ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

フィリーサウンド

ザ・シャイ・ライツ (The Chi-Lites)

Chi Lites最近なんだか説明くさい内容の投稿が増えているなとは薄々気付いておりまして、手詰まり状態ゆえの「やっつけ」感丸出しではあるものの、「ええい!ままよ!」とばかりに気を取り直し、今回は米イリノイ州はシカゴが生んだソウルボーカル・グループ界の重鎮、シャイ・ライツと参りましょう!

というわけでシャイ・ライツは、1950年代後半から現在まで活動しているという恐ろしく息の長いグループ。当初はHi-Lites(ハイ・ライツ)というグループ名だったのですが、1964年にメンバー達の地元であるシカゴ(Chicago)のスペルの「C」を加えてChi-Litesと改名し、現在に至っております。

中心人物は、なんといってもメロメロメロウな極上スウィート・ボイスが売り物のユージン・レコード(Eugene Record)さんです。リードボーカルのみならず、作曲もプロデュースもこの人が主に担当しておりました。所属レーベルは1916年創業の老舗ブランズウィック(Brunswick)。シカゴ発とはいいつつも、ストリングスを多用した流麗なダンスミュージックで知られるフィリーサウンドのような甘〜い楽曲を続々と世に送り出しております。

最初はなかなか芽が出なかったシャイ・ライツ様御一行ですが、69年になってミデアムスローなダンスナンバー「Give It Away」が米R&Bチャート上位(10位)に食い込み、徐々に存在感を増していきます。70年には、ビヨンセの2003年の大ヒット曲「Crazy In Love」でイントロ部分が豪快にサンプリングされた「Are You My Woman? (Tell Me So)」が、同8位まで上昇しています。

翌71年には、「Give More Power To The People」が同4位まで上昇。以前に紹介したエドウィン・スターの骨太反戦歌「War」とか、アイズレー・ブラザーズの「ファイト・ザ・パワー」などと同時代のプロテストソングで、反貧困や反差別を高らかに歌い上げており、普段はメロウな彼らの男気ある一面を見せております。

シャイ・ライツがピークを迎えるのはこの直後のこと。4人の美声が織りなすハーモニーが万人を夢心地へといざなう「Have You Seen Her」(71年)、そして誰もが一度は耳にしたことがあろう「Oh Girl」(72年)が、いずれもR&Bチャートで1位を獲得したのでした!特に「Oh Girl」は、全米総合チャート(ポップチャート)でも1位に輝く特大ヒットとなりました(ちなみに松山千春の「恋」にチョイ似)。前者「Have You Seen...」も、ポップチャートで3位に入っております。

こうして彼らはスィートソウルの覇者となったわけですけど、ピークを過ぎてセールスも落ちてきた70年代半ば以降は、やはり爆発的に台頭する“ザ・ディスコ”の要素を少々取り入れるようになります。中でも、1977年発表の底抜けに陽気なジャケットのアルバム「The Fantastic Chi-Lites」(上写真)では、ダイアナ・ロスLove Hangover」ばりに曲の途中からあれよと言う間にテンポが急上昇して煽りまくる「My First Mistake」が、ダンスフロアでなかなかの人気となりました(チャートは振るわなかったが)。

このころ“看板役者”ユージン・レコードはソロ活動を本格化させ、アルバムも何枚か発表。特にシングルで発売された「Magnetism」(79年)は、身震いするほど軽快なデンサブル全開チューン。ときどき「ぼよよよ〜ん」とおもちゃみたいなおとぼけ電子音も入ってきて、なかなかに洒落の利いた内容になっております。

シャイ・ライツは正真正銘のボーカル・グループですが、実は70年代後半のディスコ・ブームの到来以降、ソウル界では彼らのようなボーカル・グループが総じて失速し、代わってダズ・バンドとかコン・ファンク・シャンバーケイズといったバンドが勢いを増すようになりました。

そうしたバンドは、80年代に入るとシンセサイザーを多用した重量級ファンクを好んで演奏するようになり、それが後のヒップ・ホップの隆盛のひとつのきっかけになったわけですが、逆に70年代前半まであれだけ流行した小じゃれた男性ボーカル・グループは、飽きられてしまったのか、はたまた人件費のかかるバックバンド(オーケストラ)付きの構成が制作・興行サイドに敬遠されてしまったのか、あまり評価されなくなっていったのでした。

それでも、シャイ・ライツは試行錯誤を続けながらアルバムを発表し続けました。ディスコブームが終焉した後の83年には、「Bottom’s Up」がR&Bチャート7位(米ディスコチャート47位)まで上昇し、久しぶりのヒットとなりました。浜辺で地引網を引くような「よっこらしょ、どっこいしょ」リズムを前面に押し出しつつ、ギャップ・バンドみたいな“ぶいぶいシンセ”を駆使したミディアムテンポの佳作となっております。

個人的には、81年発売のアルバム「Me and You」に収録の「Try My Side Of Love」が秀逸だと思っております。彼ら独特のドゥーワップ調のボーカルワークと、少々カリプソな雰囲気を醸す南洋性の旋律がうまく調和しており、これがフロアでかかれば、ゆらゆらとコンブのように心地よく踊れそうです。

80年代後半以降は、セールス的に下降線をたどってしまったシャイ・ライツ。2005年には中心人物のユージン・レコードが64歳で死去し、「もうこれまでか」と思われましたが、草創期から在籍するMarshall Thompsonら残りのメンバーが踏ん張って現在もライブなどの活動を続けています。結果として、メンバー交代を経ながらも、半世紀以上前の1950年代からのソウル音楽界の生き証人のような存在となっているわけです。

CDについては、70〜80年代に発売されたアルバムを中心にまずまず再発されています。ユージン・ワイルドのソロアルバムもここ数年でいくつか発売となっており、とりわけ英Expansion Recordsの「Welcome To My Fantasy」(79年)の再発CD(下写真)には、貴重な欣喜雀躍ディスコ「Magnetism」の7分バージョンや、ゴージャスでダンサブル上等なメドレー曲(「I Don't Mind/Take Everything」)もボーナストラックとして入っていて楽しめます。
Eugine Wild

ハロルド・メルヴィン & ザ・ブルー・ノーツ (Harold Melvin and The Blue Notes)  &イベント告知

Harold Melvynフィリー・ソウルの大御所といえばこの人たち。米国ディスコの源流とも言われるほどダンサブルな面々ですけど、あくまでも渋くて真面目でダンディーな5人組です。

結成はなんと1954年。日本がまだ戦後の混乱期にあったころです。文字通りフィラデルフィア出身のハロルド・メルヴィンさんを中心にした男性ボーカルグループで、60年代まではパッとしなかったのですが、70年代初頭からディスコ系のヒットを連発して一躍トップスターになりました。

メジャー化の原動力になったのは、ちょうど70年にメンバーとして加わったテディ・ペンダーグラス(Teddy Pendergrass)でした。もともとはドラマーだったのですが、類まれなる甘〜〜〜いバリトンの声の持ち主で、この人の歌声を聴く者はみんなメロメロ状態になってしまったのです。

彼の加入の2年後には、その後の米国ディスコの流れを決定づけるパイオニアレーベルで、名ディスコ仕掛け人であるギャンブル&ハフ(Gamble & Huff)が率いる「フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)」と契約。「I Miss You」(72年、R&B7位)、「If You Don't Know Me By Now」(72年、同1位)という「とろ〜りはちみつ」なバラードで軽くジャブを飛ばした後、いかにもフィリーなディスコ曲「The Love I Lost」(73年、R&B1位)を大ヒットさせ、後に大爆発するディスコブームの到来を大いに予感させたものでした。

PIRからの3枚目アルバム「Wake Up Everybody」からは、テルマ・ヒューストン(Thelma Houston)も歌った「Don't Leave Me This Way」(75年)とか、「Wake Up Everybody」(75年、R&B1位)というディスコヒットが生まれました。

さらに、同じ75年に出した4枚目のアルバム「To Be True」からは、「Where Are All My Friends」(R&B8位、米ディスコチャート11位)と「Bad Luck」(R&B4位、ディスコ1位)というディスコシングル曲をリリースしました。特にBad Luckはディスコチャートで11週間も続けて1位になる特大ヒットになっています。

ダンス系とバラード系のヒットをバランス良く出しているのが、この人たちの特徴でもあるわけですが、それもこれも「テディの美声」あればこそ。アップテンポでもスローテンポでも、彼の声はいつでも耳に心地よく響きます。天賦の才とはこのことでしょう。

しかし、グループとしての一体感は、いつの間にか損なわれていきました。案の定、あまりにも「おお!テディ、ソーグーッド!」ともてはやされたために、とりわけ長年のリーダーであるハロルドさんとテディさんの関係がしっくりこなくなってしまったのです。自信あふれるテディ自身も、「コンサートやレコードで、自分の名前をもっと前面に出してほしい」などと強気に迫ったとされ、火に油を注ぐ形になりました。

結局、「To Be True」を最後にテディさんはソロに転向し、その後もヒットを飛ばし続けました。残されたメンバーは、もちろん活動を続け、70年代後半以降も「Prayin'」(79年、R&B18位)、「Tonight's The NIght」(同61)、「Hang On In There」(81年、同51位)みたいな結構すぐれた軽快ディスコ曲も出したわけですけど、目玉のボーカルを失って一気に存在感は低下。切ないものです。

ところが、好事魔多し。テディさんは82年、交通事故で突然、半身不随になり、歌手活動が著しく制限されてしまったのです。それでも、車いすでライブや慈善活動を続け、88年にはミデアムダンス曲「Joy」(R&B1位、ディスコ42位)も大ヒットさせています。

波乱万丈の歴史を刻んだフィリーディスコの帝王、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ。現在ではハロルド(97年に57歳で死去)、テディ(2010年に59歳で死去)を含めて、ほとんどの主要メンバーが鬼籍に入りましたが、ディスコ史、そしてソウル史においても強烈なインパクトを残したグループだったことは確かです。

CDはベスト盤、アルバム再発ともにけっこう出回っております。上写真は10年ほど前に出たエピック盤「The Ultimate Blue Notes」。価格が1枚1000円前後と非常に手頃な上に、主なヒット曲が網羅されていてお得な感じです。


*イベントお知らせ
12月8日(土)夜、西武新宿線新井薬師駅南口の目の前のバー「ゆんたく」にて、まったりとアホアホなディスコDJパーティーを行います。入場お値段は1ドリンク付き1000円。ご興味のある方は、お気軽にお立ち寄りくださいませ!! 詳細は↓

http://www.facebook.com/events/300433423400391/
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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