ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

プリンス

ザ・タイム (The Time)

The Timeここ東京は好天の日曜日となりましたが、今回は1980年代に活躍したプリンスファミリーのコミカルなファンク・バンド「ザ・タイム」と参りま〜す。

このバンドの起源は、1975年に米ミネアポリスで結成された「Flyte Tyme(フライト・タイム)」。リードボーカルは後にリップスに移って「ファンキータウン」(1980年、米ビルボード一般総合1位、米R&Bチャート2位、米ディスコチャート1位)という大ヒットを飛ばしたChynthia Johnson(シンシア・ジョンソン)が担当し、他にも 1980年代半ばからSOSバンドジャネット・ジャクソンのプロデュースで名を馳せることになるJimmy Jam(ジミー・ジャム、キーボード)やTerry Lewis(テリー・ルイス、ベース)も参加していました。

才人を集めつつもあまり売れなかったFlyte Tymeは、1981年、同じミネアポリスで既に頭角を現していたかのプリンスの指揮の下、ザ・タイムとして再出発。プリンスはリップスに移ったシンシアの替わりに、高校時代からのバンド・メイトであるモリス・デイをボーカルとして加え、音楽的にも自らの得意とするロックテイスト濃厚なシンセ・ファンク路線へと移行させました。これが奏功し、80年代を通してなかなかの存在感を発揮する異色ファンクバンドとして成長を遂げることになったのです。

ただ、81年に発表したタイムのファースト・アルバム「Time」は、名目上はジミー・ジャムやテリー・ルイスらメンバーの演奏となっているものの、実際はプリンスがモリスのボーカルを除くすべてのパートを演奏して制作されました。

あまりにも大きな影響力を発揮する天才プリンスと、袖にされがちなタイムの各メンバーとの確執も絶えませんでしたが、プリンスがソロアーチストとして忙しく活動するようになった82年に発表した2枚目「What Time Is It?」以降は、(プリンスの影響は依然大きいにせよ)バンド本来の独自性を見せるようになっていきます。

タイムの特徴は、なんといっても「80年代のディスコ伝道師」モリス・デイのチャップリンみたいなおどけた風貌とパフォーマンス、それにときどき「ウホホホホ!」と熱帯雨林の鳥類のような雄叫びまでをも交える個性的なボーカルワークにあります。1982年の「777-9311」(R&B2位、ディスコ47位)、「The Walk」(同24位、ディスコ47位)、84年の「Ice Cream Castles」(同11位、同70位)、Jungle Love(同6位、同9位)、85年の「The Bird」(同33位、同6位)など、ディスコでも人気を博した曲が数多くあります。

また、モリスさんは、プリンスが84年にプロデュースした映画「パープル・レイン」にミュージシャン役で起用されており、そこでは「Jungle Love」を始めとする自分たちの曲をコミカルに披露しております。このジャングル・ラブなどは、現在のUptown Funkなどのダンスヒットで知られるBruno Marsらの音作りに色濃く反映されており、80年代の音楽がなおもしぶとく息づいていることを感じさせます。かなり以前の曲ですけど、日本では米米クラブの「コメコメウォー」(88年)もオマージュ的に似たところがあります。

Timeは90年に「Jerk Out」(総合9位、R&B1位、ディスコ6位)という素っ頓狂な“鳥の雄叫び”をちりばめた大ヒットを飛ばした後、ヒット作は出なくなりました。この曲が入った「Pandemonium」が彼らの最後のアルバムになってしまったのですが......特筆すべきは、このアルバムにはなんと「Donald Trump (Black Version)」という曲も収録されているのです。文字通り、不動産王として既に有名だったトランプ・現米大統領をテーマにしたラブ・バラードで、「君はやっぱりトランプのようなお金持ちの男がいいんだろ?」みたいな歌詞が展開しております。これも作曲はプリンスでして、彼の天才ぶりならぬ“預言者”ぶりが、こんなところにも発揮されているのでした。

そんなわけで、トランプの呪いなのかどうか、90年代以降は勢いがなくなってしまったザ・タイム。それでも、解散・再結成を繰り返しつつ、2000年代以降も命脈は繋いでいます。昨春にプリンスが亡くなったすぐ後にも、ロンドンで追悼の再結成ライブパフォーマンスを披露しています。

タイムが81〜90年に発売した計4枚のアルバムともに、きちんとCDで再発されています。写真は、「ジャングル・ラブ」や「ザ・バード」が収録された84年発売の3枚目「Ice Cream Castle」。モリスさんの80年代のソロ作品「Color of Success」と「Daydreaming」も再発されておりまして、こちらも雄叫び度はやや低いながらも、彼特有の「ねっとりボーカル」を生かした落ち着いた感じのR&Bダンス曲が楽しめます。

ワン・ウェイ (One Way)

One Way今回は元気いっぱいに「ワン・ウェイ」だよん!!!! とはいうものの・・・う〜ん、地味、地味です。どうにも心ときめく曲がない・・・というのがこの「ワン・ウェイ」なのであります。

この人たち、ものすご〜くアルバムを出しています。1970年代後半に、アル・ハドソンなるミュージシャンを中心として「アル・ハドソン&ザ・パートナーズ」というベタなバンド名で結成し、以後、80年代後半まで年1回ぐらいのペースで10枚以上もリリースしています。「ワン・ウェイ」への改名は80年のことでありました。

特筆すべきは、「I Want To Thank You」(82年、R&B37位)などのヒットで知られるアリシア・マイヤーズ(Alicia Myers)が、80年ごろまでリードボーカルとして参加していたことですね。

ディスコ的にまずヒットしたのが、1979年の「You Can Do It」(米ディスコチャート10位、米R&B52位)です。これがまた「どっかで聞いたことあるじゃん!」のノリ。そう、手っ取り早く思い出すのはクール・アンド・ザ・ギャングの「レディース・ナイト」(79年、ディスコ5位、R&B1位)ですね。どう考えても似てます。曲調的にどっちが影響を与えたのか、また与えられたのかはともかく、超メジャーなクール・アンド・ザ・ギャングの陰に隠れてしまった感は否めません。

この後、ワン・ウェイに改名してからも哀しい。彼らの代表曲でもある「Cutie Pie」(82年、ディスコ29位、R&B4位)は、同時期にバカ売れしたZAPPの「Dance Floor」(82年、R&B1位)みたいなエレクトロファンクでして、個性を発揮するに至りませんでした。

このほかにも、「Shine On Me」(83年、R&B24位)、「Mr. Groove」(84年、同8位)といったダンス系の中ヒット曲を出すには出したのですが、どうにも記憶には残りにくいグループのままだったのでした。個人的には、85年のアルバム「Wrap Your Body」に入っている「Let’s Talk」なんてけっこうアップテンポかつダンサブルで気に入っているのですが・・・これまた当時大スターだったプリンスとか同系列のTime(米米クラブにも似ている「Jungle Love」とか)の模倣っぽいのが残念でした。

そんな中、86年に出した「Don't Think About It」(ディスコ44位、R&B5位)は、なかなか落ち着き払っていて素晴らしいミディアムな曲です。私は当時、バブル時代の深夜・未明の六本木ディスコとかカフェバー(トホホ)でよ〜く耳にしたものでした。ただし、これまたその2年前に出たデニス・エドワーズの珠玉の名作「Don't Look Any Further」(R&B2位)をどことなく思い出させてしまって損です。

似た感じの中堅R&Bグループという意味では、ちょっと前に紹介したローズ・ロイスも頭に浮かんできますが、ローズのように「バラードもイケてますよ」的なアピール度にも乏しい。「すべての芸術は模倣から始まる」―を地でゆくとはいえ、そこそこの実力と運を兼ね備えていただけに、結果的にはなんとも残念なグループだったと言わざるを得ません。

写真は米MCAのベスト盤CDです。アルバムは、意外にもここ数年でかなり再発が進めれています。でも、なにしろいっぱいリリースしているので全部揃えるのは大変でしょうし、当たり外れも大きいので怖いのであります。

アポロニア 6 (Apollonia 6)

Apollonia 6映画「ゴッドファーザー」に出てくるヒロイン「アポロニア」から安易に命名された女性3人組「アポロニア6」。下着姿でわいせつな歌詞を歌い上げるという、いかにも“イカもの食い”な魅力に溢れた珍グループであります。

1984年発売の「セックス・シューター」が唯一にして最大のヒット。ディスコチャートでは32位まで上昇しました……とたいしたことはないのですが、日本のディスコでも頻繁にかかっていましたし、非常に印象深いアーチストです。

意外に話題になったワケは、かのプリンスによる企画モノだったという点にあります。気まぐれで変わり者のプリンスならではの発想で、女性ボーカルによる、エログロなプリンスワールドをフロアに炸裂させたというわけです。

「セックス・シューター」が収録されているデビューアルバム「アポロニア6」は、プリンスらしいドラムマシーンと野獣的かつ魔術的な曲調に満ち満ちております。ちなみに「6」とは、「3人のおっぱいの合計数!」だとか。これもプリンスの発想。トホホ。

アポロニア6は、「ヴァニティ6」(写真下)という似たような女性トリオが前身。リードボーカルに「Vanity(ヴァニティ、本名Denise Matthews)」という元人気女優がいて、82年に「Vanity6」というアルバムを出し、かなり売れました。シングルカットされた「Nasty Girl」は、ディスコチャート4週連続1位になっています。

しかし、そのヴァニティは、ちょうどそのころ撮影を終えたばかりのプリンス作の映画「パープルレイン」への出演ギャラなどを巡って、プリンスと仲たがいしてしまって脱退。急遽、新しくボーカル1人だけを公募して、「アポロニア(本名Patty Kotero)」をリードボーカルとするアポロニア6として、再び売り出したというわけです。

アポロニア、ヴァニティ、それに残りの2人の女性ともども、プレイボーイのモデルなどとして活躍していたような美人ぞろい。ゆえに、世の男性陣を中心に人気を誇っていたというわけですが、2つのグループともにアルバムは1枚のみ。線香花火のような短い命だったのです。

ただし、この2枚のアルバムともに、内容はいい感じではあります。初期のプリンスらしく、ドラムマシーン/シンセの使い方には新奇性を感じさせつつ、わりと素直なダンスミュージックに仕上がっています。「アポロニア6」では、シーラEが作曲を担当した「ブルー・リムジン」など、プリンスファミリーの豪華さを感じさせる佳曲も目白押しです。

プリンスファミリーを離れたヴァニティのその後ですが、黒人音楽の名門モータウンレーベルに移って、しばらく中ヒットメーカーとして活躍したものの、コカイン中毒に陥り、身を持ち崩してしまいました。現在は、改心して敬虔なクリスチャンとなり、伝道者として米国中を回っているとのことです。「Vanity=虚栄」を地でいくような人生に、自分なりにケリをつけたということでしょうか。

CDは2グループともに出てはいるのですが、かなり以前(90年前後)のリリースのためレア扱い。日本では入手が難しく、海外のオークションサイトなどでときどき見かける程度です。私もこの2枚の入手には苦労いたしました。Vanity 6

シーラ E (Sheila E)

シーラ EシーラEはプリンス・ファミリーの筆頭株。1984年のグラマラス・ライフは全米ディスコチャートで2週連続1位、一般チャートでも7位まで上昇しました。

1959年、サンフランシスコ生まれ。著名パーカッショニストのピート・コーク・エスコベドを父親に持ち、自身もパーカッショニストとして父のバンド「アステカ」に所属するなど、裏方ミュージシャンとして活躍していました。ピアノやギターやバイオリンなども出来るマルチタレント音楽人でもあります。

グラマラスライフの同名アルバム(84年)は、当時人気絶頂のプリンスを中心としたプロデュースチームが制作。最初からヒットが約束されていたようなものでした。このアルバムでシーラは、ボーカルとパーカッションだけではなく、ベース、ドラム、ギター、キーボードも担当。異常なほどの才人ぶりを見せ付けました。ジャケットを見ると、その美貌ぶりもなかなかのものであります。超恵まれています。

この曲はディスコでも死ぬほどかかりましたね。プリンス独特のハンドクラップ風シンセ音を基調としながらも、やはり彼女のパーカッションが強い存在感を示しています。シンセ音とパーカッションが見事に融合して聞き惚れますね。ボーカルもまあまあセクシーだし。「よっ、ラテン!」って感じで、張り切って踊ったものです。途中の「イレイマッチ!(It Ain't Much !)」のところで一瞬、動きを止めてですね。

この人は次のアルバム、「ロマンス1600」(85年)という意味不明なアルバムを出しまして、これまたなかなかのヒット。シングルカットされた「ラブ・ビザール」が再びディスコチャート2週連続1位となりました。

才色兼備の彼女も、その後は徐々に失速。90年代初頭に出した「セックス・シンバル」という哀しい駄洒落アルバムを最後に、表舞台からは姿を消していきました。

それでも、特に「グラマラス」なんかは、ダンスクラシックとして今なお、さん然と輝いています。凡百のダンスヒットと比べても、各楽器音が重層的に絡み合い、曲構成が相当にしっかりしていますから、これからも世界中のダンスフロアで愛され続けることでしょう。

写真のCDはもろグラマラス・ライフ。どこにでもたくさん売っています。米国および日本盤では、アルバム収録の6曲に加えて、ボーナストラックとしてグラマラス・ライフの12インチバージョンが収録されていますが、アルバム・バージョンより1分半も短い6分33秒。これはなんだか謎であります。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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