んだ「The Funk Won't Let You Down」(「おしゃれ専科」より)とか、パトリース自身による上品なジャズピアノの旋律が心地よいインスト曲「Number One」(「ハート泥棒」より)とか、珍しく少々シャウト気味に歌う「Break Out」(同じく「ハート泥棒」より」)、スロー系の「Remind Me」(またしても「ハート泥棒」より)などなど、ピーク時間帯から真夜中過ぎのスモールアワーズまで、あまねくフロアを彩る佳作がけっこうあります。
80年代中盤以降は、ヒットを量産する単独アーチストとしてはさすがに勢いを失っていったパトリースさん。それでも、若いころからの実力者ゆえに、リー・リトナーやビル・ウィザーズ、ハービー・メイソン、クインシー・ジョーンズ、カルロス・サンタナといったジャズ・フュージョン界の大物らとの親交が深く、ジャズのセッションミュージシャンや作曲家、音楽監督としての活躍は続きました。ソウル音楽の海外著名ウェッブサイト「SoulMusic.com」でのインタビューによると、これまで制作に関わったアルバムは計1,000枚近いといいますから驚きです。
それに、ディスコ時代から良作が多かったため、後年にはサンプリングされることも非常に多かった人です。だからこそ、多くの人の耳に残る旋律が多いともいえます。特に「フォゲット・ミー」は、ウィル・スミス主演の大ヒット映画「メン・イン・ブラック」(97年公開)のテーマ曲に使われたことでも知られます。
しかも、現在はなんと名門バークレー音楽大学の教授というご身分。ディスコ時代にはた〜っぷり茶目っ気を見せたとはいえ、最終的にはジャ〜ズに回帰し、まさに多芸多才の正統派音楽家として王道を歩んだのでした。
CDについては各アルバム、ベスト盤ともに、R&B時代を中心に豊富に出ております。中でも下右写真の英国Edsel盤2枚組CDは、エレクトラ時代の70年代後半に発売した3枚の全曲と12インチバージョンが網羅されていてお得感があると思います。このシリーズは2作ありまして、「ハート泥棒」など80年代前半のアルバム2枚の全曲と12インチバージョンを収録した2作目を入手すると、エレクトラ時代の5枚がすべて聴けるという趣向になっています。
