ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

フェアライト

ネイキッド・アイズ (Nakid Eyes)

Naked Eyesさて、今回は灼熱の夏を彩るニューウェーブ・シリーズ第3弾、ネイキッド・アイズと参りましょう。80年代前半、サンプリング・シンセサイザーの草分けで当時約1千万円もしたフェアライトCMIをいち早く導入し、ユニークな哀感漂う音作りにせっせと励んでいた英国の男性2人組です。

最大のヒット曲は、1982年発表の「Always Somthing There To Remind Me」(米ビルボード一般チャート8位、米ビルボード・ディスコチャート37位)。米ポップス界の巨匠バート・バカラックによる60年代の作品のカバーです。邦題は「僕はこんなに」といかにも意味不明ですが、曲調は美メロで至って真面目であり、フェアライト特有の「カン、カン、ボワ〜ン、ドッカ〜ン」という金属的かつ工場機械的な電子音が、大仰なだけにかえって日本人好みのはかなさを感じさせてくれています。

変則的高速ビートのこの曲は、「踊ってみな」と言われても、なかなかのり切れない難攻不落な展開のため、当時のディスコで聞くことはほとんどありませんでした。でも、少々控えめな曲調の次のヒット曲「プロミセス・プロミセス」(83年、一般11位、ディスコ32位)は、けっこう耳にしております。人気DJだったジェリービーンによる「ジェリービーン・ミックス」では、まだ無名歌手で、彼の恋人でもあったマドンナのささやくような美声も入っていて、二重に楽しめる内容となっています。

続くヒット曲「(What) In The Name Of Love」(84年、一般39位、ディスコ35位)は、「こんなに」と「プロミセス」を合わせたような「カン、カン、ボワ〜ンの哀愁ダンサブル」な雰囲気を漂わせており、これまたメロディーラインが美しい。フロアで激踊りを披露するわけにはいかないにしても、奥の暗がりで席に座ってドリンクでも口にしながら、手足をリズミカルに動かすには最適な内容となっています。

このデュオの構成メンバーはPete ByrneとRob Fisherで、80年代初めに2人で活動を始めて、活動を休止した84年までに2枚のアルバムを出しています。うちRobはClimie Fisherという別のデュオを結成し、「Love Changes (Everything)」(88年、一般23位、ディスコ16位)というダンスヒットを飛ばしますが、99年に病気のため39歳で早世しています。

今あらためて聴いてみますと、前回紹介したABCにも似た、80年代に大量に登場したエレポップな要素がふんだんに詰まっていることが分かります。それでも、この人たちの曲は、特にメロディーラインに個性が感じられます。短い活動期間ではありましたが、一発屋ではありませんし、ディスコ界にもポップス界にも、相応の貢献を果たしたといえましょう。

CDは、2枚のアルバムともに再発で出ております。ベスト盤もいくつかあり、写真は2002年発売の米EMI盤ベスト「Everything And More」。主なヒット曲の12インチバージョンが入っていてうんと楽しめますが、最近は希少化しているようです。

アート・オブ・ノイズ (The Art Of Noise)

Art Of Noiseいやあ、お盆です。頭がおかしくなるほどの猛暑が続く中、今回は意表を突いた“変てこディスコ”の真骨頂、アート・オブ・ノイズに注目してみましょう。

犬の鳴き声みたいな音、車を始動させるときのような音、トンカチみたいな音、笑い声、叫び声、うなり声……。「雑音の芸術」の直訳がまさにぴったりな音は、斬新で目新しいものとして世界の大衆に広く受け入れられました。

メンバーは英国の男女3人で、1984年にデビューアルバム「(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!」(邦題:「誰がアート・オブ・ノイズを……」)を発表し、それが大ヒットしました。プロデュースを担当したのは、以前、「バグルズ」や「フランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド」の投稿の際にも紹介した奇才トレヴァー・ホーン。トレヴァーらが前年に設立したレーベルZTTから、「Beat Box」(84年、米ディスコチャート1位)、「Close (To The Edit)」(同年、同4位)といったダンスヒットを繰り出しました。

当時は、「第1黄金期」ともいうべきシンセサイザー全盛の時代でした。中でもアートオブノイズは「フェアライトCMI」というめちゃめちゃ高価な(1台1000万円以上)電子楽器を使用し、お馴染みのオーケストラ風「オーケストラ・ヒット」のほか、唐突な「ヘイ!」の掛け声とかエンジン音みたいな変な音をがんがんサンプリングして曲を制作したのです。まあ、あのころはそんな音が、とてもポストモダン的かつ前衛的で面白く聞こえたものでした。

アートオブノイズは「誰がアートオブノイズ」の一作を発表した後、ZTTからは離れてしまいましたが、86年には、新しい所属レーベル(China Records)から2作目「In Visible Silence」をリリース。この中からは、日本ではやたらと有名なんですが、マジシャン「ミスターマリック」の登場曲として使われていた「Legs」(同27位)とか、アメリカで1960年ごろに流行った探偵モノのTVドラマ「ピーター・ガン」のテーマ曲のリメイク(同2位)などがヒットしました。けれども、その後は飽きられてしまったのか、だんだんと表舞台からは去っていきました。

多くはシンセサイザーやドラムボックス特有の鋭角的なダンスビートを基調としていますので、ディスコでもアート・オブ・ノイズをけっこう耳にしました。当時は、デュラン・デュラン、ABC、ヤズー、ニューオーダーなどなど、枚挙にいとまがないほど英国産のエレクトロポップ系ディスコが溢れかえっていましたが、その中でもキッチュ(表現古い)な音作りという点で、異彩を放つアーチストだったとはいえましょう。

その昔、私はわりと好きだったのですけど、今あらためて聴くとなんだか少々古臭くて“がらくた”な感じも致します(笑)。もしかしたら、時代と添い寝してそのまま眠ってしまうタイプの作品だったのかも……。この辺りは賛否が分かれるところでしょう。

でもまあ、とにかく実験的だったことは確かですし、90年代以降、次世代のアーチストたちにさらにサンプリング(サンプリングのサンプリング!)もされているようですので、あの時代にあの音を開発した意義は十分にあったのだろうと思います。

CDはベスト盤を中心にまずまず出ております。上写真は、デビュー作「誰が……」収録の全曲に加え、シングルの別バージョンなどがいくつか入ったZTT時代のベスト盤「Daft」(といってもアルバム1枚しか出していないが)。たった今も通して聴いていますが、8曲目ぐらいからやはり頭がおかしくなってきました。暑さのせいかもしれないにせよ。

ハービー・ハンコック (Herbie Hancock)

Herbie Hancockハービー・ハンコックは、立派なディスコミュージシャンです――というわけで、この残暑厳しい折、集中的に聴きまくっているのが、「サウンド・システム」(84年)、「フューチャー・ショック」(83年)、「ライト・ミーアップ」(82年)、「フィーツ」(79年)、「サンライト」(78年)など、ハービーさんが80年前後に発表した一連のディスコアルバムなのであります。

まあ、代表的なのは「フューチャー・ショック」(83年)に入っている「ロック・イット」(全米ディスコチャート4週連続1位)ということになりますね。エレクトロヒップホップの権化みたいな曲で、ディスコではブレイクダンス風に踊るのが定番でした。

当時、私は深夜TV番組で「ロック・イット」のPVをみて、「ジャズミュージシャンがこんなことするのか」と驚いたものです。ただ、そのPVも今みると、からくり人形の仕掛けがあまりにチープでトホホなのですけど。

私は「フューチャー・ショック」とか、その前の「ライト・ミー・アップ」(82年)あたりが「ハービーディスコ」との出会いになったのですが、彼は70年代中盤から既に、「処女航海」「ウォーターメロン・マン」のジャズ路線から脱皮を図り、ファンクやディスコに傾倒していたのでした。

特に特徴的なのが、ボコーダーというロボット声のエフェクトをかけたボーカルです。ロック・イットはもちろん、「フィーツ」に収録の「キープ・ディープ」、「サンライト」に収録の「アイ・ソート・イト・ワズ・ユー」などなど、ハービーさんが繰り出したダンス系の数多くの曲で、この手法が使われています。

けれども、このボコーダーがまた、賛否両論なんですね。今聴くと安っぽさは否めませんし、私も違和感を感じます。

それでも、いち早くシンセサイザーの導入に取り組んだスティービー・ワンダーなどにも同じことが言えますが、「新しモノ好きの超大物」ハービーさんならではの試みだったとはいえるでしょう。

「新しモノ好き」と言えば、初期の高級シンセサイザーである「フェアライト」の使用者としても有名です。電子音に抵抗のある旧来のジャズファンには忌み嫌われる点ではありますけど、「シンセディスコ万歳」派の私としては、非常に評価したいですね。

この微笑ましいセサミストリートのYouTube動画をみると、好奇心が旺盛なミュージシャンであることを実感させてくれます。――ちなみに、この動画に出てくる少女「タティアナ・アーリー」は、後にハーバード大に進んだ才媛で、人気女優やR&B(ダンスミュージックを含む)の歌手としても大活躍した人物です――。

写真のCDは、そんな「ハービーディスコ」全盛期の81年に発売された「マジック・ウィンドウズ」で、私が最も好きなアルバムです。1曲目「マジック・ナンバー」のリードボーカルは何と、かの「ハイエナジーディスコのスター」シルベスターで、しかも珍しくいつもの高音「ファルセット」ではなく、男らしく「バリトン」で歌っているのでした(その成否は賛否両論ですけれども…)。

この曲にはさらに、バックボーカルにも、「Time Bomb」などのヒットがあるハイエナジー歌手ジーニー・トレイシーが名を連ねていてビックリです。

「ハービーディスコ」のアルバムは、だいたいCD化されています。紙ジャケットの日本盤も多く出されていて、日本での人気ぶりがうかがえますな。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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